月謝
- 2016/05/23
- 22:51
私の大学時代は学生運動が盛んな時代でしてね、ことに2年生の時は70年安保でしょう。法政は大学のロックアウト、分かりますよね、大学構内に学生が入れない状態で半年間講義が無かったのですよ。それでいて授業料は1年分取っていたんですから、これほどヒドイ「やらずブッタクリ」は無いと言えば無いでしょう。
その頃の法政大学の授業料は年間6万円。今は100万を越えています。これってチョット変ですよ。当時の物価は今のダイタイ五分の一か六分の一ですから、オカシイじゃネエか、それで言ったらせいぜい30~40万で済むはずだろうがよ。
だから、昔は聞いたこともネエ卒業の時点で何百万もの借金をかかえる人間が増えたんだわ。
尺八の月謝って幾ら?それを時々聞かれます。人によって差が有るとしか言いようが無いですが、誰に教わりたいのか聞いたうえで、額を知らなければ電話で直接ザックバランに聞いた上で相手に伝えます。
私の知る限り最も高かったのは人間国宝時代の山口五郎先生の2万円。プロの場合では6千円から1万円といった所が一番多いですね。
「6千円なんて本当にいるのかよ?」、こう疑問を持つのは東京周辺の人で、地方都市だと相場です。
私の大学時代の坂田誠山先生の月謝は千五百円でしたから、今のプロの平均が一万と考えると当時との「物価スライド」でピタリその位ですね。
金額で分かるよう様に、この頃すでに月謝だけでは生活するのが不可能な時代になっていました。すくなくとも同年輩のサラリーマン並みの収入を挙げるのは至難の技です。
それでも超有名尺八家でも弟子を採っていました。今みたいに「完全実演」の人はチラホラもいない時代ですからね。
当時、横山勝也先生もおっしゃっていました。「お弟子さんがいなかったら食べていけませんよ」。月謝だけではないですからね。尺八やチケット、レコードも売れるし、呼んでくれた糸方の会のチケットだって、知らん顔はできませんや。
この時代は弟子の方も「師匠の役に立とう」と思う人が多かったんですよ。
島原帆山先生に伺ったところによれば、大正中期で月謝は2円。しかも教習希望者がとても多く、今の個人で教えられる限界値の30人に容易に達したと言います。週6で稽古して日曜に昼稽古を入れれば40人、それ以上でもさほど苦にする事無く昔の尺八家は稽古しました。当時ですから奥さんに苦情を言われるということも有りません。
大正中期は給与格差が大きく収入や物価の単純比較は出来ませんが、「弟子の三十人もいれば左団扇じゃった」そうで、これは島原先生の言です。
これからどうして暮らしていけば良いんだろう? プロを目指す若い尺八吹きは何度もタジログでしょうが、もう答えは出ています。これからの尺八での生活パターンは、この10年でモデルケースが出そろったようです。
その中で手っ取り速い方法と言えば、①がカルチャー、②にスカイプ講習でしょう。やれない人はやれない、やる人はやる、自営だもの当たり前ですわ・・・。
その頃の法政大学の授業料は年間6万円。今は100万を越えています。これってチョット変ですよ。当時の物価は今のダイタイ五分の一か六分の一ですから、オカシイじゃネエか、それで言ったらせいぜい30~40万で済むはずだろうがよ。
だから、昔は聞いたこともネエ卒業の時点で何百万もの借金をかかえる人間が増えたんだわ。
尺八の月謝って幾ら?それを時々聞かれます。人によって差が有るとしか言いようが無いですが、誰に教わりたいのか聞いたうえで、額を知らなければ電話で直接ザックバランに聞いた上で相手に伝えます。
私の知る限り最も高かったのは人間国宝時代の山口五郎先生の2万円。プロの場合では6千円から1万円といった所が一番多いですね。
「6千円なんて本当にいるのかよ?」、こう疑問を持つのは東京周辺の人で、地方都市だと相場です。
私の大学時代の坂田誠山先生の月謝は千五百円でしたから、今のプロの平均が一万と考えると当時との「物価スライド」でピタリその位ですね。
金額で分かるよう様に、この頃すでに月謝だけでは生活するのが不可能な時代になっていました。すくなくとも同年輩のサラリーマン並みの収入を挙げるのは至難の技です。
それでも超有名尺八家でも弟子を採っていました。今みたいに「完全実演」の人はチラホラもいない時代ですからね。
当時、横山勝也先生もおっしゃっていました。「お弟子さんがいなかったら食べていけませんよ」。月謝だけではないですからね。尺八やチケット、レコードも売れるし、呼んでくれた糸方の会のチケットだって、知らん顔はできませんや。
この時代は弟子の方も「師匠の役に立とう」と思う人が多かったんですよ。
島原帆山先生に伺ったところによれば、大正中期で月謝は2円。しかも教習希望者がとても多く、今の個人で教えられる限界値の30人に容易に達したと言います。週6で稽古して日曜に昼稽古を入れれば40人、それ以上でもさほど苦にする事無く昔の尺八家は稽古しました。当時ですから奥さんに苦情を言われるということも有りません。
大正中期は給与格差が大きく収入や物価の単純比較は出来ませんが、「弟子の三十人もいれば左団扇じゃった」そうで、これは島原先生の言です。
これからどうして暮らしていけば良いんだろう? プロを目指す若い尺八吹きは何度もタジログでしょうが、もう答えは出ています。これからの尺八での生活パターンは、この10年でモデルケースが出そろったようです。
その中で手っ取り速い方法と言えば、①がカルチャー、②にスカイプ講習でしょう。やれない人はやれない、やる人はやる、自営だもの当たり前ですわ・・・。
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