私の大学の先輩後輩も長く尺八の世界にいるだけに皆有る程度には知られる男になりました。先輩の伊藤衡山さんは都山流尺八楽会の岩手支部長ですし、私の同僚、林嵐山は日本尺八連盟きっての尺八家となっています。もう「梅毒庵」と昔のアダナで呼ぶ者は私以外にいません。
アダナと言えば楽会の新潟支部に籍をおく高橋照誠山は、先輩である私の指導が良かったので、今ではともかくも県下屈指の吹き手となっています。ですから私が仕事で新潟に行くと、周りの人達から「高橋先生」と呼ばれているので、その度ごとに意見しました。「アイツは河童、カッパですぞ。センセイなどと勘違いして呼んでいると恥をかくのは貴方ですよ」。
この男の学生時代の悪行の数々、先輩として私もとても恥ずかしいのですが、話さないことには話が進まないので、恥を忍んでお話ししましょう。
新宿の駅。「ああ酒が飲みてえなあ、だけど金は無いしなあ」。こう声に出して呟いていると、「そんなに飲みてえか、よしオレについて来な」と言う赤の他人が40年前には必ずいました。
そこまでは目を瞑りましょう。だけど、そう言って飲み屋に誘って勘定の段になって金が無かった人がいたんです。どうしたと思います。皆でフクロにしたんですよ。
大学食堂に寿司屋が出来て、見本の蝋細工が間に合わなかったので実物を展示していたら、それを食ってしまったんです。
居酒屋の裏手にまわって、積んである木枠からビールを抜き取った。
坂田誠先生の尺八の月謝を2年貯めた。そんなヤツだから、ふさわしいアダナは百位ついていましたぞ。
そのカッパが坂田先生から仕事を貰いました。藤圭子の公演で尺八を付ける事になったんです。日給5千円は当時では「御の字」です。何しろ大学4年のカッパの仕送りが月3,4万だったのですから。
私は卒業した1973年イッパイは坂田先生の所に稽古に行ってました。丁度私のレッスン時間に藤圭子の事務所から電話が有りまして、稽古を中断して電話に出た坂田先生がエラク恐縮していました。
「ヤツから聞いてますよ、高橋がアガってヘマしたそうですね」。「ああ・・・」。
「先生も悪いんでっせ」。「どうしてだよ?」。「だって高橋を使うからですよ。ボクが藤圭子の大ファンだって知ってたでしょう」。「そうだっけ・・・」。「そうですよ。貰ってやると言っていた藤圭子のサインだって、まだくれないし・・・」。
坂田先生、しばらく譜面を見て黙っていましたがね。「さあ、続きをやろう・・・」。
どうして人間ってアガルのですかね。これって何か対処法って有るのでしょうか?性格的に全くアガラない人もいますが、アガル人間に「アガルな」と言うのも無理が有りますな。
前に、亡くなった箏屋の矢野さんに聞いたのですが、彼が小林幸子の舞台の仕事をした時、開幕前の小林幸子が異常に緊張していて驚いたそうです。聞くと毎度の事だと言います。歌謡曲では屈指の歌唱力を持つ人がですよ。
それが本番となるとシャキッとしていて少しも緊張している様子が見えなかったそうです。
アガルンですよ、アガル人は。でも全体力が100なら上がっても80とかの力は出せるはずです。その80が自分のホントの力だと割り切って演奏の舞台を務めるしか無いでしょうが・・・。
一流の尺八家に弟子入りすると、その人が舞台で見せている力には、実はまだかなりの上方余力が有る事が分かります。たとえて言うと、日本の道路では百キロまでしか出せないはずですが、自動車のメーターには二百キロ近い数値が有ります。それだから百キロで滑る様に走れるんですわ。
スポンサーサイト