陰口
- 2016/05/02
- 18:03
もう十何年か前になりますが、砂崎知子さんの受賞パーティで青木鈴慕先生がやらかしました。実況風にお伝えします。
来賓が次々と祝辞。口々に誉めそやします。言っときますが、天才箏曲家・砂崎知子ですから御世辞ではないのです。的確でなおかつ信じられないほど速く手が動きますから、山本邦山などは「怪獣トモゴン」と持ち上げます。
何人かの人の後で、青木鈴慕が挨拶に立ちました。
「手が動くのと栗鼠がチュッチュクチュッチュクと車を廻すのは同じではありません。もっと伝統に則ったドッシリとした箏を聴かせてほしい。-中略ー、箏でバッハなんて即刻辞めなさい」
砂崎知子さんは下を向いて無言。ここで憤然として立ち上がったのは硬骨では人語におちない三木稔。
「今の青木さんの話は一方的な価値判断に基ずく意見です。-中略ーだから、何も聞く必要は無い」。
火花が散る緊張感。この青木先生の発言をオトナゲ無いと受け止める人もいましょう。「何もあんなお祝いの席で言わなくても・・・」。ナルホド、日本では日銀総裁でも為替介入と仲人に立った時だけは嘘を言っても良い事になっていますからな。
私も意見としては三木先生のおっしゃる事に賛同します。芸術ですから何でもオーケー、当否は聞く人が決めれば良いし、また演奏する側は、聴く人がどういう感想を抱こうと自分の思った通りにやれば良い。最終審判は時間とか歴史です。
ただ、三木先生の場合は何でもオーケーではありませんが、私は三木先生の嫌いな「頽廃」を含めて全てオーケーです。「頽廃」と思われていたものが、後になってみたら、実は大きな流れだった事なんか珍しくも何ともないわけでしょう。ビートルズなんか、初めは日本のオトナからは「西洋乞食」とバカにされていましたし、本国のイギリスでも、彼らのチェックインしたホテルからはジェントル階級は先を争ってチェックアウトしたものです。
芸術って、勝ち負けや数字で結果が明確にはなりませんが、時間による淘汰や、その本となるファン人口の形成で、芸術でも良し悪しとは別に勝ち負けは存在します。
でも、とりあえず分からないから、「何でも有り」がベストだと思います。
でも私は、こういう青木先生の態度が大好きです。青木鈴慕という人は、人の批評に容赦がない。ですから、煙たがる人達もいますし、もっとハッキリ嫌悪感を表明する人達もいます。
でも、「お祝いの席では誰もが褒められる」というお約束を外してまで、こういう意見を言う人って他に誰かいますか?
本物の実力を持った砂崎さんだったから良いようなものの、あらかじめ半ば決まっていた御約束の賞を不出来な演奏で受賞してすら、口だけの「絶賛」を浴びるのが邦楽、尺八、伝統の世界です。
仲間同士で褒め合う、なれ合いの世界は外では通用しませんぜ。「高尚な伝統芸は大衆には分からない」とか本気で言ってるのだとまでは私も思いませんが、尺八の世界だけは、「時代に置いて行かれている人は、若い者が置いて行く」という時代になり希望が持てます。
邦楽界は批判的なマスコミや批評家を持ち得なかった。だからチョット批判的な事を言うと過剰に反発するのです。この傾向が尺八で比較的少ないのは、尺八界を構成する大部分の人が、世間を知っている一般社会人だからです。ですから、箏曲界の様にブザマな過剰反応はしません。
でも、昔の尺八界では皆が酒席では青木鈴慕なのに、公式の場では、鈴慕の前に鈴慕なく、鈴慕の後に・・・、今のところ鈴慕無し。
来賓が次々と祝辞。口々に誉めそやします。言っときますが、天才箏曲家・砂崎知子ですから御世辞ではないのです。的確でなおかつ信じられないほど速く手が動きますから、山本邦山などは「怪獣トモゴン」と持ち上げます。
何人かの人の後で、青木鈴慕が挨拶に立ちました。
「手が動くのと栗鼠がチュッチュクチュッチュクと車を廻すのは同じではありません。もっと伝統に則ったドッシリとした箏を聴かせてほしい。-中略ー、箏でバッハなんて即刻辞めなさい」
砂崎知子さんは下を向いて無言。ここで憤然として立ち上がったのは硬骨では人語におちない三木稔。
「今の青木さんの話は一方的な価値判断に基ずく意見です。-中略ーだから、何も聞く必要は無い」。
火花が散る緊張感。この青木先生の発言をオトナゲ無いと受け止める人もいましょう。「何もあんなお祝いの席で言わなくても・・・」。ナルホド、日本では日銀総裁でも為替介入と仲人に立った時だけは嘘を言っても良い事になっていますからな。
私も意見としては三木先生のおっしゃる事に賛同します。芸術ですから何でもオーケー、当否は聞く人が決めれば良いし、また演奏する側は、聴く人がどういう感想を抱こうと自分の思った通りにやれば良い。最終審判は時間とか歴史です。
ただ、三木先生の場合は何でもオーケーではありませんが、私は三木先生の嫌いな「頽廃」を含めて全てオーケーです。「頽廃」と思われていたものが、後になってみたら、実は大きな流れだった事なんか珍しくも何ともないわけでしょう。ビートルズなんか、初めは日本のオトナからは「西洋乞食」とバカにされていましたし、本国のイギリスでも、彼らのチェックインしたホテルからはジェントル階級は先を争ってチェックアウトしたものです。
芸術って、勝ち負けや数字で結果が明確にはなりませんが、時間による淘汰や、その本となるファン人口の形成で、芸術でも良し悪しとは別に勝ち負けは存在します。
でも、とりあえず分からないから、「何でも有り」がベストだと思います。
でも私は、こういう青木先生の態度が大好きです。青木鈴慕という人は、人の批評に容赦がない。ですから、煙たがる人達もいますし、もっとハッキリ嫌悪感を表明する人達もいます。
でも、「お祝いの席では誰もが褒められる」というお約束を外してまで、こういう意見を言う人って他に誰かいますか?
本物の実力を持った砂崎さんだったから良いようなものの、あらかじめ半ば決まっていた御約束の賞を不出来な演奏で受賞してすら、口だけの「絶賛」を浴びるのが邦楽、尺八、伝統の世界です。
仲間同士で褒め合う、なれ合いの世界は外では通用しませんぜ。「高尚な伝統芸は大衆には分からない」とか本気で言ってるのだとまでは私も思いませんが、尺八の世界だけは、「時代に置いて行かれている人は、若い者が置いて行く」という時代になり希望が持てます。
邦楽界は批判的なマスコミや批評家を持ち得なかった。だからチョット批判的な事を言うと過剰に反発するのです。この傾向が尺八で比較的少ないのは、尺八界を構成する大部分の人が、世間を知っている一般社会人だからです。ですから、箏曲界の様にブザマな過剰反応はしません。
でも、昔の尺八界では皆が酒席では青木鈴慕なのに、公式の場では、鈴慕の前に鈴慕なく、鈴慕の後に・・・、今のところ鈴慕無し。
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