グルメ本
- 2016/03/28
- 22:31
昔、弟の工場で働いていた中国人達に尺八の会でアシスタントをやってもらったので、その後、中華料理を奢りました。随園という店でしたが、一緒に行った仲間の日本人に「隋王朝の料理がナントカ」とか解説を始めたので思わず吹き出しました。「チンさん、『随園食単』を知らないの?」。シンニュウが有ると無いでは大違い・・・。
これには事情が有って文化大革命の時代に少年、青年期を送った中国人は歴史や伝統文化の事はほとんど知らなかったのです。偏っていると言いますか、アヘン戦争からの事は良く知っていました。
でも今の中国人はとても良く自国について知っていますから誤解無きように。中国の歴史知識でも日本の受験間際の高校生に匹敵するかも知れません。
ですので、この清時代に袁枚の書いた著名なグルメ本も知っています。
日本は今、グルメ本が氾濫しています。コンビニに行くと美味い店の紹介本とかマンガの単行本でも食べ物を扱ったものが結構出ていて、良い時代になったもんだと嬉しくなりますし、もう若い頃みたいな食欲の無い私には、ただただ羨ましく思います。
日本最初のグルメ本が何かは浅学にして知りませんが、20世紀早々には報知新聞の記者だった村井弦斎が『食道楽』を書いていますから、このくらいまで時代が下がると、一般庶民にも食べ物についての関心が出てきたのでしょう。私の学生時代までは「おとわ屋」という食堂が結構有りましたが、『食道楽』の主人公、お登和さんにちなんでいることは言うまでもありません。
その後の悲惨な時代、昭和の大戦を挟んだ20年くらいは食べ物は「空腹を満たす物」でしょう。
昭和40年くらいから贅沢を楽しめる世相になりましたがね、でも、今のように漫画で美味や美味い店を扱うようなことは、私の少年、青年時代には無かったと思います。
『美味しんぼ』という漫画が出たのは昭和60年頃で、何ですかその後、急に「グルメブーム」になった様な気がします。何にしろ食べ物の味やウンチクを楽しめる平和で豊かな良い時代になったということです。
私が大学に入った頃は、もう敗戦の痛手を完全に脱していましたが、流石に大学生がグルメ本を買って食べ歩きするまではいきませんわ。
それでも法政大学三曲会というのは、私の代は食いしん坊が揃っていて、金は無いくせに結構「食い歩き」をしていました。私は東京生まれの東京育ちなので、地方出身者の多い三曲会にあって、美味い店を知ってるだろうと買い被られていました。そりゃあ東京の店についてですから地方出よりは知っていますが、大学生までに行った店なんて高が知れた数ですよ。後は聞きかじりで耳にした店に案内しました。
それでも両国森下町のみの屋(馬肉)、浅草の駒形どぜう(泥鰌汁)、新宿の栃木屋(猪、鹿、熊)、登亭(ウナギ)、クジラ会館とか行きましたし、またそういう店は当時は学生の握りしめた銭でも食べられたんです。
そのうちに食い意地のはった林(嵐山)が『東京名店案内』とかを買ってきたので、皆の行動範囲は一層広がりました。
行くか。そう声をかけると、たいてい少ない時で3,4人、多ければ10人近くになりました。「オレ、今金ない」って言えば誰かが出す、まるで法政の三曲会って共産部落みてえじゃねえかい・・・。
皆さんにお聞きしたい。尺八、邦楽でも良いですが、グルメ本みたいに面白く解説したものを読んだ記憶って御有りですか?筋立ての面白いマンガでなくともグルメ本って興味の有る者には面白い。
邦楽の曲の鑑賞の手引きというより曲の解説書がほとんどですね。ですから、ことに尺八を吹いている人って曲の内容にはチンプンカンプンです。私もそうですよ。嘘だと思ったら、誰かに「ままの川」の歌詞を聞いてみて。
これまでは古曲の題名や歌詞の意味には「あまりとらわれるな」という青木先生や中井猛先生の教えが有りましたから、別段それで良いと思っていましたが、演奏に濃厚に反映するかどうかは別として、やはり「夜々の星」とか「松竹梅」だとか内容を少しでも知っていた方が味わいも有るんではないですかね。
グルメ本はあくまで本ですから、いくら読んでも味は理解できないですが、料理は味だけを対象にしたものではありませんぞ。その周辺を含めて「文化」となるのと違いまっか。
邦楽や尺八だってそうですよ。ですから私は面白く解説した本が欲しいのです。それがマンガなら最高。退屈な解説書なんぞは、余程に熱意をもって学ぼうと読んだ人以外には、アタマに残りませんわ。学校の勉強と一緒・・・。
(ついでにウンチク) 聖徳太子が小野妹子を派遣した隋帝国はシンニュウが有りません。王朝の創始者・随国公、楊堅がシンニュウが有ると滑ってしまう、縁起が悪いという事で作った換字です。
