立位置を見る
- 2016/05/07
- 22:21
子供達が小さかった時に、見ていたテレビで首をかしげるシーンが有りました。配下に大勢の怪獣や妖怪を抱えている親玉が子分に銀行強盗を命じていたんです。
何のために? 国法も社会秩序も関係無い怪物集団が何故に金が必要なのか、愚鈍な私にはわかりませんでした。愚考するに、この怪獣にも「物を入手する為には貨幣を支払う」という一抹の良識が有ったのでしょう。様々な破壊活動や殺人は犯していますが、幸い人間ではないので刑法の適用外ですから、教育で更生させる事も可能と見た・・・。
もうチョットマシな例。金曜から行く台湾から17世紀にオランダを追い出した鄭成功、「国姓爺合戦」で日本でも有名ですよね、この人のお父さんは有名な海賊です。
その息子の成功は科挙試験を受けています。有名な学者・銭謙益のもとで高級官僚を目指していました。どういうつもりなんですかね?
まさかオヤジの稼業と高級官僚は同じだと思っていたんでは?サヨク文化人みたいではねえだか・・・。
昔、プロレスのプロモーターで、これから行われる試合の勝敗予想をして、「ほとんど当てた」と自慢していた御仁がいました。当たるも何も、勝敗はその御当人が全て決めていたのですから、オトナ相手には「プロレスはあらかじめプロモーターが勝敗を決めている」と言ってるのと同じです。かくのごとく、世間には理解を越える人達が多いデスナア。
(尺八界でも)。少し良いですかな。1965年から1975年くらいまでは有名な尺八家のリサイタルともなれば満員が当たり前。「立」が出るのも珍しくはなかったです。その時代は弟子達にも熱気が有って、頑張って売っていました。
1975年に消防法が出来て、定員を大幅に越えるチケットが出せなくなり、それと時期を同じくして弟子の情熱も少しずつ冷めていき、結果1980年代の後半になると、チケットは売れているのに客席はガラガラという現象が目立ってきました。
この状況に怒ったのが私の師匠の青木鈴慕先生でした。それでチケットに通番を入れて、代金だけ払ってチケットを放棄すれば誰がやったか分かるようにしました。
すでに時効だから言いますが、何人かの弟子が相談して、私や佐野鈴秀さんなど会場受付をやる者が、会員から余ったチケットを預かって、適当に混ぜ込みました。幸い青木先生は頭の良い人ですし、弟子にはムチャを言っても愛情も人一倍の師匠ですから、怒りが収まり冷静になると事の本質が分かります。ですので、すぐヤメになりましたよ。
昔、先生たちも若かったころは、弟子達も若く尺八に情熱を燃やしていました。だからこそチケットを多数預かっただけでなく、周りの人達に「イッペン聴きにきてください。絶対に良かったと言ってもらえますから」と言って宣伝もしましたし、現役世代でしたから「チケットはプレゼントします」。そう自然に言えました。
もう現役ではなくなってからもチケット代は無理しても払いましたが、行動範囲の狭まりで、宣伝までは出来なくなったのです。それを通番を入れてしまったら元もこうも無いでしょう。
この時代の尺八を支えていたものとは人の気持ちです。
今またガチで実券が出る兆候が有ります。でも邦楽の「伝統」の部分では今後も客の大量動員は起こりません。でも「古典邦楽」でも今より多くの客を入れる方法は有ります。もう弟子頼りの「義理売り」は通用しません。
「伝統としての尺八」に「ファッション性」を強く出して、人に「カッコイイ」と勘違いさせるより他無いでしょうよ。その方向を「自分は認めない」と言うのは良いんですよ。やる人は勝手にやりますから。
何のために? 国法も社会秩序も関係無い怪物集団が何故に金が必要なのか、愚鈍な私にはわかりませんでした。愚考するに、この怪獣にも「物を入手する為には貨幣を支払う」という一抹の良識が有ったのでしょう。様々な破壊活動や殺人は犯していますが、幸い人間ではないので刑法の適用外ですから、教育で更生させる事も可能と見た・・・。
もうチョットマシな例。金曜から行く台湾から17世紀にオランダを追い出した鄭成功、「国姓爺合戦」で日本でも有名ですよね、この人のお父さんは有名な海賊です。
その息子の成功は科挙試験を受けています。有名な学者・銭謙益のもとで高級官僚を目指していました。どういうつもりなんですかね?
まさかオヤジの稼業と高級官僚は同じだと思っていたんでは?サヨク文化人みたいではねえだか・・・。
昔、プロレスのプロモーターで、これから行われる試合の勝敗予想をして、「ほとんど当てた」と自慢していた御仁がいました。当たるも何も、勝敗はその御当人が全て決めていたのですから、オトナ相手には「プロレスはあらかじめプロモーターが勝敗を決めている」と言ってるのと同じです。かくのごとく、世間には理解を越える人達が多いデスナア。
(尺八界でも)。少し良いですかな。1965年から1975年くらいまでは有名な尺八家のリサイタルともなれば満員が当たり前。「立」が出るのも珍しくはなかったです。その時代は弟子達にも熱気が有って、頑張って売っていました。
1975年に消防法が出来て、定員を大幅に越えるチケットが出せなくなり、それと時期を同じくして弟子の情熱も少しずつ冷めていき、結果1980年代の後半になると、チケットは売れているのに客席はガラガラという現象が目立ってきました。
この状況に怒ったのが私の師匠の青木鈴慕先生でした。それでチケットに通番を入れて、代金だけ払ってチケットを放棄すれば誰がやったか分かるようにしました。
すでに時効だから言いますが、何人かの弟子が相談して、私や佐野鈴秀さんなど会場受付をやる者が、会員から余ったチケットを預かって、適当に混ぜ込みました。幸い青木先生は頭の良い人ですし、弟子にはムチャを言っても愛情も人一倍の師匠ですから、怒りが収まり冷静になると事の本質が分かります。ですので、すぐヤメになりましたよ。
昔、先生たちも若かったころは、弟子達も若く尺八に情熱を燃やしていました。だからこそチケットを多数預かっただけでなく、周りの人達に「イッペン聴きにきてください。絶対に良かったと言ってもらえますから」と言って宣伝もしましたし、現役世代でしたから「チケットはプレゼントします」。そう自然に言えました。
もう現役ではなくなってからもチケット代は無理しても払いましたが、行動範囲の狭まりで、宣伝までは出来なくなったのです。それを通番を入れてしまったら元もこうも無いでしょう。
この時代の尺八を支えていたものとは人の気持ちです。
今またガチで実券が出る兆候が有ります。でも邦楽の「伝統」の部分では今後も客の大量動員は起こりません。でも「古典邦楽」でも今より多くの客を入れる方法は有ります。もう弟子頼りの「義理売り」は通用しません。
「伝統としての尺八」に「ファッション性」を強く出して、人に「カッコイイ」と勘違いさせるより他無いでしょうよ。その方向を「自分は認めない」と言うのは良いんですよ。やる人は勝手にやりますから。
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