名人がいる(四) 後山邦秋
- 2016/04/09
- 21:28
若い時に尺八を吹き、人から上手いと言われ、自分でもマンザラでなかった人にとって、五十は一つの峠です。ここを越えてしまうと、もうプロは望めない。六十で停年を迎えてしまってからでは、もう遅い。そう考える人が多いようです。私は六十で退職金を貰ってからでも遅くないように思いますが、まあ暮らしの心配が無くなれば、早いにこしたことはないでしょう。
五十で脱サラして尺八のプロになった人は私の周囲で何人もいます。その中で最も成功した人は後山邦秋さんだと思います。初めて会ったのは2003年の暮、下関の展示会の時に訪問をうけました。
脱サラ後の相談ですが、要するに、「50になって考える事が有る。脱サラしてプロ尺八家をやりたい」という事です。
幾つかの点をお聞きしましたが、推せる点。
お子さんの手が離れた。家のローンも無い。奥さんが店をやっている。とりあえず葬儀屋から尺八で葬送の曲を吹く仕事が入る。
躊躇させる点。
山口県の下関でプロが成り立つものだろうか。その時の吹奏力ではプロに足らない。
でも音感は良いし、音も非常にキレイでした。しかも古典重視ではなく、七孔でポピュラーとか歌謡曲はじめ、古典を含めて何でも有。また頭も性格も非常に良いし、給与生活者の生活が長かったので世間の事も良く知っている。
私なんぞに出来る事は無いけど、一つだけアドヴァイスしました。世話になった人、仕事をくれた人には必ず直筆の礼状、または礼の電話をする。
「当たり前じゃねえか」と皆さんはおっしゃるでしょう。でも当たり前でないのが芸事専従者。世間知らずが多いですもん。
後山さんは絶対に成功すると思いましたね。案の定、3,4年経った時には弟子を教えきれずに新規入門者を受け入れられない状況で、希望者が空くのを待っている状態になりました。
下関市というのも地理的ハンデイではなく、むしろ長所になっています。市の派遣で中国や韓国で演奏会を開いていますし、李登輝はじめ親日派台湾政財界の大物が集う高座会の招きを受けて、これまで数回の台湾公演も行っています。
また地元で演奏会を開くと、ガチ売りで満杯になります。他にいないですからね。
古典や現代邦楽、とにかく「邦楽」ではこうなりっこ有りませんよ。でも後山さんも古典や邦楽は好きですし、希望が有ればレッスンしています。肝心なのは、ソフト自体には偏見を持たず、何でも有だということです。
彼のレッスンを受けている人には大師範クラスが何人もいますし、芸大卒もいます。また他の音楽で活躍している人もいます。
今では明らかになってしまいましたが、尺八で古典だけを吹いてきた人は音程が悪い。音楽の専門学校で学んだと言っても、
技術を磨く事とセンスを磨く事はイコールでは無い。そこの所が彼の問題視している所です。
食うために尺八を吹く事に観念的なタメライを持てば、芸術産業の重大な一面をも見落としてしまいます。「食う」には「食うセオリー」が有ります。「本物を追及していれば必ず分かってもらえる」というのが無責任な寝言だとまでは言いませんが、「本物」って古典と同義語ではないですし、「本物の追及」の為には専業化する事が必須でもありませんね。
ともかく、五十、六十の世の中を十分に理解している人が、もっと脱サラして尺八を吹いてくれると嬉しいですね・・・。
五十で脱サラして尺八のプロになった人は私の周囲で何人もいます。その中で最も成功した人は後山邦秋さんだと思います。初めて会ったのは2003年の暮、下関の展示会の時に訪問をうけました。
脱サラ後の相談ですが、要するに、「50になって考える事が有る。脱サラしてプロ尺八家をやりたい」という事です。
幾つかの点をお聞きしましたが、推せる点。
お子さんの手が離れた。家のローンも無い。奥さんが店をやっている。とりあえず葬儀屋から尺八で葬送の曲を吹く仕事が入る。
躊躇させる点。
山口県の下関でプロが成り立つものだろうか。その時の吹奏力ではプロに足らない。
でも音感は良いし、音も非常にキレイでした。しかも古典重視ではなく、七孔でポピュラーとか歌謡曲はじめ、古典を含めて何でも有。また頭も性格も非常に良いし、給与生活者の生活が長かったので世間の事も良く知っている。
私なんぞに出来る事は無いけど、一つだけアドヴァイスしました。世話になった人、仕事をくれた人には必ず直筆の礼状、または礼の電話をする。
「当たり前じゃねえか」と皆さんはおっしゃるでしょう。でも当たり前でないのが芸事専従者。世間知らずが多いですもん。
後山さんは絶対に成功すると思いましたね。案の定、3,4年経った時には弟子を教えきれずに新規入門者を受け入れられない状況で、希望者が空くのを待っている状態になりました。
下関市というのも地理的ハンデイではなく、むしろ長所になっています。市の派遣で中国や韓国で演奏会を開いていますし、李登輝はじめ親日派台湾政財界の大物が集う高座会の招きを受けて、これまで数回の台湾公演も行っています。
また地元で演奏会を開くと、ガチ売りで満杯になります。他にいないですからね。
古典や現代邦楽、とにかく「邦楽」ではこうなりっこ有りませんよ。でも後山さんも古典や邦楽は好きですし、希望が有ればレッスンしています。肝心なのは、ソフト自体には偏見を持たず、何でも有だということです。
彼のレッスンを受けている人には大師範クラスが何人もいますし、芸大卒もいます。また他の音楽で活躍している人もいます。
今では明らかになってしまいましたが、尺八で古典だけを吹いてきた人は音程が悪い。音楽の専門学校で学んだと言っても、
技術を磨く事とセンスを磨く事はイコールでは無い。そこの所が彼の問題視している所です。
食うために尺八を吹く事に観念的なタメライを持てば、芸術産業の重大な一面をも見落としてしまいます。「食う」には「食うセオリー」が有ります。「本物を追及していれば必ず分かってもらえる」というのが無責任な寝言だとまでは言いませんが、「本物」って古典と同義語ではないですし、「本物の追及」の為には専業化する事が必須でもありませんね。
ともかく、五十、六十の世の中を十分に理解している人が、もっと脱サラして尺八を吹いてくれると嬉しいですね・・・。
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