刺青
- 2016/03/30
- 20:58
私に限らず昔ものにとって刺青は珍しくないでしょう。戦後15年くらいまでの東京の家には風呂が無く、銭湯に行くのが普通でした。その頃は「刺青お断り」なんて時代ではなかったので、実に見事なクリカラモンモンをショッチュウ見る事が出来ました。
別にヤクザ者とは限らず鳶や職工でも体に墨を入れている者はいました。もっとも前職はヤクザだったのかも知れません。
「見るんじゃない」と言われた事も無ければ、ソバに近寄らないという感じでもない。どのオトナも普通の風景として受け入れていました。
その時代のオトナは、戦争を潜って来ていましたので、度胸は据わっていましたね。刺青なんかではビビりませんわ。
私が小学校の低学年だったころです。「マムシのカンチャン」と呼ばれていた若いヤクザ者が子供達に人気が有りました。話してくれる事は喧嘩とか恐喝の話ばかりなので、私もすっかり尊敬していました。まあ今にして思えば、年甲斐もなく子供達を相手に自慢話をしているのですからヤクザと言うより、タダの与太者だったのかも知れません。
有る時、頭をツル坊主にしていたのでアダナの謂れが分かりました。、普段は髪に隠れていた頭頂部から首にかけてマムシの入れ墨が入っていました。喧嘩や恐喝の大仕事が有ると床屋に行ってツルツルに頭を剃るそうです。
当時の子供がヤクザに憧れたのは当然ですよ。その時分のカタギのオトナって薄汚れたナッパ服を着て汗まみれで働いていました。一方でヤクザはと言えば、パリっとした格好で昼日中からブラブラしているんですもの・・・。
私が中学に上がった年に、近所で安藤組の大幹部、有名な花形敬が東声会の組員に刺殺されましたが、花形は白の上下スーツに白い帽子、昭和38年ですもの、女でなくたって憧れますよ。
大学時代は何と言ってもヤクザ映画です。「小脇に朝日ジャーナル(あるいは資本論)、見るのは高倉健」と言われた時代です。大学の文化祭でも大教室で東映ヤクザ映画の5本立てを徹夜で上映していて、私も1年の時に見ました。
カッコ良かったですねえ、高倉健や鶴田浩二。立ち回りで着物がはだけて刺青がモロ出しになるんですよ。皆が憧れるシーンです。だけどその割には刺青を入れた学生はいなかったな。それはそうですよ、高倉先生が映画の中で「親にもらった肌を墨で汚して、アッシはどうしようもねえバカでござんす」とか言うんですもの、それなら「やめとこう」と思いますって。
教育映画の側面も当時の学生はチャンと鑑賞していたんですなあ・・・。
そう言えば大学を出てからしばらく後まで、三曲会で酔い潰れた者の顔にキン玉や男根の入れ墨を入れるのがハヤリました。勿論マジックインキですよ。飲み屋で入れられると、帰りの電車の中ではサラシモノですな。
背中にデカデカと男根をマジックで書かれたヤツ、翌日知らずに銭湯に行って生き恥をかいたらしく、私に掴みかかって来ましたわ。何で非人道的なイタズラは全部私がやった事にされるんですかね。その件については天地神明にかけて、私がやりました。
尺八に彫りをいれる人が前はいました。人生訓とか梵字、あるいは花なんか入れていましたね。これまで私が見たうちで一番凄かったのは1尺8寸管の全面に蘇軾の「前赤壁の賦」が鉄筆で彫られていました。500字以上ですが大きさの揃った楷書で余白無しに彫られていたんですからプロの仕事です。香川県の岡本という人が所有していましたが、その前の持ち主がタブン今の金額にして10~20万円くらいかけて彫ったんですね。
表面に咆哮する虎や入雲龍を彫刻した尺八も見たことが有りますし、亡くなった片山大士さんは私から買った2尺3寸の全面に蔦の彫刻をほどこし、「こういうの売れますよ」と宣伝していましたが、買った人など知りません。ホントかウソか、20万かけて彫ってもらったという事ですから、真似する人がいるとは思えませんよ。
中国の洞簫では彫刻や絵を入れるのは一般的ですがね、私は尺八に入れる趣味が良く分からないのですよ。個人の嗜好ですから私がトヤカク言う事ではないですがね。
