戦前の事。日本は満洲国や汪兆銘の南京政府などの傀儡政権を別として、海外植民地を5つ持っていました。台湾、南樺太、朝鮮、南洋諸島、関東州です。
このいずれの地域においても尺八が吹かれていましたが、ただ、そのほとんどは日本人でした。「台湾人だろうと朝鮮人だろうと、その時は日本人だったはずだ」とか言うのは面倒だからよしましょう。学生の議論みたいですから・・・。
台湾では林吟風がいましたが、他の地域では現地の人が尺八を吹いたとは聞いた事が有りません。理由は挙げられますよ。高い、聞いていて面白くない、仲間として受け入れない当時の日本人の狭量、植民地支配への反感。
でも植民地と一口に言っても温度差が有りますからね。南洋諸島や南樺太はもともと国ではないですから、日本領になったとは言っても、「ああ、そうなの」といった感じだったと思います。
南洋諸島はドイツが統治していましたが第一次世界大戦の結果、日本領になりました。大雑把に言うと赤道以北のグァムを除いた西太平洋の島々です。
このうちパラオで尺八普及の話が有りました。日本パラオ協会の会長さんが10年前の千葉展示会のおりにいらしゃいました。事前に電話で話を聞いていたのですが、「日本パラオ友好の為に尺八が一役かえないだろうか」というような話でした。
パラオは現在人口2万ほどですが、れっきとした独立国です。戦前には3万数千の人口が有り、その四分の三が日本人でした。ですから今でも四分の一の人が日本人の血をひいていると言われています。初代大統領のクニオ・ナカムラさんもお父さんは日本人でした。
パラオは大変「親日感情」が強いと言われ、去年、天皇が訪れた際は国を挙げての「親日アピール」でした。
パラオに移住した戦前の日本人は概して現地人に対して友好的だったと言います。ですが、クニオ・ナカムラさんにしても心の奥底では違った感情を抱いているかも知れません。その少年時代に日本人から受けた差別は相当ヒドイものだったらしいですから。
ともかくも私も尺八屋として出来る事と出来ない事を述べさせてもらいました。邦星堂は「尺八界最大の零細企業」、これが対外的なキャッチフレーズで最近放映されたテレビでもそう紹介されました。ですから協力したくとも実力が伴わないので出来ない事も多いのですよ。
仮にですよ、演奏を含めた「尺八紹介団」を結成してパラオに派遣したとしましょうよ、それでどうなるものでもない。そして尺八を数本寄付したとしましょう、それでも事態は動かない。
楽器の普及の為には、もっと地に足に着いた事、たとえば永住者が尺八を吹いているとか定期的に演奏教授活動をするとかいう事が必須です。
当時も今も私には単なる一過性の海外旅行に少なからぬ費用を割く余裕は有りません。せいぜいが尺八を二本くらい寄付する程度の事しか出来ません。
10年たつと一昔です。事態は劇的に変わりました。ユーチューブで紹介して希望者にはスカイプで講習する。この方法が今や軌道に乗ろうとしています。今ならもっと突っ込んだ話も出来ましょう。
尺八という物質の伝達だけでなく、ソフトとその周辺を含めた文化の紹介という尺八にとって新たな時代を迎えました。でも私はもう66です。でも人生の第四コーナーでこんな時代に巡り合わせてホンモウです。
今の様に世界の各地から尺八の注文が来るような事は10年前には考えられなかったですね。
スポンサーサイト