引退
- 2016/06/19
- 00:00
私にも引退の時期がチラチラ見えてきました。いつまでもやっているとロクな事にならないでしょう。私の学生時代に流通で一番勢いの有った会社といえばダイエーです。
ダイエーを率いた中内功さんは残念ながら終わりが良くなかった。もう十年早く身を引いていたら、戦後の財界人として称賛と栄光に包まれての幕引きでしたでしょう。
老害で晩節を汚したと酷評される人は多いですが、その人達なりの言い分も、聞けばナルホドと納得します。でも余力を残して身を引いた、たとえば本田宗一郎さんなんかは、その潔ぎ良さは後々まで称賛されています。
「人間引き際が肝心」とか言われますが、その引き際がまた難しい。日本のプロ野球選手の平均引退年齢は29歳だと言います。相撲、ボクシングはタブンもっと若いですよ。プロレスは何時までも老醜をさらしているイメージが有りますが、それは一部の人気レスラーの場合であり、一般的にはもっとズット早いです。芸能とスポーツの中間にあたる存在だけに、ともかくも体を使うので芸能人みたいに70過ぎては流石に無理です。
画家、陶芸家なんかですと、その気になれば死ぬ前の日までお金を稼げます。
そういう意味で会社の停年というのは合理的な仕組みですな。60、65になっても元気な人は元気ですよ。頭だってしっかりしてる人は多いです。でも個別の事情より、おしなべての停年というルールにより公平性を保っているわけですな。分かりますよ。70までの老人は皆「まだまだ若い者には負けん」と言いますもの。
だけど、やっぱり60過ぎると「ゲッ、どうしちゃたんだろう」と冷や汗をかくことは有りマッセ。それが会社の場合には、自己責任で処理できないケースも生じるので公平性を重視して定年制を取り入れているのでしょう。大きな責任を持つ社会の知恵でしょう。
でも邦楽では老齢が余程に実演に支障をきたす段階にならないと引退は有りません。基本的におさらい会はコンサートではないから、主催する師匠は上質の演奏を提供するより、パンフレットに後々までハッタリのきくビッグネームを入れる事を優先する傾向が多いです。
どうせ一般社会からは相手にされていないのですから、たまに一般人の変わり者が聞きに言って「ヒデェ」と途中で席を立っても大したことでは無いですしね。
「尺八や邦楽ばかりを言うのはフェアでは無い。小説や絵画、芸能人など皆同じじゃないか」という意見は有りましょう。でも「商業主義」による、ある意味これ以上無いフェアな価値の裏ずけが有ると無いでは大違いですよ。
尺八屋はハードの提供。それも私は出来るだけ特定の人物ないし社中と濃厚な利害を持たないで、その都度ガチで勝負出来るようにしてきました。それでも40年もやってるうちには「義理の縛り」は段々と出来てしまいます。
その方が早いか私の本格的な衰えの自覚が早いか? いずれにしろ、そう遠い未来ではありません。
ダイエーを率いた中内功さんは残念ながら終わりが良くなかった。もう十年早く身を引いていたら、戦後の財界人として称賛と栄光に包まれての幕引きでしたでしょう。
老害で晩節を汚したと酷評される人は多いですが、その人達なりの言い分も、聞けばナルホドと納得します。でも余力を残して身を引いた、たとえば本田宗一郎さんなんかは、その潔ぎ良さは後々まで称賛されています。
「人間引き際が肝心」とか言われますが、その引き際がまた難しい。日本のプロ野球選手の平均引退年齢は29歳だと言います。相撲、ボクシングはタブンもっと若いですよ。プロレスは何時までも老醜をさらしているイメージが有りますが、それは一部の人気レスラーの場合であり、一般的にはもっとズット早いです。芸能とスポーツの中間にあたる存在だけに、ともかくも体を使うので芸能人みたいに70過ぎては流石に無理です。
画家、陶芸家なんかですと、その気になれば死ぬ前の日までお金を稼げます。
そういう意味で会社の停年というのは合理的な仕組みですな。60、65になっても元気な人は元気ですよ。頭だってしっかりしてる人は多いです。でも個別の事情より、おしなべての停年というルールにより公平性を保っているわけですな。分かりますよ。70までの老人は皆「まだまだ若い者には負けん」と言いますもの。
だけど、やっぱり60過ぎると「ゲッ、どうしちゃたんだろう」と冷や汗をかくことは有りマッセ。それが会社の場合には、自己責任で処理できないケースも生じるので公平性を重視して定年制を取り入れているのでしょう。大きな責任を持つ社会の知恵でしょう。
でも邦楽では老齢が余程に実演に支障をきたす段階にならないと引退は有りません。基本的におさらい会はコンサートではないから、主催する師匠は上質の演奏を提供するより、パンフレットに後々までハッタリのきくビッグネームを入れる事を優先する傾向が多いです。
どうせ一般社会からは相手にされていないのですから、たまに一般人の変わり者が聞きに言って「ヒデェ」と途中で席を立っても大したことでは無いですしね。
「尺八や邦楽ばかりを言うのはフェアでは無い。小説や絵画、芸能人など皆同じじゃないか」という意見は有りましょう。でも「商業主義」による、ある意味これ以上無いフェアな価値の裏ずけが有ると無いでは大違いですよ。
尺八屋はハードの提供。それも私は出来るだけ特定の人物ないし社中と濃厚な利害を持たないで、その都度ガチで勝負出来るようにしてきました。それでも40年もやってるうちには「義理の縛り」は段々と出来てしまいます。
その方が早いか私の本格的な衰えの自覚が早いか? いずれにしろ、そう遠い未来ではありません。
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