「掘りを入れると割れなくなる」とか「音が良くなる」とか真顔で言う人が昔はいましたが、表面をどう加工しようと音には何の影響も有りません。念の為。
別にヤクザ者とは限らず鳶や職工でも体に墨を入れている者はいました。もっとも前職はヤクザだったのかも知れません。
「見るんじゃない」と言われた事も無ければ、ソバに近寄らないという感じでもない。どのオトナも普通の風景として受け入れていました。
その時代のオトナは、戦争を潜って来ていましたので、度胸は据わっていましたね。刺青なんかではビビりませんわ。
私が小学校の低学年だったころです。「マムシのカンチャン」と呼ばれていた若いヤクザ者が子供達に人気が有りました。話してくれる事は喧嘩とか恐喝の話ばかりなので、私もすっかり尊敬していました。まあ今にして思えば、年甲斐もなく子供達を相手に自慢話をしているのですからヤクザと言うより、タダの与太者だったのかも知れません。
有る時、頭をツル坊主にしていたのでアダナの謂れが分かりました。、普段は髪に隠れていた頭頂部から首にかけてマムシの入れ墨が入っていました。喧嘩や恐喝の大仕事が有ると床屋に行ってツルツルに頭を剃るそうです。
当時の子供がヤクザに憧れたのは当然ですよ。その時分のカタギのオトナって薄汚れたナッパ服を着て汗まみれで働いていました。一方でヤクザはと言えば、パリっとした格好で昼日中からブラブラしているんですもの・・・。
私が中学に上がった年に、近所で安藤組の大幹部、有名な花形敬が東声会の組員に刺殺されましたが、花形は白の上下スーツに白い帽子、昭和38年ですもの、女でなくたって憧れますよ。
大学時代は何と言ってもヤクザ映画です。「小脇に朝日ジャーナル(あるいは資本論)、見るのは高倉健」と言われた時代です。大学の文化祭でも大教室で東映ヤクザ映画の5本立てを徹夜で上映していて、私も1年の時に見ました。
カッコ良かったですねえ、高倉健や鶴田浩二。立ち回りで着物がはだけて刺青がモロ出しになるんですよ。皆が憧れるシーンです。だけどその割には刺青を入れた学生はいなかったな。それはそうですよ、高倉先生が映画の中で「親にもらった肌を墨で汚して、アッシはどうしようもねえバカでござんす」とか言うんですもの、それなら「やめとこう」と思いますって。
教育映画の側面も当時の学生はチャンと鑑賞していたんですなあ・・・。
そう言えば大学を出てからしばらく後まで、三曲会で酔い潰れた者の顔にキン玉や男根の入れ墨を入れるのがハヤリました。勿論マジックインキですよ。飲み屋で入れられると、帰りの電車の中ではサラシモノですな。
背中にデカデカと男根をマジックで書かれたヤツ、翌日知らずに銭湯に行って生き恥をかいたらしく、私に掴みかかって来ましたわ。何で非人道的なイタズラは全部私がやった事にされるんですかね。その件については天地神明にかけて、私がやりました。
尺八に彫りをいれる人が前はいました。人生訓とか梵字、あるいは花なんか入れていましたね。これまで私が見たうちで一番凄かったのは1尺8寸管の全面に蘇軾の「前赤壁の賦」が鉄筆で彫られていました。500字以上ですが大きさの揃った楷書で余白無しに彫られていたんですからプロの仕事です。香川県の岡本という人が所有していましたが、その前の持ち主がタブン今の金額にして10~20万円くらいかけて彫ったんですね。
表面に咆哮する虎や入雲龍を彫刻した尺八も見たことが有りますし、亡くなった片山大士さんは私から買った2尺3寸の全面に蔦の彫刻をほどこし、「こういうの売れますよ」と宣伝していましたが、買った人など知りません。ホントかウソか、20万かけて彫ってもらったという事ですから、真似する人がいるとは思えませんよ。
中国の洞簫では彫刻や絵を入れるのは一般的ですがね、私は尺八に入れる趣味が良く分からないのですよ。個人の嗜好ですから私がトヤカク言う事ではないですがね。
「掘りを入れると割れなくなる」とか「音が良くなる」とか真顔で言う人が昔はいましたが、表面をどう加工しようと音には何の影響も有りません。念の為。
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