曲の匂い
- 2016/03/27
- 22:18
食べ物の匂いを楽しむ、これって段々失っていってる面もあります。鮎や蕎麦の香を楽しむ感覚は、私達の世代で半分以上の人間が失っているのかも知れません。私達が少年時代を送った昭和30年代は、敗戦の痛みが和らいで、それまで追憶の中に有った戦前の「豊かな食文化」が形骸だけ、とりあえず復活した時代なのです。ですから蕎麦は細いウドン、ご丁寧に緑色に着色して有るモノまでありました。ですから蕎麦湯なんか出さないのが一般でした。蕎麦湯が再び何処でも出て来るようになったのって昭和がそろそろ終わりかけた頃からなんですよ。この時期に今のラーメンに圧倒される下地を作ったんです。
今では鮎も養殖、天然鮎の名産地である私の今住んでいる所でも人々はあまり食べません。苔の臭いが忘れられた感覚となったら、高いわりに大したことないですからね。
フランス料理や中華料理って匂いを楽しむことって無いんじゃ、ここまで言うと反論の嵐です。「大橋、オマエはモノを知らない。トリュフ、あるいは香菜、八角を知らねえのかよ」。
ですから匂いって楽しんでいないのではないですかね?。ここは私も本当に疑問なので強弁はしません。
ウナギや朝鮮焼肉なんかは、店の外に流れてくる臭いで客は暖簾をくぐるって言いますね。私ってモロそうです。そういうのと少し意味がちがうのですよ。
その食物を口にした時、何とはなしに季節を感じさせる、その匂いで次々とイメージが繋がって沸いてくる、幼い日の郷愁すら抱かせる、そういう楽しみ方ですよ。何かの臭い消しとか香や香水の様に匂いが主体でもないんです。
これ、この感覚、音楽でも有ると思いませんか。前に三代都山が岩清水八幡での尺八献奏「春風」を聴いていて「春の匂いをふと感じた」と楽報に書いていましたが、妙に同感しました。
私は「秋の言葉」や「嵯峨の秋」に秋草の匂いを感じるんです。宮城曲「瀬音」で水の匂いを感じませんか?題名がそうだから連想するだけですかね・・・。
昔、歩いていて夏風が吹いてきて、高橋(照誠山)から、「夏草の臭いだ。大橋さんのような都会育ちだと、この感覚は分からないでしょう?」と言われました。
お生憎さま。六本木でも有名なシャレ者だった私ですがね、育ったのは二子玉川、東京って言っても見渡す限り田園風景だったんです。ダイイチ六本木だって、1975年当時には馬場をはじめプロレスラーが使っていた駐車場だって草茫々の空き地でしたよ。
その河童の言っていた「風の運んでくる草いきれ」の臭いは十分に分かります。
ボクシングを見ていて顔面にストレートパンチが決まったシーンで、鼻の奥にツーンと火薬の臭いがしたことって有りませんか。テレビで読経を聞いていた時にフト線香の臭いを感じたり・・・。
アルチュール・ランボーの詩ですが音と色が結び着くのが有ります。「Aは黒、Iは赤、Eは白…」ってヤツ。大学時代の心理学の授業で「人間の特殊な感覚の一つ」と教わりました。
一つの感覚が別の感情を引き出して行くのは、別に邦楽に限らないと思いますが、音が臭いに結びつく感覚は私は邦楽より他には今のところ感じた事が無いのです。
これって、あまり言う人はいませんが、日本人にとっての邦楽や尺八の特徴なのでは?。どう思います?。日本の風土に暮らした我々の諸々の匂いの記憶が音で心の奥から頭を出すのかも知れません。
今では鮎も養殖、天然鮎の名産地である私の今住んでいる所でも人々はあまり食べません。苔の臭いが忘れられた感覚となったら、高いわりに大したことないですからね。
フランス料理や中華料理って匂いを楽しむことって無いんじゃ、ここまで言うと反論の嵐です。「大橋、オマエはモノを知らない。トリュフ、あるいは香菜、八角を知らねえのかよ」。
ですから匂いって楽しんでいないのではないですかね?。ここは私も本当に疑問なので強弁はしません。
ウナギや朝鮮焼肉なんかは、店の外に流れてくる臭いで客は暖簾をくぐるって言いますね。私ってモロそうです。そういうのと少し意味がちがうのですよ。
その食物を口にした時、何とはなしに季節を感じさせる、その匂いで次々とイメージが繋がって沸いてくる、幼い日の郷愁すら抱かせる、そういう楽しみ方ですよ。何かの臭い消しとか香や香水の様に匂いが主体でもないんです。
これ、この感覚、音楽でも有ると思いませんか。前に三代都山が岩清水八幡での尺八献奏「春風」を聴いていて「春の匂いをふと感じた」と楽報に書いていましたが、妙に同感しました。
私は「秋の言葉」や「嵯峨の秋」に秋草の匂いを感じるんです。宮城曲「瀬音」で水の匂いを感じませんか?題名がそうだから連想するだけですかね・・・。
昔、歩いていて夏風が吹いてきて、高橋(照誠山)から、「夏草の臭いだ。大橋さんのような都会育ちだと、この感覚は分からないでしょう?」と言われました。
お生憎さま。六本木でも有名なシャレ者だった私ですがね、育ったのは二子玉川、東京って言っても見渡す限り田園風景だったんです。ダイイチ六本木だって、1975年当時には馬場をはじめプロレスラーが使っていた駐車場だって草茫々の空き地でしたよ。
その河童の言っていた「風の運んでくる草いきれ」の臭いは十分に分かります。
ボクシングを見ていて顔面にストレートパンチが決まったシーンで、鼻の奥にツーンと火薬の臭いがしたことって有りませんか。テレビで読経を聞いていた時にフト線香の臭いを感じたり・・・。
アルチュール・ランボーの詩ですが音と色が結び着くのが有ります。「Aは黒、Iは赤、Eは白…」ってヤツ。大学時代の心理学の授業で「人間の特殊な感覚の一つ」と教わりました。
一つの感覚が別の感情を引き出して行くのは、別に邦楽に限らないと思いますが、音が臭いに結びつく感覚は私は邦楽より他には今のところ感じた事が無いのです。
これって、あまり言う人はいませんが、日本人にとっての邦楽や尺八の特徴なのでは?。どう思います?。日本の風土に暮らした我々の諸々の匂いの記憶が音で心の奥から頭を出すのかも知れません。
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