尺八ゴロ
- 2016/05/09
- 21:25
青木鈴慕先生は、かねがね私等弟子に「尺八ゴロにはなるな」と言っていました。尺八ゴロとは?
「尺八1本を持って、ヒョコタンヒョコタンあちこちの箏の師匠の所に出入りして合奏してもらうゴロツキに似た連中」。これが青木先生の定義です。そして、「合奏してもらうのならキチンと謝礼を払え」と続きます。「所定の合奏時間が終って挨拶したら一刻も早く退散しなさい。尺八をしまってから席を立つまでの時間は速ければ速いほど良い。もし、お茶でも飲んでいってくださいと言われたら、お茶断ちをしていますと言いなさい」。どうです、その通り出来ると思う?
青木先生は「こうあるべき」と言いたいのであって、誰も実行なんてしないし、出来ないと知っているのです。
その昔、職業尺八家になるための「王道」は師匠について内弟子となることでした。師匠の行くところ何処でもカバン持ちとして影の様に付き従うわけです。
良くしたもので、相方の箏の師匠にも弟子が付いてきますので、弟子どうし仲良くなり人脈が形成されていくというわけです。昭和40年、50年代の尺八は箏に呼ばれて生活していた様なものですからね。
もう30年前には尺八の師匠は内弟子を持てなくなっていましたし、弟子は弟子で住み込みの内弟子を拒否するようになっていました。
こういう時代にプロを目指そうとすれば、「尺八ゴロ」と言われようとも、箏の師匠の所に出入りして顔を繋ぐのも有効な方法です。
邦楽界は人脈の商売でもありますから、温習会にでも「お手伝い」に呼んでもらうとすれば他に方法も無いでしょう。
青木先生のように名門の御曹司でもない者がですよ、保守的な邦楽界で人脈を築いていくのは大変ですわ。
今では箏の先生で定期的に弟子の温習会を開ける人は少数になりましたし、よしんば会に呼ばれても謝礼はボランティアの範囲でしょう。
合奏の為ならⅭⅮを使った方が手っ取り早いですし、何より「ヒョコタンヒョコタン」と箏の師匠を訪問するような根性の座った尺八家も少なくなりました。
このような状況ですから「尺八ゴロ」はおろか、知らない箏の先生を訪ねて合奏を依頼する熱心な尺八吹きもいなくなりました。
地元、小田原で箏の師匠をしていた私の家内に合奏を申し込んだのは一人だけだったと言います。箏との合奏が目当てでなかったことは確かですな・・・。
「尺八1本を持って、ヒョコタンヒョコタンあちこちの箏の師匠の所に出入りして合奏してもらうゴロツキに似た連中」。これが青木先生の定義です。そして、「合奏してもらうのならキチンと謝礼を払え」と続きます。「所定の合奏時間が終って挨拶したら一刻も早く退散しなさい。尺八をしまってから席を立つまでの時間は速ければ速いほど良い。もし、お茶でも飲んでいってくださいと言われたら、お茶断ちをしていますと言いなさい」。どうです、その通り出来ると思う?
青木先生は「こうあるべき」と言いたいのであって、誰も実行なんてしないし、出来ないと知っているのです。
その昔、職業尺八家になるための「王道」は師匠について内弟子となることでした。師匠の行くところ何処でもカバン持ちとして影の様に付き従うわけです。
良くしたもので、相方の箏の師匠にも弟子が付いてきますので、弟子どうし仲良くなり人脈が形成されていくというわけです。昭和40年、50年代の尺八は箏に呼ばれて生活していた様なものですからね。
もう30年前には尺八の師匠は内弟子を持てなくなっていましたし、弟子は弟子で住み込みの内弟子を拒否するようになっていました。
こういう時代にプロを目指そうとすれば、「尺八ゴロ」と言われようとも、箏の師匠の所に出入りして顔を繋ぐのも有効な方法です。
邦楽界は人脈の商売でもありますから、温習会にでも「お手伝い」に呼んでもらうとすれば他に方法も無いでしょう。
青木先生のように名門の御曹司でもない者がですよ、保守的な邦楽界で人脈を築いていくのは大変ですわ。
今では箏の先生で定期的に弟子の温習会を開ける人は少数になりましたし、よしんば会に呼ばれても謝礼はボランティアの範囲でしょう。
合奏の為ならⅭⅮを使った方が手っ取り早いですし、何より「ヒョコタンヒョコタン」と箏の師匠を訪問するような根性の座った尺八家も少なくなりました。
このような状況ですから「尺八ゴロ」はおろか、知らない箏の先生を訪ねて合奏を依頼する熱心な尺八吹きもいなくなりました。
地元、小田原で箏の師匠をしていた私の家内に合奏を申し込んだのは一人だけだったと言います。箏との合奏が目当てでなかったことは確かですな・・・。
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