初めて尺八を造った呂才が生まれたのは、おそらく(99パーセント)この王朝の時です。
これには事情が有って文化大革命の時代に少年、青年期を送った中国人は歴史や伝統文化の事はほとんど知らなかったのです。偏っていると言いますか、アヘン戦争からの事は良く知っていました。
でも今の中国人はとても良く自国について知っていますから誤解無きように。中国の歴史知識でも日本の受験間際の高校生に匹敵するかも知れません。
ですので、この清時代に袁枚の書いた著名なグルメ本も知っています。
日本は今、グルメ本が氾濫しています。コンビニに行くと美味い店の紹介本とかマンガの単行本でも食べ物を扱ったものが結構出ていて、良い時代になったもんだと嬉しくなりますし、もう若い頃みたいな食欲の無い私には、ただただ羨ましく思います。
日本最初のグルメ本が何かは浅学にして知りませんが、20世紀早々には報知新聞の記者だった村井弦斎が『食道楽』を書いていますから、このくらいまで時代が下がると、一般庶民にも食べ物についての関心が出てきたのでしょう。私の学生時代までは「おとわ屋」という食堂が結構有りましたが、『食道楽』の主人公、お登和さんにちなんでいることは言うまでもありません。
その後の悲惨な時代、昭和の大戦を挟んだ20年くらいは食べ物は「空腹を満たす物」でしょう。
昭和40年くらいから贅沢を楽しめる世相になりましたがね、でも、今のように漫画で美味や美味い店を扱うようなことは、私の少年、青年時代には無かったと思います。
『美味しんぼ』という漫画が出たのは昭和60年頃で、何ですかその後、急に「グルメブーム」になった様な気がします。何にしろ食べ物の味やウンチクを楽しめる平和で豊かな良い時代になったということです。
私が大学に入った頃は、もう敗戦の痛手を完全に脱していましたが、流石に大学生がグルメ本を買って食べ歩きするまではいきませんわ。
それでも法政大学三曲会というのは、私の代は食いしん坊が揃っていて、金は無いくせに結構「食い歩き」をしていました。私は東京生まれの東京育ちなので、地方出身者の多い三曲会にあって、美味い店を知ってるだろうと買い被られていました。そりゃあ東京の店についてですから地方出よりは知っていますが、大学生までに行った店なんて高が知れた数ですよ。後は聞きかじりで耳にした店に案内しました。
それでも両国森下町のみの屋(馬肉)、浅草の駒形どぜう(泥鰌汁)、新宿の栃木屋(猪、鹿、熊)、登亭(ウナギ)、クジラ会館とか行きましたし、またそういう店は当時は学生の握りしめた銭でも食べられたんです。
そのうちに食い意地のはった林(嵐山)が『東京名店案内』とかを買ってきたので、皆の行動範囲は一層広がりました。
行くか。そう声をかけると、たいてい少ない時で3,4人、多ければ10人近くになりました。「オレ、今金ない」って言えば誰かが出す、まるで法政の三曲会って共産部落みてえじゃねえかい・・・。
皆さんにお聞きしたい。尺八、邦楽でも良いですが、グルメ本みたいに面白く解説したものを読んだ記憶って御有りですか?筋立ての面白いマンガでなくともグルメ本って興味の有る者には面白い。
邦楽の曲の鑑賞の手引きというより曲の解説書がほとんどですね。ですから、ことに尺八を吹いている人って曲の内容にはチンプンカンプンです。私もそうですよ。嘘だと思ったら、誰かに「ままの川」の歌詞を聞いてみて。
これまでは古曲の題名や歌詞の意味には「あまりとらわれるな」という青木先生や中井猛先生の教えが有りましたから、別段それで良いと思っていましたが、演奏に濃厚に反映するかどうかは別として、やはり「夜々の星」とか「松竹梅」だとか内容を少しでも知っていた方が味わいも有るんではないですかね。
グルメ本はあくまで本ですから、いくら読んでも味は理解できないですが、料理は味だけを対象にしたものではありませんぞ。その周辺を含めて「文化」となるのと違いまっか。
邦楽や尺八だってそうですよ。ですから私は面白く解説した本が欲しいのです。それがマンガなら最高。退屈な解説書なんぞは、余程に熱意をもって学ぼうと読んだ人以外には、アタマに残りませんわ。学校の勉強と一緒・・・。
(ついでにウンチク) 聖徳太子が小野妹子を派遣した隋帝国はシンニュウが有りません。王朝の創始者・随国公、楊堅がシンニュウが有ると滑ってしまう、縁起が悪いという事で作った換字です。
初めて尺八を造った呂才が生まれたのは、おそらく(99パーセント)この王朝の時です。
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