跡を継ぐという事
- 2016/05/19
- 22:09
台湾展示会が予想通り大盛況で終わりましたので、帰る前日に古屋輝夫さんの希望で台北の故宮博物院に行きました。私はもう何度も来ていますが、収蔵されている70万点近い宝物を3ヶ月毎に入れ替えて展示しているので、全部見るのは17年かかると前に聞きました。ですから私にも初めて見る物がほとんどです。
今回の特別展示は各時代の「清明上河図」と王羲之の「十七帖」の写しです。書道をやる人で王羲之の名を知らない人はいないでしょうが、その真筆はすでに存在しないと言われています。大ファンだった唐の太宗皇帝が全国から集め、文字通り墓まで持って行ってしまったので、もし太宗の墓、昭陵が発掘されれば出て来る可能性が有ると言われます。
王羲之は、書家のみならず中国人のみならず広くインテリの憧れでしたので、その書は模写されて数多く残っています。「蘭亭序」が有名ですが今回の「十七帖」も各時代に模写の名品が残っています。
ここで疑問。褚隊良が絶賛したのは唐の太宗と同時代人だから良いとして、宋の黄伯思が「書中の龍」と讃えた事は有名ですが、その時代にはもう王羲之の真筆(真蹟)は無かった可能性が大きいですよね。だからですよ、写真もコピーも無い時代に、いったい何を見て言ったんかいな?
実は私も今回の「十七帖」の特集を見るまでは深く考えていませんでした。で、各時代の書の大家が描いた「十七帖」の同一文章の字体がかなり違うんですよ。素人のオイラにも一目瞭然に分かるくらいに。
これって何ですか?
「デッチアゲの価値だ~」。大声を出さないでくださいよ。いくら「伝統文化」の世界で暮らしているからって全部が全部「いかがわしく」はないものですよ。
ほんの半世紀前まで、尺八も師匠が弟子に直接稽古で芸を伝えますが全部は伝えきれない。七割程度伝えたところで師匠が死んでいくのが一般的だとしましょう。弟子は残りの三割を自分で埋めるのです。代々この繰り返しですから、記録性から言うと三代で半分、四代では「初代オリジナル」の部分はもう三割ですがな。
これをもって「インチキ」だと言うなら「プロレスは八百長」と断ずる様なもので、言ってみれば子供並の判断力ですぜ。
1980年だったと思います。二代酒井竹保先生がパネルディスカッションでのパネラーとして、田辺秀雄さんや岸部成雄さん、あと三木稔さんとかと並びました。
その中での発言。「私の弟子で優秀な尺八家は多いですが、でも私の芸の魂まで引き継いで行ったのは小池(哲二)君とリー(ライリー)君です」と発言しました。
私見ですが、二人とも竹保先生に似てないです。両人ともに強い個性と自主性を持っており、少なくとも物真似の「コピー芸」ではないです。でも本質の部分で「自分を継承している」と酒井先生が認めたわけです。
もう一つ。私は初代青木鈴慕の尺八を知りません。わずかに二代先生の初代評を聴くばかりです。それだと二代先生とは全然違う尺八の印象を持ちますが、二代青木鈴慕先生は「オヤジが師、オヤジが手本」といつも言っていますし、お姉さんの藤田親小夜先生にお聞きしたら「とても似ている」とのことでした。
魂が、芸の本質的な部分が似ているのでしょう。ここを見れないと「伝統」の真価も見えないと思います。王羲之の書も同じ。
それにしても、もし王羲之の真筆が出てきたら10億円では到底買えませんわな。どこかに無いもんですかね。日本にも鑑真が聖武天皇に真蹟の行書一帖を献じた事になっているんですがね。何処に有るんでしょう。まあ、宗教は伝統文化よりはるかにスケールの大きい「虚構と言えば虚構、本当と言えば本当」ですから深くは追及しません。
今回の特別展示は各時代の「清明上河図」と王羲之の「十七帖」の写しです。書道をやる人で王羲之の名を知らない人はいないでしょうが、その真筆はすでに存在しないと言われています。大ファンだった唐の太宗皇帝が全国から集め、文字通り墓まで持って行ってしまったので、もし太宗の墓、昭陵が発掘されれば出て来る可能性が有ると言われます。
王羲之は、書家のみならず中国人のみならず広くインテリの憧れでしたので、その書は模写されて数多く残っています。「蘭亭序」が有名ですが今回の「十七帖」も各時代に模写の名品が残っています。
ここで疑問。褚隊良が絶賛したのは唐の太宗と同時代人だから良いとして、宋の黄伯思が「書中の龍」と讃えた事は有名ですが、その時代にはもう王羲之の真筆(真蹟)は無かった可能性が大きいですよね。だからですよ、写真もコピーも無い時代に、いったい何を見て言ったんかいな?
実は私も今回の「十七帖」の特集を見るまでは深く考えていませんでした。で、各時代の書の大家が描いた「十七帖」の同一文章の字体がかなり違うんですよ。素人のオイラにも一目瞭然に分かるくらいに。
これって何ですか?
「デッチアゲの価値だ~」。大声を出さないでくださいよ。いくら「伝統文化」の世界で暮らしているからって全部が全部「いかがわしく」はないものですよ。
ほんの半世紀前まで、尺八も師匠が弟子に直接稽古で芸を伝えますが全部は伝えきれない。七割程度伝えたところで師匠が死んでいくのが一般的だとしましょう。弟子は残りの三割を自分で埋めるのです。代々この繰り返しですから、記録性から言うと三代で半分、四代では「初代オリジナル」の部分はもう三割ですがな。
これをもって「インチキ」だと言うなら「プロレスは八百長」と断ずる様なもので、言ってみれば子供並の判断力ですぜ。
1980年だったと思います。二代酒井竹保先生がパネルディスカッションでのパネラーとして、田辺秀雄さんや岸部成雄さん、あと三木稔さんとかと並びました。
その中での発言。「私の弟子で優秀な尺八家は多いですが、でも私の芸の魂まで引き継いで行ったのは小池(哲二)君とリー(ライリー)君です」と発言しました。
私見ですが、二人とも竹保先生に似てないです。両人ともに強い個性と自主性を持っており、少なくとも物真似の「コピー芸」ではないです。でも本質の部分で「自分を継承している」と酒井先生が認めたわけです。
もう一つ。私は初代青木鈴慕の尺八を知りません。わずかに二代先生の初代評を聴くばかりです。それだと二代先生とは全然違う尺八の印象を持ちますが、二代青木鈴慕先生は「オヤジが師、オヤジが手本」といつも言っていますし、お姉さんの藤田親小夜先生にお聞きしたら「とても似ている」とのことでした。
魂が、芸の本質的な部分が似ているのでしょう。ここを見れないと「伝統」の真価も見えないと思います。王羲之の書も同じ。
それにしても、もし王羲之の真筆が出てきたら10億円では到底買えませんわな。どこかに無いもんですかね。日本にも鑑真が聖武天皇に真蹟の行書一帖を献じた事になっているんですがね。何処に有るんでしょう。まあ、宗教は伝統文化よりはるかにスケールの大きい「虚構と言えば虚構、本当と言えば本当」ですから深くは追及しません。
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