普化の後
- 2016/04/01
- 21:41
普化禅師は実在の人物だとするのが定説です。臨済録にも出てきますので、9世紀後半に生きていた禅僧で間違いないでしょう。
この人の唱えた四行の偈「明頭来明頭打 暗頭来暗頭打 四方八面来旋風打 虚空来漣架打」は尺八を吹いている人と禅に興味の有る人達の間だけで有名です。
この意味は、いろいろ言われていますが、マアその一つを紹介しますと「理屈には理屈、理外には理外、周りからワアワア言ってきたら片っ端からやっつけてしまう、空から何か言ってきたら竿で引きずり降ろしてやる」。
禅の偈などというものは興味の有る人達だけに解釈を任せておけば良いと思っていますから、他人がどの解釈を採ろうと自由ですが、トモカクこういう事を言いながら托鉢したそうです。
後半二行は無かったと言われますが、それも私を含めて一般の人にはどうでも良いことだと思います。「後半は無かった」とする根拠の「景徳傳燈録」や「祖堂集」と「臨済録」の最古の部分との資料検討になりますから、門外漢の私には分かりません。
この普化という人は寺社仏教とか僧院仏教とかの範疇に入らない個人的托鉢で生活していたことになっています。ですから日本の虚無僧に目をつけられたのですよ。
こういう士農工商の範囲に入っていない、あるいは入ってはいても人の蔑みを受けやすい職種や特殊な成立過程をもつ職種は、共通項として自らの職業の歴史の初期段階に、それなりの人物をもってきて権威付けします。
ですから尺八の思想的祖に普化を、日本に伝えた道の祖として法燈国師・覚心を持ってきたわけです。
しかも普化は後の法系を継いでいる人がいないのですから、虚無僧が何を言おうと、他の禅宗の人からは「やりやがった」と思われても、真偽のほどは「水掛け論」になります。
「嘘だとは思うが面倒だから黙っていよう」のスタンスです。オトナだもん・・・。
こういうことは「言った者が勝、やった者が勝」。昔、片山大士さんが明暗大士派を創り、周りからかなりの顰蹙をかいましたが、「それなら他の虚無僧の流れはデッチアゲじゃないのかよ」と開き直られたら論破できないでしょう。事実、彼はそう言ってましたよ。怒る人、賛同する人、同じくらいでしょうよ。でも、いずれも極く少数派ですな。大多数の人には「どうでも良い事」でしょう。
これこそ日本の柔軟構造。これが日本の強さでしょう。
ですから、もう尺八の流や会が終わったのは当然です。何が問題なのか、どうすれば良いのか、今の尺八界の大部分の人はすでに知っています。何故なら、尺八界を構成する人の9割以上は一般社会でそれなりの生活をしてきた人達です。
でも尺八は趣味でしかないので、流や会で生きている人達がどうなろうと、しょせんは他人事。
この人の唱えた四行の偈「明頭来明頭打 暗頭来暗頭打 四方八面来旋風打 虚空来漣架打」は尺八を吹いている人と禅に興味の有る人達の間だけで有名です。
この意味は、いろいろ言われていますが、マアその一つを紹介しますと「理屈には理屈、理外には理外、周りからワアワア言ってきたら片っ端からやっつけてしまう、空から何か言ってきたら竿で引きずり降ろしてやる」。
禅の偈などというものは興味の有る人達だけに解釈を任せておけば良いと思っていますから、他人がどの解釈を採ろうと自由ですが、トモカクこういう事を言いながら托鉢したそうです。
後半二行は無かったと言われますが、それも私を含めて一般の人にはどうでも良いことだと思います。「後半は無かった」とする根拠の「景徳傳燈録」や「祖堂集」と「臨済録」の最古の部分との資料検討になりますから、門外漢の私には分かりません。
この普化という人は寺社仏教とか僧院仏教とかの範疇に入らない個人的托鉢で生活していたことになっています。ですから日本の虚無僧に目をつけられたのですよ。
こういう士農工商の範囲に入っていない、あるいは入ってはいても人の蔑みを受けやすい職種や特殊な成立過程をもつ職種は、共通項として自らの職業の歴史の初期段階に、それなりの人物をもってきて権威付けします。
ですから尺八の思想的祖に普化を、日本に伝えた道の祖として法燈国師・覚心を持ってきたわけです。
しかも普化は後の法系を継いでいる人がいないのですから、虚無僧が何を言おうと、他の禅宗の人からは「やりやがった」と思われても、真偽のほどは「水掛け論」になります。
「嘘だとは思うが面倒だから黙っていよう」のスタンスです。オトナだもん・・・。
こういうことは「言った者が勝、やった者が勝」。昔、片山大士さんが明暗大士派を創り、周りからかなりの顰蹙をかいましたが、「それなら他の虚無僧の流れはデッチアゲじゃないのかよ」と開き直られたら論破できないでしょう。事実、彼はそう言ってましたよ。怒る人、賛同する人、同じくらいでしょうよ。でも、いずれも極く少数派ですな。大多数の人には「どうでも良い事」でしょう。
これこそ日本の柔軟構造。これが日本の強さでしょう。
ですから、もう尺八の流や会が終わったのは当然です。何が問題なのか、どうすれば良いのか、今の尺八界の大部分の人はすでに知っています。何故なら、尺八界を構成する人の9割以上は一般社会でそれなりの生活をしてきた人達です。
でも尺八は趣味でしかないので、流や会で生きている人達がどうなろうと、しょせんは他人事。
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