マネージャー
- 2016/03/08
- 20:59
終戦後しばらくは、進駐軍の軍属で来て通訳なんかしていた日系人がエラク嫌われていました。この種の心理は分かりますよ。だって昔の韓国では日本人は本当は嫌われていなかったけど、在日韓国人は本当に嫌われていましたもの。
日系人って内面はアメリカ人なんです。それをなまじ外見が日本人なので、勝手に同胞だと思っていた人が、何かの拍子に話が行き違うと、「アイツラには日本人の心ってものがアリャしねえ。まるで話が通じないじゃねえかよ。日本人を見下しやがって。ありゃ姿は日本人だがよ、心は毛唐と一緒だ」。そりゃそうですよ、だってアメリカ人なんだもの・・・。
昔の人って今と違って外国人と付き合う機会が無かったでしょう。だから、「ナニ人だろうと人間だ。気難しいヤツもいる、気安いヤツもいる。腹を割って話せば分かりあえる」とか言って、民族や宗教が違うと意識の共通項も違うし、それ以前に民族単位で共通項が有るって分からなかったみたいですよ。
欧米に行くと雑多な人種がいますよね。人間の顔は全員が違うけど、それでも何処の民族か見当が付くでしょう。「皆が違うけど皆が同じ」だからです。心理学では常識ですよね。その前に、今では日本人も世間が広くなった関係で、私なんかがアラタメテ言うまでも無く、良く分かっています。
40年以上前にアメリカに長期遠征した日本のプロレスラーは、帰ってくるとダイタイが一緒に仕事で回った日系2世のレスラーを「あんな汚いヤツはいねえ」とくさしていました。でも見る角度が違うと彼等はアメリカ人として当たり前のビジネスをしたことになります。
たとえばジャイアント馬場は一回目のアメリカ遠征、1961年から63年まで1年8か月仕事をして10万5千ドル稼ぎました。それが帰って来て精算の段になると1万5千ドルしか残っていなかったという有名なエピソードが有ります。
グレート東郷などがメタメタにテラキリをしたというのが通説ですが。アメリカンビジネスに詳しい人に聞くと「そんなもんだよ。当時馬場は23,4だろう。日本にいてサラリーマンをやっていたら稼ぎは年に30万円くらいだろう、それが1万5千ドル(当時540万円)も残ったんだろう。御の字じゃないの」と正反対の感想でした。
2年弱で10万ドル稼いだと言っても、東郷が20パーセントのブッキング手数料をとり、マネージャーのフレッド・アトキンスが30パーセント取りで、何もしなくても半分になってしまいます。このパーセンテージは相場です。
東郷がいたから良い仕事が続々と入ってきたし、喧嘩の強いアトキンスがマネージャーとしてピッタリ付いていたからこそ、妬まれて喧嘩を売られたり、本番で相手が打ち合わせを無視して恥をかかされることも無かったのですわ。
そして生活費、交通費、税金、宣伝費、プロモーターへの付け届けを引いたら、残りはそんなものですって。
東郷は正当なマネージメント手数料をとったに過ぎないという見方だって有るのです。それが外見だけ日本人で、なまじな同胞意識を持たれたが為に必要以上に敵意を持たれたようです。力道山のマネージャーだった吉村義雄さんは「あれは正当なビジネスだった」とハッキリ言っていました。
20年くらい前だと、中国の芸能人は日本に呼ばれて公演して、このマネージメントの仕組みが理解できずに、よく不満を洩らしていました。「ギャラの半分とられるんだよ」。アタリメエだ。宣伝、営業、プロデュース、何処のバカが只でやると思ってるんだ。
尺八では藤原道山さんがホリプロですね。こういうメジャープロダクションは普通の人では無理ですね。分かるでしょう、私ですらジャニーズ事務所から声がかからなかったんですよ。
昔、横山勝也先生や鶴田錦史先生のマネージメントを武智事務所が手数料20パーセントで受けていましたし、山本邦山先生のマネージメントも何処かの事務所がやってました。
数年前まで中村明一さんのマネジャーを慶野由利子さんがやっていましたが、こういうプロデュース能力にたけた人が尺八家につかないと、いつまで経ってもダメですね。
しかし、20か25パーセントの手数料で人ひとり生活させるには、尺八家の稼ぎでは手に余るかも知れません。ただ、ここは決断です。有能なマネージャーがつくと今の倍も稼げるかも知れません。ハッキリ言って、現在、尺八の実演で年1千万を挙げている人なんて、誰に聞いてみても10人いない。マネージメントをしてくれる人がいない状態だったら、そんなモノですって・・・。
