尺八と音感
- 2016/03/29
- 23:00
私は人を羨んだりはしない方、と言うよりほとんどしないのです。人は人、オレはオレと思っていますから。でも例外的に音感の凄く良い人は羨ましいですね。自分が音感が良くないだけに、そういう人って無条件に尊敬したりします。
邦山会の宮坂鐘山は私の中学高校時代の同級生です。若い頃から修学旅行なんかで観光バスのマイクを握って、顔に似合わない甘い非現実的(宮坂には)な歌ばかり歌っていました。当時の高校生は音痴が多く、宮坂ていどの音感でも喝采を浴びていましたよ。
オマエは?って。指名されれば浪花節を唸りました。イヤガラセですよ、分かるでしょう・・・。「指名なんかすんじゃねえ」。
その私がねえ、尺八なんて予想もしなかったモノを大学に入ってやることになり、必然とも思わないけど数十年それで生活しています。
クラブに入って尺八を吹いて、まず思った事。「良かったー、勝手に音を出してくれるから音感の良くないオレッチにも出来る」。
これがトンデモナイ間違いだったと分かるまでには、そんなに時間は必要なかったですね。「ドヒャ~、尺八ってピアノじゃない。むしろトロンボーンだ」。
クラブの先輩、同僚で音感が抜群に良かったのは木稲さん、村上さん。後、そこそこ良い者はいましたが取り立てて言うほどのレベルではありませんでした。
この二人は群を抜いて良かったですね。木稲さんは歌手のオーディションを受けましたが、顔で落ちました。村上さんはと言えば顔も良いのですが、引っ込み思案な性格ですから、持って生まれた音感で商売しようとは考えなかったようです。
考えてみると、モノゴトをあまり難しく考えない私みたいな性格の方が、尺八みたいな自由業には向いていますよ。
「それでオマエは尺八で喰えると思ってたか?」ですって。アタリメエよ。自分と天才三塚幸彦がタッグを組むんだから尺八界に「大変な事が起こる」と本気で思っていました。
40年前だと演奏も製管もプロの皆さま、たいへん未熟な技術の方が多く、オカゲで夢を見させてもらいました。
私は卒業してからも10年、大學のクラブに行ってましたが、その間で目についた才能というと田中恥山です。音感、センス、容姿、アタマの良さ等、総合的には私の見た範囲のウチのクラブの者では最もプロの可能性が有りました。
邦星堂の創業期に、しばらく尺八を作ってもらいましたが、調律するのにチューナーの必要が無いのです。
確認するとツ、つまり短3度のみ常に10パーセント低く採っていました。これが恥山の耳のクセ、同時に限界でした。「平均律」を求められる局面でも単独では採れないということです。
今の若い尺八のプロに比べて昔の大家の音程はきっと良いとは言えないのでしょう。青木先生が「尺八史上最高の名人」と絶賛する三世荒木古童の音源を聴くとチが高いですね。三本会でも山本邦山がいても音が合わないことが有ったのは当時の者は皆知っています。山口五郎も平成の初め数年ぶりでナマを聴いて「オヤ」と思うほどリ(短7度音程)が高かった。
でも、このクラスの大家は、自分なりの耳クセを鍛練で「なんとか節」と言うか、魅力的な個性にまで高めていました。
宮田耕八朗とか私の師匠の坂田誠山の様に、洋楽のプロ並みの音感を持つ人って昔の尺八界では珍しかったんですよ。
今、初心者の段階でチューナーを目の前に置いて吹くことが良いとされていますね。私は疑問なんですよ。初心者でチューナーの針が真ん中に行くわけないですよ。その為に極端なカリ吹きになっている人がいるじゃありませんか。
まず、しっかり吹き込んで尺八の音を造る事が大切だと思いますがね。今の尺八は、プロが作った物ならば、しっかり音が出ていれば音程は正確に確保できますが・・・。
邦山会の宮坂鐘山は私の中学高校時代の同級生です。若い頃から修学旅行なんかで観光バスのマイクを握って、顔に似合わない甘い非現実的(宮坂には)な歌ばかり歌っていました。当時の高校生は音痴が多く、宮坂ていどの音感でも喝采を浴びていましたよ。
オマエは?って。指名されれば浪花節を唸りました。イヤガラセですよ、分かるでしょう・・・。「指名なんかすんじゃねえ」。
その私がねえ、尺八なんて予想もしなかったモノを大学に入ってやることになり、必然とも思わないけど数十年それで生活しています。
クラブに入って尺八を吹いて、まず思った事。「良かったー、勝手に音を出してくれるから音感の良くないオレッチにも出来る」。
これがトンデモナイ間違いだったと分かるまでには、そんなに時間は必要なかったですね。「ドヒャ~、尺八ってピアノじゃない。むしろトロンボーンだ」。
クラブの先輩、同僚で音感が抜群に良かったのは木稲さん、村上さん。後、そこそこ良い者はいましたが取り立てて言うほどのレベルではありませんでした。
この二人は群を抜いて良かったですね。木稲さんは歌手のオーディションを受けましたが、顔で落ちました。村上さんはと言えば顔も良いのですが、引っ込み思案な性格ですから、持って生まれた音感で商売しようとは考えなかったようです。
考えてみると、モノゴトをあまり難しく考えない私みたいな性格の方が、尺八みたいな自由業には向いていますよ。
「それでオマエは尺八で喰えると思ってたか?」ですって。アタリメエよ。自分と天才三塚幸彦がタッグを組むんだから尺八界に「大変な事が起こる」と本気で思っていました。
40年前だと演奏も製管もプロの皆さま、たいへん未熟な技術の方が多く、オカゲで夢を見させてもらいました。
私は卒業してからも10年、大學のクラブに行ってましたが、その間で目についた才能というと田中恥山です。音感、センス、容姿、アタマの良さ等、総合的には私の見た範囲のウチのクラブの者では最もプロの可能性が有りました。
邦星堂の創業期に、しばらく尺八を作ってもらいましたが、調律するのにチューナーの必要が無いのです。
確認するとツ、つまり短3度のみ常に10パーセント低く採っていました。これが恥山の耳のクセ、同時に限界でした。「平均律」を求められる局面でも単独では採れないということです。
今の若い尺八のプロに比べて昔の大家の音程はきっと良いとは言えないのでしょう。青木先生が「尺八史上最高の名人」と絶賛する三世荒木古童の音源を聴くとチが高いですね。三本会でも山本邦山がいても音が合わないことが有ったのは当時の者は皆知っています。山口五郎も平成の初め数年ぶりでナマを聴いて「オヤ」と思うほどリ(短7度音程)が高かった。
でも、このクラスの大家は、自分なりの耳クセを鍛練で「なんとか節」と言うか、魅力的な個性にまで高めていました。
宮田耕八朗とか私の師匠の坂田誠山の様に、洋楽のプロ並みの音感を持つ人って昔の尺八界では珍しかったんですよ。
今、初心者の段階でチューナーを目の前に置いて吹くことが良いとされていますね。私は疑問なんですよ。初心者でチューナーの針が真ん中に行くわけないですよ。その為に極端なカリ吹きになっている人がいるじゃありませんか。
まず、しっかり吹き込んで尺八の音を造る事が大切だと思いますがね。今の尺八は、プロが作った物ならば、しっかり音が出ていれば音程は正確に確保できますが・・・。
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