ソネット
- 2016/03/20
- 18:15
三木稔に「ソネット」という尺八三重奏曲が有りますな。小品ですが聴いて心地良い曲です。ただし2尺3寸、それとストレス無く吹こうとしたら1尺9寸が必要です。
大学3年の時、ウチのクラブの秋の定期演奏会で出した曲目でした。木稲さん、目黒さん、粟田でしたが、丁度、その時期に私も英語の講義でシェークスピアの『ソネット』をやりました。
ソネットは「14行詩」ということで、意味はベツダン難しくはないですが、原文講義ですし、古典英語ですから分かりっこないですよ。ホント、昔の大学はこういう無意味な授業がタクサン有りました。生徒はどうせ聞いていないという前提で、やる気皆無の教授が一方通行の講義をやるわけです。
「シェークスピアが大好き」という学生は私以外にも沢山いたはずですが、専攻でもないのに古典英語での読書なんて、やるわけありませんや。
私はと言えば例外的に真面目にやりました。それというのも三木先生の「ソネット」をクラブの仲間が練習していたからです。
日本尺八連盟に前に所属していた佐藤喬山先生は慶応大学の名誉教授でしたし、英語英文学の泰斗です。現在、90才を過ぎてお元気ですが、尺八はやめて連盟からも退会なさっています。
私はこの方の翻訳した本を何冊も読んでいますが、英文学者の佐藤喬と尺八の佐藤喬山とが同一人物だとは思わなかった。展示会にもお見えになりましたし、拙著もお読みいただいていて、過分なお褒めの言葉をいただきました。
この先生に、学生時代にシェークスピアの『ソネット』を読んだと言いましたら、「あれは難しいね。辞書を引いても出てない言葉がタクサン有ったでしょう」と一笑に伏されました。
英文学の大御所に笑われるような授業なんかやるな。ボケ、カス。これ半分は教授に、後の半分は自分自身に言ってるんでっせ。「勉強しなかったから?」、まだそんな寝言を言ってんの。こんなモノを原文で勉強した自分の真面目さにハラがたつんです。
大学、高校時代は原文で英語小説を読まされましたが、本を自由に選んで良い場合は、私はヘミングウェです。だって難しくないですもん・・・。モチロン内容が、ではなく文章がですぜ。
ヘミングウェイは当時は人気が有って、ズイブンと映画にもなっていましたから、私と同年輩の者の多くは見ているはずです。大学時代、神楽坂に佳作座という映画館が有って、たしか50円でした。学生相手の食堂のラーメン一杯と同じですね。
だけど、オタカクとまりやがって、当時の大学生が大好きだったヤクザ映画は上映しないのです。そのくせ名作洋画は常にかかっていて、皆それでも授業よりはマシなので、いつも学生で満員でした。そこでヘミングウェイ映画もあらかた見ました。
「誰が為に鐘は鳴る」は作られたのは太平洋戦争の最中ですぜ。ミッチェルの「風と共に去りぬ」なんて戦前の映画です。強大なアメリカの余裕を感じますな。
「網走番外地」や「唐獅子牡丹」ほど面白くないけど、悔しいが完成度では匹敵するでしょうな。何十年も経っていても実物を鑑賞できるんですもの映画って良いですね。
いささか唐突ですが、音楽って他の芸術みたいに現物を残せないですよね。録音が発明されてからも音源すら残っていない尺八の名人は大勢います。でも弟子達が心と心を媒体にして受け継いでいってるんですよ・
まさに「誰が為に鐘は鳴る」で、ゲーリー・クーパーがイングリッド・バークマンに言ったセリフそのもの、「ボクはキミの心の中だけでしか生きられない」。ウワー、キザ、でもカッコイイ。こんなセリフ、クーパー以外ではオイラしかサマにならない・・・。
大学3年の時、ウチのクラブの秋の定期演奏会で出した曲目でした。木稲さん、目黒さん、粟田でしたが、丁度、その時期に私も英語の講義でシェークスピアの『ソネット』をやりました。
ソネットは「14行詩」ということで、意味はベツダン難しくはないですが、原文講義ですし、古典英語ですから分かりっこないですよ。ホント、昔の大学はこういう無意味な授業がタクサン有りました。生徒はどうせ聞いていないという前提で、やる気皆無の教授が一方通行の講義をやるわけです。
「シェークスピアが大好き」という学生は私以外にも沢山いたはずですが、専攻でもないのに古典英語での読書なんて、やるわけありませんや。
私はと言えば例外的に真面目にやりました。それというのも三木先生の「ソネット」をクラブの仲間が練習していたからです。
日本尺八連盟に前に所属していた佐藤喬山先生は慶応大学の名誉教授でしたし、英語英文学の泰斗です。現在、90才を過ぎてお元気ですが、尺八はやめて連盟からも退会なさっています。
私はこの方の翻訳した本を何冊も読んでいますが、英文学者の佐藤喬と尺八の佐藤喬山とが同一人物だとは思わなかった。展示会にもお見えになりましたし、拙著もお読みいただいていて、過分なお褒めの言葉をいただきました。
この先生に、学生時代にシェークスピアの『ソネット』を読んだと言いましたら、「あれは難しいね。辞書を引いても出てない言葉がタクサン有ったでしょう」と一笑に伏されました。
英文学の大御所に笑われるような授業なんかやるな。ボケ、カス。これ半分は教授に、後の半分は自分自身に言ってるんでっせ。「勉強しなかったから?」、まだそんな寝言を言ってんの。こんなモノを原文で勉強した自分の真面目さにハラがたつんです。
大学、高校時代は原文で英語小説を読まされましたが、本を自由に選んで良い場合は、私はヘミングウェです。だって難しくないですもん・・・。モチロン内容が、ではなく文章がですぜ。
ヘミングウェイは当時は人気が有って、ズイブンと映画にもなっていましたから、私と同年輩の者の多くは見ているはずです。大学時代、神楽坂に佳作座という映画館が有って、たしか50円でした。学生相手の食堂のラーメン一杯と同じですね。
だけど、オタカクとまりやがって、当時の大学生が大好きだったヤクザ映画は上映しないのです。そのくせ名作洋画は常にかかっていて、皆それでも授業よりはマシなので、いつも学生で満員でした。そこでヘミングウェイ映画もあらかた見ました。
「誰が為に鐘は鳴る」は作られたのは太平洋戦争の最中ですぜ。ミッチェルの「風と共に去りぬ」なんて戦前の映画です。強大なアメリカの余裕を感じますな。
「網走番外地」や「唐獅子牡丹」ほど面白くないけど、悔しいが完成度では匹敵するでしょうな。何十年も経っていても実物を鑑賞できるんですもの映画って良いですね。
いささか唐突ですが、音楽って他の芸術みたいに現物を残せないですよね。録音が発明されてからも音源すら残っていない尺八の名人は大勢います。でも弟子達が心と心を媒体にして受け継いでいってるんですよ・
まさに「誰が為に鐘は鳴る」で、ゲーリー・クーパーがイングリッド・バークマンに言ったセリフそのもの、「ボクはキミの心の中だけでしか生きられない」。ウワー、キザ、でもカッコイイ。こんなセリフ、クーパー以外ではオイラしかサマにならない・・・。
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