好みの推移
- 2016/04/02
- 14:13
好みって時代や地域によっても変わりますよね。でも「変わる」が単なる誤解であることも多いんでしょうな。
たとえば天平時代の「鳥毛立女屏風」、(訓読みは確定していないからマア勝手に読んでくださいや)、ここに描かれた美人達はいずれも豊満で、同じ頃の楊貴妃を連想させますね。
ですから「美人のタイプは時代によっても変わる、唐の時代はグラマーがもてはやされた」と言う人がいますが、今の時代でも極端な「デブセン」でなければ、少し太った女の人も人気が有ります。
唐の時代は周辺諸国から、とりわけ西域からの影響でエキゾチックな雰囲気が好まれ、一気に嗜好の巾が拡がった時代です。この女性に対する好みも西域からの影響だと言う人がいます。でも一方で女性のスマートさを讃えた記述も有りますから、この時代には豊満も好まれたし華奢体型もファンがいたと考えた方が辻褄が合います。たまたま楊貴妃、(クレオパトラ、松坂慶子と共に世界三大美人と言われています)、その人がグラマータイプだったと伝わりますので、その連想で誤認したと思われます。
食べ物でも江戸時代は、アッサリした物が好まれたと言います。「初鰹」とか有名ですな。でも私の様な現代の「鰹好き」は、清新でモチモチしている「初鰹」も好きですが、脂のタップリ乗った「戻り鰹」も好きなんです。
マグロだってトロが好まれたのは近代になってからで、その前はトロは捨て値だったと言います。志賀直哉の「小僧の神様」は大正八年ですが、この時代には、もう商家の主人や番頭がトロの寿司を楽しみにしています。
では明治ではトロは食べられていなかったのでしょうかしら。そんな事は有りません。値段が安くて美味いので貧乏人や学生がネギマ鍋などにして食べていたそうです。江戸の人だって「戻り鰹」やマグロのトロに舌鼓みをうっていたと私は思いますよ。
「初鰹」というのも味云々と言うよりタブンにハヤリ現象の面が強いですよ。値段がつり上がって話題をよんだだけの事でしょう。
今の人は「鰹にワサビは合わない」とか言いますが、島流しにあった生島新五郎と市川團十郎の手紙のやり取りを見ても、当時は「初鰹」の薬味はワサビです。時はワサビの本格栽培の前ですから、これも希少性が好まれたんではないですかね。ですから「通」なんかの言に惑わされずに、自分が好きなように食べれば良いんですよ。これは脱線です・・・。
つまり、高い安いは市場の価値観。それも情報が未発達で先入観や保守的嗜好が支配している市場での値段は、あまりアテにならないと言うことですね。私の好きな豚足とかモツ、スジ肉など、昔は「アリガテェ、こんなに安くて美味くて」と喜んでいたんですがね、美味さが知られた今は高くなりましたよ。事の本質は好みの変化ではなく、知られたのです。
新しいモノが入って来て、すぐ飛びつく人達がいます。私達の世代ってジャズでしょ、ロカビリーでしょ、プレスリーやビートルズ。昭和40年ころゴーゴーなんか踊っていると当時のオトナからは白い眼で見られたものですわ。
今、その人達がオトナ、もしくは老人になり、人によっては尺八なんぞを吹いています。でも、そういう時代をくぐっただけに他の音楽も同時に受け入れています。すくなくともビートルズを好きではないものの、否定する人は少数派でしょう。
こういう嘗てなかった巾広い価値観を持った人達が、今や尺八界でも圧倒的多数なのですよ。好みが移ったのではないのですよ。沢山のモノの中から自主的に選択できるようになり、好みの巾も広がり、深さも増したのです。
力強いことだと思いませんかな、これから尺八は面白くなりますよ。
たとえば天平時代の「鳥毛立女屏風」、(訓読みは確定していないからマア勝手に読んでくださいや)、ここに描かれた美人達はいずれも豊満で、同じ頃の楊貴妃を連想させますね。
ですから「美人のタイプは時代によっても変わる、唐の時代はグラマーがもてはやされた」と言う人がいますが、今の時代でも極端な「デブセン」でなければ、少し太った女の人も人気が有ります。
唐の時代は周辺諸国から、とりわけ西域からの影響でエキゾチックな雰囲気が好まれ、一気に嗜好の巾が拡がった時代です。この女性に対する好みも西域からの影響だと言う人がいます。でも一方で女性のスマートさを讃えた記述も有りますから、この時代には豊満も好まれたし華奢体型もファンがいたと考えた方が辻褄が合います。たまたま楊貴妃、(クレオパトラ、松坂慶子と共に世界三大美人と言われています)、その人がグラマータイプだったと伝わりますので、その連想で誤認したと思われます。
食べ物でも江戸時代は、アッサリした物が好まれたと言います。「初鰹」とか有名ですな。でも私の様な現代の「鰹好き」は、清新でモチモチしている「初鰹」も好きですが、脂のタップリ乗った「戻り鰹」も好きなんです。
マグロだってトロが好まれたのは近代になってからで、その前はトロは捨て値だったと言います。志賀直哉の「小僧の神様」は大正八年ですが、この時代には、もう商家の主人や番頭がトロの寿司を楽しみにしています。
では明治ではトロは食べられていなかったのでしょうかしら。そんな事は有りません。値段が安くて美味いので貧乏人や学生がネギマ鍋などにして食べていたそうです。江戸の人だって「戻り鰹」やマグロのトロに舌鼓みをうっていたと私は思いますよ。
「初鰹」というのも味云々と言うよりタブンにハヤリ現象の面が強いですよ。値段がつり上がって話題をよんだだけの事でしょう。
今の人は「鰹にワサビは合わない」とか言いますが、島流しにあった生島新五郎と市川團十郎の手紙のやり取りを見ても、当時は「初鰹」の薬味はワサビです。時はワサビの本格栽培の前ですから、これも希少性が好まれたんではないですかね。ですから「通」なんかの言に惑わされずに、自分が好きなように食べれば良いんですよ。これは脱線です・・・。
つまり、高い安いは市場の価値観。それも情報が未発達で先入観や保守的嗜好が支配している市場での値段は、あまりアテにならないと言うことですね。私の好きな豚足とかモツ、スジ肉など、昔は「アリガテェ、こんなに安くて美味くて」と喜んでいたんですがね、美味さが知られた今は高くなりましたよ。事の本質は好みの変化ではなく、知られたのです。
新しいモノが入って来て、すぐ飛びつく人達がいます。私達の世代ってジャズでしょ、ロカビリーでしょ、プレスリーやビートルズ。昭和40年ころゴーゴーなんか踊っていると当時のオトナからは白い眼で見られたものですわ。
今、その人達がオトナ、もしくは老人になり、人によっては尺八なんぞを吹いています。でも、そういう時代をくぐっただけに他の音楽も同時に受け入れています。すくなくともビートルズを好きではないものの、否定する人は少数派でしょう。
こういう嘗てなかった巾広い価値観を持った人達が、今や尺八界でも圧倒的多数なのですよ。好みが移ったのではないのですよ。沢山のモノの中から自主的に選択できるようになり、好みの巾も広がり、深さも増したのです。
力強いことだと思いませんかな、これから尺八は面白くなりますよ。
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