信号機
- 2016/05/28
- 22:55
「流によって吹く曲が違うなんてことは変だと思いませんか。私の生きている間には無理かも知れませんが、こういう事は無くしたい」。こうおっしゃったのは横山勝也先生です。それから早くも40年が過ぎました。今では、もうかなりの程度に解消されています。
これって少し考えさせます。古曲(地歌、箏曲)には流による違いはありませんな。その頃でも「やる、やらない」の違いだけで新曲とかに関しては流によっての御法度とかは無かったと思います。
現代邦楽は「やる、やらない」の違いは更に多くなりますが流による違いは無いでしょう。尺八界だけで言うと、「好き」より「嫌い」が五倍位いて、「五線譜が読めないから出来ない」と臆面も無しに言う人が「じゃあ、やってみるか」より10倍位多かっただけです。
「民謡は?古典系とはソフトが全く違うぞ」。そうでしたね。でも禁止してたのは古典系の一部の人だけであって、別にタブーでは無かったように記憶しています。
結局のところ古典本曲だけに言えたことですわ。もっとハッキリ言うと都山と琴古では本曲が違う。もっとハッキリ言うと都山流の尺八吹きは古典本曲をやらないし、出来ない。琴古の人は都山の本曲をやろうとも思わない。それでいて都山は琴古の3倍の人数がいる。
都山流の本曲が音楽ソフトとして古典本曲に対抗できない事は、本当の所では誰でも知っているので「ソフトの解禁、自由化」をすると一方通行になり、都山流のアイデンティティが失われて衰退を招くとの判断でしょう。
これが現在では、都山流の尺八吹きが古典本曲を習う傾向は増える一方で、もう後戻りは有り得ない所まで来ています。
横山先生の悲願が達成されたとも言えるし、「ソフトの自由化」と言うより、琴古も都山も無く、組織的にせよ精神的にせよ、ソフトに縛りをかけていた流や社中というモノが崩壊過程に入ったとも言えます。
これが今起きている「尺八維新」の正体です。体制が一時に変わった明治維新後にすら事態を受け止められなかった人達がいた事は皆が知っていますが、この尺八における大変革は徐々に起きていた事だけに今に至るも「そうかな?」と首を捻る人がいます。
若い人と外国人は同じことを言う事態になりました。「えっ、やっちゃいけない曲が有るって、本当なの。何それ」。これ、信号機が青に変わったのではないのです。信号機が作動しなくなったのです。
当然これからは益々「人によって、やる曲が違う」ようになります。当たり前です。ピアノでクラシックをやる人もいればジャズをやる人もいます。でもタブーとか強制は有りません。「縛り」は賛同させるだけのリキが有る人と賛同する人達の間だけの、そう「ジャンル」と化します。
これって少し考えさせます。古曲(地歌、箏曲)には流による違いはありませんな。その頃でも「やる、やらない」の違いだけで新曲とかに関しては流によっての御法度とかは無かったと思います。
現代邦楽は「やる、やらない」の違いは更に多くなりますが流による違いは無いでしょう。尺八界だけで言うと、「好き」より「嫌い」が五倍位いて、「五線譜が読めないから出来ない」と臆面も無しに言う人が「じゃあ、やってみるか」より10倍位多かっただけです。
「民謡は?古典系とはソフトが全く違うぞ」。そうでしたね。でも禁止してたのは古典系の一部の人だけであって、別にタブーでは無かったように記憶しています。
結局のところ古典本曲だけに言えたことですわ。もっとハッキリ言うと都山と琴古では本曲が違う。もっとハッキリ言うと都山流の尺八吹きは古典本曲をやらないし、出来ない。琴古の人は都山の本曲をやろうとも思わない。それでいて都山は琴古の3倍の人数がいる。
都山流の本曲が音楽ソフトとして古典本曲に対抗できない事は、本当の所では誰でも知っているので「ソフトの解禁、自由化」をすると一方通行になり、都山流のアイデンティティが失われて衰退を招くとの判断でしょう。
これが現在では、都山流の尺八吹きが古典本曲を習う傾向は増える一方で、もう後戻りは有り得ない所まで来ています。
横山先生の悲願が達成されたとも言えるし、「ソフトの自由化」と言うより、琴古も都山も無く、組織的にせよ精神的にせよ、ソフトに縛りをかけていた流や社中というモノが崩壊過程に入ったとも言えます。
これが今起きている「尺八維新」の正体です。体制が一時に変わった明治維新後にすら事態を受け止められなかった人達がいた事は皆が知っていますが、この尺八における大変革は徐々に起きていた事だけに今に至るも「そうかな?」と首を捻る人がいます。
若い人と外国人は同じことを言う事態になりました。「えっ、やっちゃいけない曲が有るって、本当なの。何それ」。これ、信号機が青に変わったのではないのです。信号機が作動しなくなったのです。
当然これからは益々「人によって、やる曲が違う」ようになります。当たり前です。ピアノでクラシックをやる人もいればジャズをやる人もいます。でもタブーとか強制は有りません。「縛り」は賛同させるだけのリキが有る人と賛同する人達の間だけの、そう「ジャンル」と化します。
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