尺八の主体性
- 2016/04/11
- 22:17
1970年度の青木静夫リサイタルでの「残月」。「モノスゴイ尺八」と良くも悪くも話題になりました。もうロなんか大音量で吹くんですよ。他の音でも思いっきり鳴らすという感じでした。
それで反対派の声が挙がりました。
「三曲合奏の尺八はあんな大きな音で吹くものではない。あれでは箏や三弦の余韻が消されてしまい、曲の持ち味もなにもあったものじゃない」。
私達学生の感想はと言えば、難しく考えず、とにかくカッコ良かった。その後、競って大きな音を出そうとしたものです。
青木静夫、今の鈴慕先生ですが、尺八の主体性という事をいつも言います。
「三曲合奏は尺八が入らなくても成立する。だが尺八が入る以上は、尺八は尺八の主体性を貫くべきだ。三曲合奏は互いに楽器の個性と主体性をぶつけ合うものだと私は思う。そう考えない人は私を入れなければ良いのです」。
私は大賛成です。イヤー、惚れ惚れするなあ・・・。人がどう思おうと、自分を貫く。私が青木先生の一番好きなところです。
この青木先生の言う処を支持したのは意外にも糸方です。それは、その後の、引く手あまたぶりを見ても明らかです。
ただ、勿論この主張に良い顔をしない糸方の人もいました。松尾恵子先生のように、「いっさい尺八が入らない方が良い」とお考えの人は別にしても、三つの楽器が協調世界を造る山口五郎型の合奏を是とした人も多かったと思います。
今から振り返れば、当時はいまだ三曲合奏の模索期だったと思います。
三世荒木古童によって一応の完成を見た三曲合奏も、戦後の大会場への移行にともなう新しい在り方を探していた時期でした。日本音楽集団が実験的な三曲合奏を定期演奏会で披露したり、一部の尺八家が非ユニゾンの三曲を演じたりした時代です。また、「五孔は半音の音量が宿命的に小さくなる。でも同じ音で箏や三弦は音量が下がらない」ということで、七孔尺八で積極的に三曲合奏をやった堀井小二朗のような人もいました。
当時の邦楽は、多くの人が、音楽としてではなく、新しい試みにステレオタイプの批判をした段階にいました。「箏や三弦の余韻が聞こえない」と言ったってアナタ、千人キャパの久保講堂ですよ。戦前の「お座敷演奏」での話をしてるんじゃないのよ。
満杯の久保講堂での演奏で、尺八の音量がどうであれ、それでもなお箏の余韻が味わえるようなオカタなら、私なんぞが遠く及ぶところではありません。尺八なんぞを聞かせておくのは勿体ない・・・。
戦後の大会場の演奏は糸方にも多大な変化をもたらしました。私の学生時代には、なお戦前の邦楽界で活躍していた人が多くいらしたが、その方達は、「前は糸がもっと緩く張られていて、今のようなキツイ音はしていなかった」と口を揃えておっしゃっていました。
また、中井猛先生のおっしゃるには、音階的にも半音がもっと広く採られていた、という事です。
青木先生の持ち込んだ三曲における尺八の有り方は、間違いなく一時代を築きましたが、今また新たな吹き方に移り始めました。
旋律としての美しさに重きを置けば、ロなど特定の音の音量を上げるのは、どういうものか?。
三曲だって旧態依然ではないのです。真面目に、誠心誠意、それに取り組む人がいるかぎり、歴史は進む。
それで反対派の声が挙がりました。
「三曲合奏の尺八はあんな大きな音で吹くものではない。あれでは箏や三弦の余韻が消されてしまい、曲の持ち味もなにもあったものじゃない」。
私達学生の感想はと言えば、難しく考えず、とにかくカッコ良かった。その後、競って大きな音を出そうとしたものです。
青木静夫、今の鈴慕先生ですが、尺八の主体性という事をいつも言います。
「三曲合奏は尺八が入らなくても成立する。だが尺八が入る以上は、尺八は尺八の主体性を貫くべきだ。三曲合奏は互いに楽器の個性と主体性をぶつけ合うものだと私は思う。そう考えない人は私を入れなければ良いのです」。
私は大賛成です。イヤー、惚れ惚れするなあ・・・。人がどう思おうと、自分を貫く。私が青木先生の一番好きなところです。
この青木先生の言う処を支持したのは意外にも糸方です。それは、その後の、引く手あまたぶりを見ても明らかです。
ただ、勿論この主張に良い顔をしない糸方の人もいました。松尾恵子先生のように、「いっさい尺八が入らない方が良い」とお考えの人は別にしても、三つの楽器が協調世界を造る山口五郎型の合奏を是とした人も多かったと思います。
今から振り返れば、当時はいまだ三曲合奏の模索期だったと思います。
三世荒木古童によって一応の完成を見た三曲合奏も、戦後の大会場への移行にともなう新しい在り方を探していた時期でした。日本音楽集団が実験的な三曲合奏を定期演奏会で披露したり、一部の尺八家が非ユニゾンの三曲を演じたりした時代です。また、「五孔は半音の音量が宿命的に小さくなる。でも同じ音で箏や三弦は音量が下がらない」ということで、七孔尺八で積極的に三曲合奏をやった堀井小二朗のような人もいました。
当時の邦楽は、多くの人が、音楽としてではなく、新しい試みにステレオタイプの批判をした段階にいました。「箏や三弦の余韻が聞こえない」と言ったってアナタ、千人キャパの久保講堂ですよ。戦前の「お座敷演奏」での話をしてるんじゃないのよ。
満杯の久保講堂での演奏で、尺八の音量がどうであれ、それでもなお箏の余韻が味わえるようなオカタなら、私なんぞが遠く及ぶところではありません。尺八なんぞを聞かせておくのは勿体ない・・・。
戦後の大会場の演奏は糸方にも多大な変化をもたらしました。私の学生時代には、なお戦前の邦楽界で活躍していた人が多くいらしたが、その方達は、「前は糸がもっと緩く張られていて、今のようなキツイ音はしていなかった」と口を揃えておっしゃっていました。
また、中井猛先生のおっしゃるには、音階的にも半音がもっと広く採られていた、という事です。
青木先生の持ち込んだ三曲における尺八の有り方は、間違いなく一時代を築きましたが、今また新たな吹き方に移り始めました。
旋律としての美しさに重きを置けば、ロなど特定の音の音量を上げるのは、どういうものか?。
三曲だって旧態依然ではないのです。真面目に、誠心誠意、それに取り組む人がいるかぎり、歴史は進む。
スポンサーサイト