横糸
- 2016/03/15
- 21:37
この前の日曜日、上野展示会の時の事です。何人かの若い尺八プロの方が見えましたが、その内の一人の方、「私は教授産業でやって行こうと思っています」と言っていました。
尺八教授で生活が立ったのは昔の話ですよ。今は教授で充分な生活をしている人って、田嶋(直士)さんとか川村(泰山)さん、善養寺(恵介)さんとかくらいじゃないですか?この私の疑問に対して、その若いプロは明確な答えを返してくれました。
「尺八最強のソフトって何ですか?」。誰でも古典本曲と答えますよ、ただ、これは教授ソフトまたは鑑賞ソフトとしてであって、実演ソフトとしては現代曲とどちらが人気が有るのか良く分かりません。
「そうでしょう。古典本曲。なかでも海童道曲ですよね。それを習いたいという人は多いんですよ」。 でも競争相手が多いじゃないですか?
「そう思うでしょ、でも、私(35歳)と同年輩の人で海童道曲を教える人って意外にいないと思いませんか?」。 私は目から鱗が落ちました。ナルホド、田嶋さんも今年74、古屋、菅原、石川、柿堺などの諸氏も50以下ではありませんな・・・。
明治の終わりから大正にかけて、日本全国に次々と電灯が普及して行きました。この時代状況をいち早く見抜いたのが初代都山でした。夜の稽古も譜面で出来る。後から考えれば誰でも気がつくようですが、こういったことを考えつくだけでなく、的確に運営できるから、私は初代都山を「尺八史上最大の巨人」と言うのですよ。
そして譜面を発行する事で、ソフトを中央でコントロールして全国的な「教授産業ネットワーク」を構築したのです。
それ以前の教授と言えば、せいぜい足で通える範囲でしか弟子を集められませんでしたが、この譜面によるソフト・コントロールによって、言わば支店を続々と造ることが出来ました。今にいたる、会費徴収、免状料の3割納入などの義務の代わりに、譜面送付や種々のサポートが受けられるという「塾産業」の原型がスタートしました。
この形に変化が起き始めたのが昭和50年代の初めですね。私は最初の仕掛け人は田嶋直士さんだと思います。横山勝也、酒井竹保といった人、そして自身の「本曲講習会」を組織的に開催していきました。参加者の多くが予想通り都山流の人でした。
続いて横山勝也先生が美星はじめ各地で講習会を開きました。
この流れは年ごとに大きくなり、20年前には地元の京都で都山流楽会の人による「青木鈴慕・琴古流本曲講習会」が開かれる事態になりました。そこには日本尺八連盟も参加しており大問題となりました。
この辺りで手を打っていれば都山も良かったんですがねえ、事態の推移は,「企画者の処分」なんぞで止まるわきゃねえでしょうが・・・。連盟は青木鈴慕を講師に、琴古流古典本曲の流としての解禁に踏み切りました。
もう今では、さしも強大を誇った都山流の組織も、各種の流というものを越えた講習会に参加する会員でボロボロの「虫食い状態」です。今さらどうにもなりませんや。
そして今また次の段階に入りました。ユーチューブで演奏を流し、希望者で近い人は直接、中距離には出向き、遠方や外国はスカイプ講習です。
その方に聞くと、その問い合わせの大半が外国人だと言います。
講習会というものは、これまで流や会を成立させていた「縦系列」に言わば「横糸」を通したのです。それがさらに外国人という、新たな横糸が見えはじめました。ここからが本当の勝負でっせ。
それにしても若い人は良く見ている、考えている。私なんかが、トヤカク言うことなんて何も無いですね。
尺八教授で生活が立ったのは昔の話ですよ。今は教授で充分な生活をしている人って、田嶋(直士)さんとか川村(泰山)さん、善養寺(恵介)さんとかくらいじゃないですか?この私の疑問に対して、その若いプロは明確な答えを返してくれました。
「尺八最強のソフトって何ですか?」。誰でも古典本曲と答えますよ、ただ、これは教授ソフトまたは鑑賞ソフトとしてであって、実演ソフトとしては現代曲とどちらが人気が有るのか良く分かりません。
「そうでしょう。古典本曲。なかでも海童道曲ですよね。それを習いたいという人は多いんですよ」。 でも競争相手が多いじゃないですか?
「そう思うでしょ、でも、私(35歳)と同年輩の人で海童道曲を教える人って意外にいないと思いませんか?」。 私は目から鱗が落ちました。ナルホド、田嶋さんも今年74、古屋、菅原、石川、柿堺などの諸氏も50以下ではありませんな・・・。
明治の終わりから大正にかけて、日本全国に次々と電灯が普及して行きました。この時代状況をいち早く見抜いたのが初代都山でした。夜の稽古も譜面で出来る。後から考えれば誰でも気がつくようですが、こういったことを考えつくだけでなく、的確に運営できるから、私は初代都山を「尺八史上最大の巨人」と言うのですよ。
そして譜面を発行する事で、ソフトを中央でコントロールして全国的な「教授産業ネットワーク」を構築したのです。
それ以前の教授と言えば、せいぜい足で通える範囲でしか弟子を集められませんでしたが、この譜面によるソフト・コントロールによって、言わば支店を続々と造ることが出来ました。今にいたる、会費徴収、免状料の3割納入などの義務の代わりに、譜面送付や種々のサポートが受けられるという「塾産業」の原型がスタートしました。
この形に変化が起き始めたのが昭和50年代の初めですね。私は最初の仕掛け人は田嶋直士さんだと思います。横山勝也、酒井竹保といった人、そして自身の「本曲講習会」を組織的に開催していきました。参加者の多くが予想通り都山流の人でした。
続いて横山勝也先生が美星はじめ各地で講習会を開きました。
この流れは年ごとに大きくなり、20年前には地元の京都で都山流楽会の人による「青木鈴慕・琴古流本曲講習会」が開かれる事態になりました。そこには日本尺八連盟も参加しており大問題となりました。
この辺りで手を打っていれば都山も良かったんですがねえ、事態の推移は,「企画者の処分」なんぞで止まるわきゃねえでしょうが・・・。連盟は青木鈴慕を講師に、琴古流古典本曲の流としての解禁に踏み切りました。
もう今では、さしも強大を誇った都山流の組織も、各種の流というものを越えた講習会に参加する会員でボロボロの「虫食い状態」です。今さらどうにもなりませんや。
そして今また次の段階に入りました。ユーチューブで演奏を流し、希望者で近い人は直接、中距離には出向き、遠方や外国はスカイプ講習です。
その方に聞くと、その問い合わせの大半が外国人だと言います。
講習会というものは、これまで流や会を成立させていた「縦系列」に言わば「横糸」を通したのです。それがさらに外国人という、新たな横糸が見えはじめました。ここからが本当の勝負でっせ。
それにしても若い人は良く見ている、考えている。私なんかが、トヤカク言うことなんて何も無いですね。
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