村上浪六
- 2016/04/01
- 00:23
私の大学時代は法政大学文学部の看板教授は第一に小田切秀雄先生でした。この先生は有名人だけに鼻っ柱も強く、また活気の有る講義でした。
ただ、この教授はサヨクです。講義の合間に述べる私見の内容もモロ偏っていました。別に大学ですから良いんですが、私はサヨク嫌いでしたから、この教授の言ってることに賛同できませんでした。それでも大学も1年、それも前期ですから、まだ大学を買い被っていますから、いかな私でも、ある程度は真面目に出ましたわ。
小田切先生の主張で今も心にズシーンと響いている事。
「明治中期に村上浪六という小説家がいた。その頃、たとえば森鴎外だと500部。それが村上浪六だとダイタイ出せば20万部。でも今その名前を知っている人はいない。一方の鴎外は、どの作品も売れ続けて初期の『みなわ集』だけ見ても100万部は越えている」。
良く分かります。芸術は時間的にも勝負しているんですね。
この理屈を邦楽に当て嵌めるとモット良く分かります。「六段」、「千鳥」、「春の海」なんかだと譜面やレコード、テープ、ⅭⅮなんかの通算は大変な数になりましょう。大ヒットを記録したという歌謡曲だって累積ではチョットかなわないでしょうよ。
さらに今は時間に加えて空間でも勝負です。ユーチューブだと全世界に配信されますから、和楽器バンドの再生回数3700万回とか、一発で「春の海」の通算をすら抜いてしまうのです。
今、尺八界も長い間望んで已まなかった本格的なガチ勝負の時代、何でも有、なんでもОKの時代の幕が上がりました。
こういう時代は「売れない原因」も「食えないわけ」も全て自分に責任を帰納できますから、歎くことはあってもブーたれることはないでしょう。
「売れる」、「食える」ことに重要性を求めない人も当然いますわな、それも生き方です。自分自身、歴史、時間との勝負は別に有りますからね。
こういう混沌の状態になって初めて尺八も芸術もノビノビと動きだし、真の輝きを見せますね。自分の思った通り好き放題に活動する尺八家、主として若い層でしょうが、その一方で「古さ」こそ値打ち有るモノとして頑固に守る尺八家がいる、その中間にも無数の段階レベルが有り、それらは、ある場面ではバカにしあい、反発し、また、ある時には部分的に分かりあい、協力関係に入る。イヤー、堪りませんな。早くそうなって欲しい。
ただ、この教授はサヨクです。講義の合間に述べる私見の内容もモロ偏っていました。別に大学ですから良いんですが、私はサヨク嫌いでしたから、この教授の言ってることに賛同できませんでした。それでも大学も1年、それも前期ですから、まだ大学を買い被っていますから、いかな私でも、ある程度は真面目に出ましたわ。
小田切先生の主張で今も心にズシーンと響いている事。
「明治中期に村上浪六という小説家がいた。その頃、たとえば森鴎外だと500部。それが村上浪六だとダイタイ出せば20万部。でも今その名前を知っている人はいない。一方の鴎外は、どの作品も売れ続けて初期の『みなわ集』だけ見ても100万部は越えている」。
良く分かります。芸術は時間的にも勝負しているんですね。
この理屈を邦楽に当て嵌めるとモット良く分かります。「六段」、「千鳥」、「春の海」なんかだと譜面やレコード、テープ、ⅭⅮなんかの通算は大変な数になりましょう。大ヒットを記録したという歌謡曲だって累積ではチョットかなわないでしょうよ。
さらに今は時間に加えて空間でも勝負です。ユーチューブだと全世界に配信されますから、和楽器バンドの再生回数3700万回とか、一発で「春の海」の通算をすら抜いてしまうのです。
今、尺八界も長い間望んで已まなかった本格的なガチ勝負の時代、何でも有、なんでもОKの時代の幕が上がりました。
こういう時代は「売れない原因」も「食えないわけ」も全て自分に責任を帰納できますから、歎くことはあってもブーたれることはないでしょう。
「売れる」、「食える」ことに重要性を求めない人も当然いますわな、それも生き方です。自分自身、歴史、時間との勝負は別に有りますからね。
こういう混沌の状態になって初めて尺八も芸術もノビノビと動きだし、真の輝きを見せますね。自分の思った通り好き放題に活動する尺八家、主として若い層でしょうが、その一方で「古さ」こそ値打ち有るモノとして頑固に守る尺八家がいる、その中間にも無数の段階レベルが有り、それらは、ある場面ではバカにしあい、反発し、また、ある時には部分的に分かりあい、協力関係に入る。イヤー、堪りませんな。早くそうなって欲しい。
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