いい加減な時代
- 2014/11/22
- 10:38
私の子供の頃は、それはマア口で言えないくらいイイカゲンがまかり通った時代ですわ。その頃の駄菓子屋で売られていた子供相手の菓子なんて、今のお母さん連中が見たら卒倒するのと違いますか。ドクドクしい色に彩色されていて、包装も粗末、たっぷり保存薬品を使ってあるので賞味期限は半永久です。ついでに言えば砂糖なんか入っていません。代わって、溢しても蟻のたからないサッカリンとか発癌性と催奇性で大いに知名度を高めたチクロなどの人工甘味料の大貫禄達がハバをきかせていました。
オモチャもそれに負けず劣らずの存在感を示していました。私が欲しくてたまらなっかった箱メガネ。「これで絶対に女の人を見ないでください」というアレですよ。売っているヤツの口上では、どう聞いても「物が透けて見える」と採れるんですわ。一つ50円は当時の子供には大金です。それでもコズカイを貯めて買ってみたらマッチ箱に色紙を張っただけのもの。前面にくもりガラスがハマっていて鳥の羽が貼り付けてある、これがマア「透けて見える」という事でしょうよ。ダイヤルに見えたのは画鋲ですわ。それでいて口上は一言も嘘は言っていない、私は今でも芸術だと思っています。
それはともかくとして、当時は男の子の遊びで人気が有ったのはチャンバラです。最初の頃の刀は型貫の鉄ですわ。それに自分達でご丁寧にヤスリで刃をつけるんです。チャンバラゴッコと言えども緊張感が出て、それはイイモンでっせ・・・
ここで嘘の様なホントの話を2題。
刃を付けた刀でチャンバラをしていたところ、自分もまだ遊び足りない中学出たての御用聞きの兄ちゃんが見ていて、「君達、ちゃんと刃がついていないじゃないか」と言って、改めて砥ぎだしました。注意するオトナがいたとして全員が女性です。
兄ちゃんに砥いでもらった刀の切れ味を試したくて近所の犬に切り付けましたが、犬の悲鳴を聞いて飼い主の爺さんが飛び出てきました。物も言わず私の刀をひったくるとと「お前等、腰が入っていないから切れねんだ」と講釈をひとくさり、何度となく実演して見せてくれました。タテの効果音は勿論イヌの悲鳴です。
その後も、爺さんに犬はなついていました。、爺さんはもとより大した人間ではないですが、犬は厳しい戦争を生き抜いたということで、かねて子供たちから一定の敬意をはらわれていました。やはり犬だとて戦争をくぐっているだけに、戦後生まれの私なんぞとは人(犬)生観も違うんでしょうよ。「忠義」というものが分かっていました。
粗悪市場が存在したという事では、言っちゃあ悪いが尺八も同じようなモンだっせ。40年以上前の尺八は他の楽器演奏家にとって合奏する対象ではありませんでした。音程が合っている尺八が無いうえに、恐ろしいほど下手で、おまけに性根が腐っていて、良い演奏をすることよりも自分の体面の方が大切なジイサマ達が大勢いましたから、地区の三曲協会の演奏会なんざ若い者に相手にされるわけが無い。
昔の製管師の作った尺八は技術的には下手。相当に名の通った人でも今日ではプロは務まらないと思います。ただ驚くべき丁寧さ、物作りに対する誠意、あくなき熱意、そういうものを感じさせる人はいます。音色の良さとかは主観ですから、あえて否定しません。
でも、その何倍もの技術未熟者が存在していて、粗悪な尺八を売っていました。品質管理が個人の裁量にまかされていて、なおかつ情報が未発達なため商品淘汰がおき難い社会とはそういうものでしょう。一部の優れた、なおかつ誠意有る物だけを対象にして論じれば、どこの国、どこの民族だって「素晴らしい物作りエートス」を持っていることになりゃしませんか?
次の機会には、日本が発展途上国だった時代には大企業と言えども商品で「お笑い」を採っていたことも言いますわ・・・
オモチャもそれに負けず劣らずの存在感を示していました。私が欲しくてたまらなっかった箱メガネ。「これで絶対に女の人を見ないでください」というアレですよ。売っているヤツの口上では、どう聞いても「物が透けて見える」と採れるんですわ。一つ50円は当時の子供には大金です。それでもコズカイを貯めて買ってみたらマッチ箱に色紙を張っただけのもの。前面にくもりガラスがハマっていて鳥の羽が貼り付けてある、これがマア「透けて見える」という事でしょうよ。ダイヤルに見えたのは画鋲ですわ。それでいて口上は一言も嘘は言っていない、私は今でも芸術だと思っています。
それはともかくとして、当時は男の子の遊びで人気が有ったのはチャンバラです。最初の頃の刀は型貫の鉄ですわ。それに自分達でご丁寧にヤスリで刃をつけるんです。チャンバラゴッコと言えども緊張感が出て、それはイイモンでっせ・・・
ここで嘘の様なホントの話を2題。
刃を付けた刀でチャンバラをしていたところ、自分もまだ遊び足りない中学出たての御用聞きの兄ちゃんが見ていて、「君達、ちゃんと刃がついていないじゃないか」と言って、改めて砥ぎだしました。注意するオトナがいたとして全員が女性です。
兄ちゃんに砥いでもらった刀の切れ味を試したくて近所の犬に切り付けましたが、犬の悲鳴を聞いて飼い主の爺さんが飛び出てきました。物も言わず私の刀をひったくるとと「お前等、腰が入っていないから切れねんだ」と講釈をひとくさり、何度となく実演して見せてくれました。タテの効果音は勿論イヌの悲鳴です。
その後も、爺さんに犬はなついていました。、爺さんはもとより大した人間ではないですが、犬は厳しい戦争を生き抜いたということで、かねて子供たちから一定の敬意をはらわれていました。やはり犬だとて戦争をくぐっているだけに、戦後生まれの私なんぞとは人(犬)生観も違うんでしょうよ。「忠義」というものが分かっていました。
粗悪市場が存在したという事では、言っちゃあ悪いが尺八も同じようなモンだっせ。40年以上前の尺八は他の楽器演奏家にとって合奏する対象ではありませんでした。音程が合っている尺八が無いうえに、恐ろしいほど下手で、おまけに性根が腐っていて、良い演奏をすることよりも自分の体面の方が大切なジイサマ達が大勢いましたから、地区の三曲協会の演奏会なんざ若い者に相手にされるわけが無い。
昔の製管師の作った尺八は技術的には下手。相当に名の通った人でも今日ではプロは務まらないと思います。ただ驚くべき丁寧さ、物作りに対する誠意、あくなき熱意、そういうものを感じさせる人はいます。音色の良さとかは主観ですから、あえて否定しません。
でも、その何倍もの技術未熟者が存在していて、粗悪な尺八を売っていました。品質管理が個人の裁量にまかされていて、なおかつ情報が未発達なため商品淘汰がおき難い社会とはそういうものでしょう。一部の優れた、なおかつ誠意有る物だけを対象にして論じれば、どこの国、どこの民族だって「素晴らしい物作りエートス」を持っていることになりゃしませんか?
次の機会には、日本が発展途上国だった時代には大企業と言えども商品で「お笑い」を採っていたことも言いますわ・・・
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