追い風
- 2016/04/12
- 23:03
風が吹いている。尺八に吹いてくる風は去年の後半から徐々に強まっています。でも、まだ何となく疑う気持ちも有ります。
1982年にNHKが尺八講座を始めた時、1999年に全国展示会を開始した時、はっきり手ごたえを感じました。何しろ売り上げが、それぞれ年間ペースで4倍以上になったのです。
それに較べて今のは、追い風が吹いていることは感じてもブレーク感は無いのです。
売上の内容を分析すると、カルチャー講座、新しく尺八を始める人、これが目に見えて良くなっています。外国売りは良くなったと言っても、無いに等しい昔に比べればと言うだけで、一部で買い被られているようですが、「大橋は海外市場で大儲けしている」などという事は全く有りません。
展示会は10年前、5年前と比べても完全に下火です。経費は15年前に比べて5割以上増大していますから、もし売り上げが2割減ったとしても利益率は大巾に下がります。
何かそれでもナントは無しに吹く風の暖かさ感じるのですよ。私の所に関して言えば、明らかに高揚感が出てきています。
カルチャーで人が入るのは、ここに来て尺八の良さが浸透したからだと思います。昔はと言えば、「尺八って良いなあ」と思う人の何倍も「尺八ってひでえなあ」と感じていた人がいたと思います。「良いなあ」と思っていた人も、楽器、音楽としてより、多くは尺八の音色とか雰囲気に惹かれたのだという気がします。
この頃は、上手な人が昔の何十倍もいますので、尺八に全く知識の無い人も、ヒドイのは楽器としての尺八ではなく吹く人の問題で、良い演奏も聞いた経験が有る、そういう感想を持ってくれています。
昔は何処にもいた、口だけ達者で性根の腐った尺八吹きがいなくなってしまいました。尺八にとってマイナス面が目についた人達ですが、反面、このての人の多くは、実に親切で面倒見が良く、面子を潰すようなことさえしなければ、とても良い人達でもあったのです。それに、その人達はその人達なりに、心から尺八を愛していたと思います。
尺八の音楽、楽器としての正常な発展という上からは足を引っ張った人達ですが、別のサポーターとしての面では長く尺八界を支えてくれました。
でも、明らかに狂っている音程や音痴製造機でしかない尺八を指摘され「恥をかかされた」と認識すると、もう後は何も受け付けなかったですね。ヤマアラシみたいに針を立てて、自分の殻に頑固に閉じこもりました。
私は尺八を売る必要が無かった時代には、何も支障は無かったので、随分と相手に嫌な思いもさせてしまいました。
今は、こういう事を気にすることなく、当たり前に楽器としての話をすることが出来ます。でも、私は「アヤフヤさ」も尺八というものの大きな魅力だと思うのですよ。楽器としての性能の向上、音楽的な素養の追及は大切ですが、楽しめるファジーなところが失われてしまうと風も止んでしまうのではないかと思います。「いかがわしさ」こそ広汎な人を惹きつける尺八の魅力の別な一面です。
多くの楽器はこういう部分を一方的に排除して、気がついたら純然たる楽器となってしまいました。尺八はこういう所も残さないと「楽器」としての面白さを失ってしまうのでは・・・。
ここは真剣に考えなければいけない重大な側面ではないでしょうかね。
1982年にNHKが尺八講座を始めた時、1999年に全国展示会を開始した時、はっきり手ごたえを感じました。何しろ売り上げが、それぞれ年間ペースで4倍以上になったのです。
それに較べて今のは、追い風が吹いていることは感じてもブレーク感は無いのです。
売上の内容を分析すると、カルチャー講座、新しく尺八を始める人、これが目に見えて良くなっています。外国売りは良くなったと言っても、無いに等しい昔に比べればと言うだけで、一部で買い被られているようですが、「大橋は海外市場で大儲けしている」などという事は全く有りません。
展示会は10年前、5年前と比べても完全に下火です。経費は15年前に比べて5割以上増大していますから、もし売り上げが2割減ったとしても利益率は大巾に下がります。
何かそれでもナントは無しに吹く風の暖かさ感じるのですよ。私の所に関して言えば、明らかに高揚感が出てきています。
カルチャーで人が入るのは、ここに来て尺八の良さが浸透したからだと思います。昔はと言えば、「尺八って良いなあ」と思う人の何倍も「尺八ってひでえなあ」と感じていた人がいたと思います。「良いなあ」と思っていた人も、楽器、音楽としてより、多くは尺八の音色とか雰囲気に惹かれたのだという気がします。
この頃は、上手な人が昔の何十倍もいますので、尺八に全く知識の無い人も、ヒドイのは楽器としての尺八ではなく吹く人の問題で、良い演奏も聞いた経験が有る、そういう感想を持ってくれています。
昔は何処にもいた、口だけ達者で性根の腐った尺八吹きがいなくなってしまいました。尺八にとってマイナス面が目についた人達ですが、反面、このての人の多くは、実に親切で面倒見が良く、面子を潰すようなことさえしなければ、とても良い人達でもあったのです。それに、その人達はその人達なりに、心から尺八を愛していたと思います。
尺八の音楽、楽器としての正常な発展という上からは足を引っ張った人達ですが、別のサポーターとしての面では長く尺八界を支えてくれました。
でも、明らかに狂っている音程や音痴製造機でしかない尺八を指摘され「恥をかかされた」と認識すると、もう後は何も受け付けなかったですね。ヤマアラシみたいに針を立てて、自分の殻に頑固に閉じこもりました。
私は尺八を売る必要が無かった時代には、何も支障は無かったので、随分と相手に嫌な思いもさせてしまいました。
今は、こういう事を気にすることなく、当たり前に楽器としての話をすることが出来ます。でも、私は「アヤフヤさ」も尺八というものの大きな魅力だと思うのですよ。楽器としての性能の向上、音楽的な素養の追及は大切ですが、楽しめるファジーなところが失われてしまうと風も止んでしまうのではないかと思います。「いかがわしさ」こそ広汎な人を惹きつける尺八の魅力の別な一面です。
多くの楽器はこういう部分を一方的に排除して、気がついたら純然たる楽器となってしまいました。尺八はこういう所も残さないと「楽器」としての面白さを失ってしまうのでは・・・。
ここは真剣に考えなければいけない重大な側面ではないでしょうかね。
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