董玲さんという箏曲家がいました。中国残留孤児の方で、弟の董真海さんともども日本に復籍して、箏曲家になられました。中国にいた時は中国伝統音楽の専門学校でエリート教育を受け、音楽で生活していましたので、帰国時には当時の東京都知事の鈴木俊一がバイオリニストの弟真海さんにバイオリンを贈呈して、ちょっとした話題になりました。
もう30年も前になりますが、この董姉弟が私の演奏会に出てくれまして、その後の居酒屋での事。
「日本の尺八の方達は、昔の尺八は中国に残ってないと思ってらっしゃるけど有りますよ」と爆弾発言です。これは尺八家として聞き捨てには出来ません。もし本当なら、日本社会の極々イッカクの尺八界にとってだけですが、それでも「世紀の大発見」に違いありません。
それって洞簫の尺八に似たモノじゃ?。「いいえ、尺八でした」。
でも外形の似た笛って有りますよ。「そうではないです。尺八でした」。
何処で見ましたか?。「福建です」。
大した問題ではないと尺八外の人は思うでしょうが、これって重大な話なんです。ここで言う尺八は、日本だけに9本(10本?)しか残っていない古代尺八のことではありません。
覚心が鎌倉時代に南宋から伝えたという伝説をもつ普化尺八です。そして、この覚心が行った時代、寧波が日本人の出入りの窓口になっていましたし、その近くの福建の福州や泉州は対外貿易の根拠地として賑わっていました。
法燈国師・心地覚心が尺八を日本に伝えたという事自体は、今では事実としては否定されています。少なくとも文献史学の訓練を受けた人で積極的に肯定する人を私は知りません。
でも、そういう伝説のもとになる何らかのモノが中国に存在したのかも知れないという説は、強くは否定できません。
実は、その時も今も私は懐疑的です。そうかと言って、董さんが虚偽の事を言ってるとは思いません。
一番可能性が有るのは、日中戦争の時に兵隊が持って行ったか、ないし、それ以前に日本人が持って行ったかした尺八。
その次が室町時代に日本の商人か海賊が持って行った。モチロンその実物ではなくて、その子孫。そして、その次くらいの可能性として、笛の派生形として偶然出来た。まず、このいずれかであると推測します。
その時点ではともかく、現在では、上海のミュージックチャイナをはじめ中国各地で開かれている楽器博覧会では、中国全土から地方の伝統楽器が集まりますが、私は寡聞にして、その中に「シャクハチ」が有ったという話はいまだ聞いたことが有りません。
ただ「存在」は一例で足ります。もし福建で本当に普化尺八の原型が見つかったとします。日本尺八史に重大な確定もしくは変更が起こりますが、それは私を含めて普通の尺八家にとって、あまり関係も関心も無い事だと思います。
ですが中国にとっては大問題なのですよ。もし南宋の都・臨安(杭州)から慶元府(寧波)に近い所で尺八が発見されたなら、虚鈴はじめ初期の古典本曲の伝説が、がぜん信憑性を持ってしまい、南宋の音楽研究の為に、その原初型の洗い出しが重要な意味を持ってしまいます。
ファ・シ抜き音階(ヨナ抜き)で5孔がどういう必然性を持っていたのかも議論される所です。
案外、こんな片隅のふとした話が、大きな発見につながらないとも限りませんでしょう。ですから私は中国に行くたびに尺八を探しているんです。
竹笛という性質、1950年代60年代の中国社会の変動から考えて、宋代の尺八の実物が残っている事は有り得ないでしょう。でも、その子孫を見つけただけでも重要な意味が有りますからね。
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