ガキ大将
- 2016/05/27
- 22:51
私らの子供の頃は、小学生の男の子は町内ごとにグループでつるんでいました。隣の町内にもまた違うグループが有り、時に遊び、時に対抗していました。
リーダーとしてガキ大将というのがいてダイタイ小学6年でしたね。代送りで中学になると引退で、次のガキ大将に交代しました。
ガキ大将はいろいろな事を知っていて、小学校低学年の時は学校なんて問題にならない、ガキ大将やグループの上の人に教わった事の方が圧倒的に多いです。
魚の釣り方、食べられる木の実、高い木の登り方、肥後守の使い方、薩摩守のやり方。これを実行するのは本当にやむをえない場合。子供の世界には一種奇妙な倫理が存在していました。
その他かいつまんで・・・。
イカダの作り方。 バカヤロウ、死ぬとこだったぞ。幸い川遊びに来ていた白人の青年が助けてくれた。
ガマガエルの干物の作り方。 このストックが大学時代に「蝦蟇の油売り」をやった時に小道具として役に立ちました。作ってから10年経ってもしっかりしていましたね。
磁石に糸を付けて賽銭箱から金を釣る方法。 磁石に着くのはニッケルの50円硬貨だけ。当時だもの有るわきゃネエよ。次善の策としては沢蟹に糸を付けて銭を吊り上げる方法が有る。鳥モチまで使うと子供の世界では犯罪。ダイイチそこまでやったら神様だって黙って見ていないですよ。そうかといってヘタにバチを当てたら後でお互いに気まずい思いをしますでしょう。
頭にくる奴を懲らしめる方法。 そいつの家の前に桶の竹製のタガをまき散らし、大声で悪口を言う。怒って飛び出してくるとケダシ見もの。タガを踏んでイヤというほど「弁慶の泣き所」をぶつける。
満員電車で座る方法。 簡単ですから是非試してみてください。ポケットに蛇を入れていて座っている若い女性の前で少し頭を出してもらうんですよ。
モグラ料理。 焚火で焼くのですが、私の長男は真似して腹を壊して3週間学校を休みました。ザマアミロ、テメエらとはドダイ育ちが違うんだ。だけどよ、どうしてオレが奥さんに怒られなくっちゃならねえんだ。
このガキ大将を中心とした子供の世界は昭和36年前後に崩壊したみたいです。その後は同学年か学年の近い子と遊ぶのが一派的になりましたね。
でもまだ子供は学校から帰宅すれば友達と遊ぶ。健全な時代が続いていました。
その後10年経ちまして、大学の邦楽クラブに入って尺八を吹く様になりまして、そっくりなんですよ、このガキ大将グループと。
入って間の無いウチだけでなく、大学に入って初めて手にとった尺八というモノでは1年の差は決定的です。先輩が卒業するまで技術や知識では追い抜けない。先輩が卒業するまで教わりっぱなし。その畏敬の念、尊敬心は今も続いています。
まして1年生にとっての3年4年生は。文字通り見上げるような存在です。いつになったら自分は吹けるんだろうというような曲を楽々吹いているし、批評も的確、プロをオオッピラにコケにしている。たまに他で尺八師範の演奏を聴くと先輩の方がはるかに上手いし、尺八すら音程が合っていないと自分で直している。
私にとって法政大学三曲会がきわめて居心地が良かったのは、この「失ったガキ大将の世界」みたいだったからです。そこにいると、得も言われぬ安心感が有りました。しかも女性の先輩は皆キレイで親切で。私は外見がカワイイし性格が謙虚だしで、弟みたいに面倒を見てくれました。
これって自分も4年生になりますでしょ、上がいなくなってイッペンに気楽じゃなくなりましたぜ。尺八の世界も時代送りで上の方々がいなくなってきました。「おい、オレにそんな事まで聞きなさんな。分からないでやってる事が多いんだからよ」。だけど体面が有るじゃないですか、分かっているように振る舞わなければ・・・。虚栄心が許しませんよ。
これってヒョットして前の人達もそうだった?
