1972年、大學4年の時です。作曲家の安達元彦先生を当時お住まいになっていた鷺宮のご自宅にお訪ねしました。電話でアポイントをとると、西武新宿線の鷺宮駅からの道順を教えてくださいましたが、その説明が精密かつ分かり易く、バツグンの頭のキレが分かりました。
その様な人をもう一人知っています。青木鈴慕先生です。初めて高田馬場の尺八研究所をお訪ねした時もやはり同様の印象を持ちました。
安達先生は当時32歳で「新進気鋭の作曲家」との評判をとっていましたが、こう呼ばれているうちは「マダ一歩」と言われている分けです。勿論、今では大家ですから、その実績も正しく評価されます。
安達先生のお宅を訪問した前年には、有名な「邦楽器のためのシャコンヌ」が発表されましたが、この曲は当時の邦楽の人達からは、きわめて評判が悪かった。私も1976年に企画した演奏会で、この曲を出しましたが、アンケートを読んで、あらためてこの曲が邦楽界で嫌われていたと知らされました。
もっとも当時は日本音楽集団じたいが邦楽界では白い眼で見られていましたよ。そういう時代でした。
安達先生は日本人の「ワビ、サビ」に対する一般イメージを退嬰的と否定しました。私が勝手に言葉を加えるならば、貧乏くさい、ジメジメしてる、しょぼくれている、後ろ向き、そういう事でしょう。私の言葉ではそうなりますが、もっと柔らかく全く同様の事を言っています。
安達元彦という人は、実は古典邦楽にもゾウシが深く、それどころか浪曲や歌謡曲すら自家薬籠中の物としている方です。
その前提に立って考えてみてくださいな。
尺八の音楽って、上記の「ワビ・サビ」のいずれも当てはまらないでしょう。尺八の場合、私は常ずね人に「本来のワビ、サビとは古典本曲みたいなもの」と言っています。
ワビとかサビは、人間の「わびしさ、さびしさ」とかの少しくすんだ感情を芸術的に洗練したものですが今、多くの人が「ワビ、サビ」とイメージする感覚の多くは、ワビ、サビの構成する要素のごく一部を、さらにデフォルメして強調したものだと思います。
あらかじめ言っておくと、それって私は悪い事だなんて少しも思っていないです。芸術に商業主義が持ちこまれて大きく拡がる素晴らしさを否定するほど幼稚ではありません。
そのワビ、サビのイメージを定着させた一番のものは、昭和30年代40年代の演歌ではないですかね。昭和20年代の歌謡曲は、戦争という日本人の共通体験が有りましたから、その痛切な悲しみや復興への希望など、多くの人の共感を呼ぶ内容ですよ。それが、時代とともに商売で段々誇張したシチュエーションで、重箱の隅を楊枝でほじくる様にして、日本人の退行感情をくすぐって「売り」ました。
そして、ついにリアリティを失って衰退したのです。
安達元彦先生の発警言は、その爛熟期のまさに頂点で発せられたものです。
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