日系人って内面はアメリカ人なんです。それをなまじ外見が日本人なので、勝手に同胞だと思っていた人が、何かの拍子に話が行き違うと、「アイツラには日本人の心ってものがアリャしねえ。まるで話が通じないじゃねえかよ。日本人を見下しやがって。ありゃ姿は日本人だがよ、心は毛唐と一緒だ」。そりゃそうですよ、だってアメリカ人なんだもの・・・。
昔の人って今と違って外国人と付き合う機会が無かったでしょう。だから、「ナニ人だろうと人間だ。気難しいヤツもいる、気安いヤツもいる。腹を割って話せば分かりあえる」とか言って、民族や宗教が違うと意識の共通項も違うし、それ以前に民族単位で共通項が有るって分からなかったみたいですよ。
欧米に行くと雑多な人種がいますよね。人間の顔は全員が違うけど、それでも何処の民族か見当が付くでしょう。「皆が違うけど皆が同じ」だからです。心理学では常識ですよね。その前に、今では日本人も世間が広くなった関係で、私なんかがアラタメテ言うまでも無く、良く分かっています。
40年以上前にアメリカに長期遠征した日本のプロレスラーは、帰ってくるとダイタイが一緒に仕事で回った日系2世のレスラーを「あんな汚いヤツはいねえ」とくさしていました。でも見る角度が違うと彼等はアメリカ人として当たり前のビジネスをしたことになります。
たとえばジャイアント馬場は一回目のアメリカ遠征、1961年から63年まで1年8か月仕事をして10万5千ドル稼ぎました。それが帰って来て精算の段になると1万5千ドルしか残っていなかったという有名なエピソードが有ります。
グレート東郷などがメタメタにテラキリをしたというのが通説ですが。アメリカンビジネスに詳しい人に聞くと「そんなもんだよ。当時馬場は23,4だろう。日本にいてサラリーマンをやっていたら稼ぎは年に30万円くらいだろう、それが1万5千ドル(当時540万円)も残ったんだろう。御の字じゃないの」と正反対の感想でした。
2年弱で10万ドル稼いだと言っても、東郷が20パーセントのブッキング手数料をとり、マネージャーのフレッド・アトキンスが30パーセント取りで、何もしなくても半分になってしまいます。このパーセンテージは相場です。
東郷がいたから良い仕事が続々と入ってきたし、喧嘩の強いアトキンスがマネージャーとしてピッタリ付いていたからこそ、妬まれて喧嘩を売られたり、本番で相手が打ち合わせを無視して恥をかかされることも無かったのですわ。
そして生活費、交通費、税金、宣伝費、プロモーターへの付け届けを引いたら、残りはそんなものですって。
東郷は正当なマネージメント手数料をとったに過ぎないという見方だって有るのです。それが外見だけ日本人で、なまじな同胞意識を持たれたが為に必要以上に敵意を持たれたようです。力道山のマネージャーだった吉村義雄さんは「あれは正当なビジネスだった」とハッキリ言っていました。
20年くらい前だと、中国の芸能人は日本に呼ばれて公演して、このマネージメントの仕組みが理解できずに、よく不満を洩らしていました。「ギャラの半分とられるんだよ」。アタリメエだ。宣伝、営業、プロデュース、何処のバカが只でやると思ってるんだ。
尺八では藤原道山さんがホリプロですね。こういうメジャープロダクションは普通の人では無理ですね。分かるでしょう、私ですらジャニーズ事務所から声がかからなかったんですよ。
昔、横山勝也先生や鶴田錦史先生のマネージメントを武智事務所が手数料20パーセントで受けていましたし、山本邦山先生のマネージメントも何処かの事務所がやってました。
数年前まで中村明一さんのマネジャーを慶野由利子さんがやっていましたが、こういうプロデュース能力にたけた人が尺八家につかないと、いつまで経ってもダメですね。
しかし、20か25パーセントの手数料で人ひとり生活させるには、尺八家の稼ぎでは手に余るかも知れません。ただ、ここは決断です。有能なマネージャーがつくと今の倍も稼げるかも知れません。ハッキリ言って、現在、尺八の実演で年1千万を挙げている人なんて、誰に聞いてみても10人いない。マネージメントをしてくれる人がいない状態だったら、そんなモノですって・・・。
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