(ついでにウンチク) 私達の代には不要ですが用語解説。
肥後守 昭和30年代の少年は全員がポケットに入れていた二つ折りナイフ。
薩摩守 クイズとしましょう。ヒントは「さざなみや 志賀の都は荒れにしを・・・」
リーダーとしてガキ大将というのがいてダイタイ小学6年でしたね。代送りで中学になると引退で、次のガキ大将に交代しました。
ガキ大将はいろいろな事を知っていて、小学校低学年の時は学校なんて問題にならない、ガキ大将やグループの上の人に教わった事の方が圧倒的に多いです。
魚の釣り方、食べられる木の実、高い木の登り方、肥後守の使い方、薩摩守のやり方。これを実行するのは本当にやむをえない場合。子供の世界には一種奇妙な倫理が存在していました。
その他かいつまんで・・・。
イカダの作り方。 バカヤロウ、死ぬとこだったぞ。幸い川遊びに来ていた白人の青年が助けてくれた。
ガマガエルの干物の作り方。 このストックが大学時代に「蝦蟇の油売り」をやった時に小道具として役に立ちました。作ってから10年経ってもしっかりしていましたね。
磁石に糸を付けて賽銭箱から金を釣る方法。 磁石に着くのはニッケルの50円硬貨だけ。当時だもの有るわきゃネエよ。次善の策としては沢蟹に糸を付けて銭を吊り上げる方法が有る。鳥モチまで使うと子供の世界では犯罪。ダイイチそこまでやったら神様だって黙って見ていないですよ。そうかといってヘタにバチを当てたら後でお互いに気まずい思いをしますでしょう。
頭にくる奴を懲らしめる方法。 そいつの家の前に桶の竹製のタガをまき散らし、大声で悪口を言う。怒って飛び出してくるとケダシ見もの。タガを踏んでイヤというほど「弁慶の泣き所」をぶつける。
満員電車で座る方法。 簡単ですから是非試してみてください。ポケットに蛇を入れていて座っている若い女性の前で少し頭を出してもらうんですよ。
モグラ料理。 焚火で焼くのですが、私の長男は真似して腹を壊して3週間学校を休みました。ザマアミロ、テメエらとはドダイ育ちが違うんだ。だけどよ、どうしてオレが奥さんに怒られなくっちゃならねえんだ。
このガキ大将を中心とした子供の世界は昭和36年前後に崩壊したみたいです。その後は同学年か学年の近い子と遊ぶのが一派的になりましたね。
でもまだ子供は学校から帰宅すれば友達と遊ぶ。健全な時代が続いていました。
その後10年経ちまして、大学の邦楽クラブに入って尺八を吹く様になりまして、そっくりなんですよ、このガキ大将グループと。
入って間の無いウチだけでなく、大学に入って初めて手にとった尺八というモノでは1年の差は決定的です。先輩が卒業するまで技術や知識では追い抜けない。先輩が卒業するまで教わりっぱなし。その畏敬の念、尊敬心は今も続いています。
まして1年生にとっての3年4年生は。文字通り見上げるような存在です。いつになったら自分は吹けるんだろうというような曲を楽々吹いているし、批評も的確、プロをオオッピラにコケにしている。たまに他で尺八師範の演奏を聴くと先輩の方がはるかに上手いし、尺八すら音程が合っていないと自分で直している。
私にとって法政大学三曲会がきわめて居心地が良かったのは、この「失ったガキ大将の世界」みたいだったからです。そこにいると、得も言われぬ安心感が有りました。しかも女性の先輩は皆キレイで親切で。私は外見がカワイイし性格が謙虚だしで、弟みたいに面倒を見てくれました。
これって自分も4年生になりますでしょ、上がいなくなってイッペンに気楽じゃなくなりましたぜ。尺八の世界も時代送りで上の方々がいなくなってきました。「おい、オレにそんな事まで聞きなさんな。分からないでやってる事が多いんだからよ」。だけど体面が有るじゃないですか、分かっているように振る舞わなければ・・・。虚栄心が許しませんよ。
これってヒョットして前の人達もそうだった?
(ついでにウンチク) 私達の代には不要ですが用語解説。
肥後守 昭和30年代の少年は全員がポケットに入れていた二つ折りナイフ。
薩摩守 クイズとしましょう。ヒントは「さざなみや 志賀の都は荒れにしを・・・」
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