古代尺八
- 2016/04/25
- 21:04
正倉院に有る尺八は北倉に5本、南倉に3本と聞いていましたが、最近、北倉は6本とも言われます。まあ良いでしょう。それと法隆寺にも1本伝わっていました。ともかく『国家珍宝帳』に記されている尺八は北倉の5本だけです。
この尺八が何時どこから来たのかは実は良く分かりません。660年に滅んだ百済の最後の王、義慈王から送られたと言う人もいますし、そうではないと言う人もいます。
『国家珍宝帳』に載っている物は756年以前ですが、ここでは置いておきましょう。
私が問題にしたいのは、北倉に大理石製と蠟石製が1本ずつ有り、南倉にも1本象牙で作った尺八が存在している点です。どうしてですかね?
東アジアでは笛は竹で作るのが一般的ですな。土や石の笛はオカリナ(壎)です。他に芦、角、また、骨製も存在します。チベットにはカンリンという人間の大腿骨で作ったホルンまで有ります。
でも石で笛、それも細長い笛を作る意味なんて無いですよ。しかも、これらの尺八は竹を模して作っています。プラ管や木製尺八に節や根が有る様なものです。「本来は竹」と言外に言っています。
硬い材質に細長い穴を穿つのは古代の技術でも可能です。いずれも35,6センチですが、それでも大変な作業で、楽器としてなら竹で作れば良いでしょうが。ダイイチ石だと重いし折れやすいです。事実、蠟石製尺八は折れて継いだ痕跡が有ります。
昭和までの竹製尺八の如く楽器であって楽器ではないのでしょう。
石上神社に有名な七枝刀という物が有ります。百済の王から送られた刀ですが、武器としては役に立ちません。祭器としての意味合いで自らの技術力を示したのでしょう。「どうだ、ウチはこれだけの物が作れるんだよ」という事でしょう。百済が、文化的には後進国で武力だけは強大だった日本の機嫌をとったと考えるのが一番辻褄が合います。
それでは石の尺八は?
「飾りモノ」でない証拠に竹製と比べて楽器として遜色無いまでに作っています。伊達や酔狂ではありませんね。だからこそ正倉院御物となっているんでしょう。
では誰が?
正倉院の御物形成された時代には唐、新羅とも国交を回復していて、すでに活発な交流が有りましたし、また満洲に有った渤海、この高句麗の後身とも言うべき国が、日本に異常なまでの親しみを見せて。接近しはじめてきた時代です。
どこから、どういう意図でもたらされたのかは不明だとしても、楽器は単独では伝わらず、その周辺文化を抱いて渡来します。この尺八達も唐の音律(七声音階」、音楽ソフト、石を穿つ技術、石の外形の細工を施すノウハウ。これらのモノがセットになって入って来たのです。
そう考えると唐からというのが一番可能性が高いかも知れません。
石製を含めて古代尺八は、今日まで尺八の最大のポイントとなっている内径のテーパー構造もすでに確立しています。石に細長い穴を貫通するだけで無く、なおテーパーを穿ったという事は楽器としても使われる事を想定していたに違い有りません。
昭和の竹の尺八は楽器としても使われた工芸品。木管、プラ管は純然たる楽器。対して古代尺八は竹こそ純然たる楽器、石、象牙尺八は楽器としても使える工芸品。
今、世界はプラスチックの尺八で大きく動いています。日本では唐竹で製作されていた古代尺八も日本に豊富に有った真竹に材質が移り、それに共なって節の数も、手孔の数さえ変えてしまいました。楽器はハード。ソフトを復元するのが役目です。それなら材質の変化も嘆くことではありません。国際的な楽器になる道だと、尺八屋の私も受け止めています。
この尺八が何時どこから来たのかは実は良く分かりません。660年に滅んだ百済の最後の王、義慈王から送られたと言う人もいますし、そうではないと言う人もいます。
『国家珍宝帳』に載っている物は756年以前ですが、ここでは置いておきましょう。
私が問題にしたいのは、北倉に大理石製と蠟石製が1本ずつ有り、南倉にも1本象牙で作った尺八が存在している点です。どうしてですかね?
東アジアでは笛は竹で作るのが一般的ですな。土や石の笛はオカリナ(壎)です。他に芦、角、また、骨製も存在します。チベットにはカンリンという人間の大腿骨で作ったホルンまで有ります。
でも石で笛、それも細長い笛を作る意味なんて無いですよ。しかも、これらの尺八は竹を模して作っています。プラ管や木製尺八に節や根が有る様なものです。「本来は竹」と言外に言っています。
硬い材質に細長い穴を穿つのは古代の技術でも可能です。いずれも35,6センチですが、それでも大変な作業で、楽器としてなら竹で作れば良いでしょうが。ダイイチ石だと重いし折れやすいです。事実、蠟石製尺八は折れて継いだ痕跡が有ります。
昭和までの竹製尺八の如く楽器であって楽器ではないのでしょう。
石上神社に有名な七枝刀という物が有ります。百済の王から送られた刀ですが、武器としては役に立ちません。祭器としての意味合いで自らの技術力を示したのでしょう。「どうだ、ウチはこれだけの物が作れるんだよ」という事でしょう。百済が、文化的には後進国で武力だけは強大だった日本の機嫌をとったと考えるのが一番辻褄が合います。
それでは石の尺八は?
「飾りモノ」でない証拠に竹製と比べて楽器として遜色無いまでに作っています。伊達や酔狂ではありませんね。だからこそ正倉院御物となっているんでしょう。
では誰が?
正倉院の御物形成された時代には唐、新羅とも国交を回復していて、すでに活発な交流が有りましたし、また満洲に有った渤海、この高句麗の後身とも言うべき国が、日本に異常なまでの親しみを見せて。接近しはじめてきた時代です。
どこから、どういう意図でもたらされたのかは不明だとしても、楽器は単独では伝わらず、その周辺文化を抱いて渡来します。この尺八達も唐の音律(七声音階」、音楽ソフト、石を穿つ技術、石の外形の細工を施すノウハウ。これらのモノがセットになって入って来たのです。
そう考えると唐からというのが一番可能性が高いかも知れません。
石製を含めて古代尺八は、今日まで尺八の最大のポイントとなっている内径のテーパー構造もすでに確立しています。石に細長い穴を貫通するだけで無く、なおテーパーを穿ったという事は楽器としても使われる事を想定していたに違い有りません。
昭和の竹の尺八は楽器としても使われた工芸品。木管、プラ管は純然たる楽器。対して古代尺八は竹こそ純然たる楽器、石、象牙尺八は楽器としても使える工芸品。
今、世界はプラスチックの尺八で大きく動いています。日本では唐竹で製作されていた古代尺八も日本に豊富に有った真竹に材質が移り、それに共なって節の数も、手孔の数さえ変えてしまいました。楽器はハード。ソフトを復元するのが役目です。それなら材質の変化も嘆くことではありません。国際的な楽器になる道だと、尺八屋の私も受け止めています。
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