ヤクザ映画
- 2014/11/18
- 18:21
ヤクザ映画はよろしいな。ただ家内が嫌がるので、人から「どんな映画をよくご覧になるんですか?」と聞かれた時は「文芸作品などを・・・」と答えています。
今月10日に亡くなった高倉健は私の大学時代、鶴田浩二と並ぶヤクザ映画の大スターでした。当時は「小脇にジャーナル、見るは高倉」というのが大学生のトレンドと言われていたものです。朝日ジャーナルのかわりに「資本論」という場合もありますが、高倉健にかえて鶴田浩二と言われることは無かったと思います。
高倉健や美空ひばりが山口組三代目組長だった田岡一雄のお気に入りだったことは広く知られていますが、その頃は今に比べて、ずっとユルイ時代ですから、高倉健や鶴田浩二、それどころか大方の芸能人にヤクザとの交友が有ったところで別に問題に成らなかったのです。でも美空ひばりのように実の弟がモノホンヤクザで、警察の再三の警告を無視して興行に同行、時に舞台に上がるとなると流石に許容範囲を越えるようです。
大学生も行儀の悪さは今の比では無く、飲み屋などでは「アイツら、ドカタやヤクザより始末が悪い」とか言われていたものです。ドカタは職業ですから別に悪く言われる筋合いは無いのですが、大学生は親のスネカジリのくせに、やりたい放題、盛り場でピラチン相手に喧嘩して、ノシタ、ノサレタの「天ぷら学生」も珍しくない時代でした。その点で私の母校・法政大学は「名門」です。自慢じゃないが現役大学生でいながら渋谷、赤坂でモノホンヤクザとして肩で風を切っていた安藤組の組長・安藤昇がいたんですからね。
もっと自慢にゃならないが大学2年の時にモノホンをやり「安藤昇以来の伝統」を守ったのが他ならぬ私ですわ。
何しろメットにゲバ棒で機動隊と殴りあって、あげく留置されたことを自慢にしていて、それでも前科さえ貰わなければ普通に就職できたのですから、良い悪いは別にして、マア気楽な時代でしたわな。それにしても、あの気の荒かったオニイサン達、今は良いお父さんになって自分の息子に、人の道や社会人としての自覚を説いているんでしょうか?
高倉センセイがエラクなりすぎてヤクザ映画にお出にならなくなって、代わってヤクザ映画の主役に躍り出たのが菅原文太です。この文太兄さんに私はインタビューを依頼したことが有ります。インタビュアーは今の「邦楽ジャーナル」社長の田中さんで、今は無い「季刊邦楽」に載っています。1982年春号です。
菅原文太は「あまり邦楽は聴いたことは無い」と言っていましたが、そこはオトナ、「でも尺八とか箏、良いよね・・・」とマアこれは私達に対するサービスですわな。
文太さんもその頃、ヤクザのパーティに出てマスコミに叩かれていました。世の中は段々ヤクザに、そしてお友達芸能人にとって厳しくなって行きくました。
今月10日に亡くなった高倉健は私の大学時代、鶴田浩二と並ぶヤクザ映画の大スターでした。当時は「小脇にジャーナル、見るは高倉」というのが大学生のトレンドと言われていたものです。朝日ジャーナルのかわりに「資本論」という場合もありますが、高倉健にかえて鶴田浩二と言われることは無かったと思います。
高倉健や美空ひばりが山口組三代目組長だった田岡一雄のお気に入りだったことは広く知られていますが、その頃は今に比べて、ずっとユルイ時代ですから、高倉健や鶴田浩二、それどころか大方の芸能人にヤクザとの交友が有ったところで別に問題に成らなかったのです。でも美空ひばりのように実の弟がモノホンヤクザで、警察の再三の警告を無視して興行に同行、時に舞台に上がるとなると流石に許容範囲を越えるようです。
大学生も行儀の悪さは今の比では無く、飲み屋などでは「アイツら、ドカタやヤクザより始末が悪い」とか言われていたものです。ドカタは職業ですから別に悪く言われる筋合いは無いのですが、大学生は親のスネカジリのくせに、やりたい放題、盛り場でピラチン相手に喧嘩して、ノシタ、ノサレタの「天ぷら学生」も珍しくない時代でした。その点で私の母校・法政大学は「名門」です。自慢じゃないが現役大学生でいながら渋谷、赤坂でモノホンヤクザとして肩で風を切っていた安藤組の組長・安藤昇がいたんですからね。
もっと自慢にゃならないが大学2年の時にモノホンをやり「安藤昇以来の伝統」を守ったのが他ならぬ私ですわ。
何しろメットにゲバ棒で機動隊と殴りあって、あげく留置されたことを自慢にしていて、それでも前科さえ貰わなければ普通に就職できたのですから、良い悪いは別にして、マア気楽な時代でしたわな。それにしても、あの気の荒かったオニイサン達、今は良いお父さんになって自分の息子に、人の道や社会人としての自覚を説いているんでしょうか?
高倉センセイがエラクなりすぎてヤクザ映画にお出にならなくなって、代わってヤクザ映画の主役に躍り出たのが菅原文太です。この文太兄さんに私はインタビューを依頼したことが有ります。インタビュアーは今の「邦楽ジャーナル」社長の田中さんで、今は無い「季刊邦楽」に載っています。1982年春号です。
菅原文太は「あまり邦楽は聴いたことは無い」と言っていましたが、そこはオトナ、「でも尺八とか箏、良いよね・・・」とマアこれは私達に対するサービスですわな。
文太さんもその頃、ヤクザのパーティに出てマスコミに叩かれていました。世の中は段々ヤクザに、そしてお友達芸能人にとって厳しくなって行きくました。
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