質屋の人情
- 2016/06/22
- 08:37
大学生でも私の頃まではダイタイの者が質屋の暖簾をくぐっていました。私は東京生まれの東京育ちなので、地方出身者にくらべて少しスレていたというか、世慣れていたようです。
大学1年の冬、部室に顔を出すなり同期の粟田にいきなり「おい、旅行に行こう」と言われて、そのまま千葉の内房の何処かの漁師町に行き、民宿に泊まりました。
翌朝、「おい大橋、宿代立て替えておいてくれ」と言われてビックリしました。「オレ、持ってないぜ」。粟田のヤツ、「逃げよう」と口走ったんですぜ。
「バカ野郎、こんな1時間に1本しか電車の来ない所で逃げられるもんかよ。駅でふんずかまって何発かくらわされた上で警察につきだされるのがオチだ」。
それでどうなったか? 後で払う事で話が着いたのです。ただ、その民宿で三曲会の春合宿を行なうと言う交換条件を出しました。30人近い人数が1週間泊まるわけですから、民宿のオバちゃんも少々疑わしいとは思っても、結局納得したわけです。
これで総て分かりましたよ。粟田、さてはテメエ、梅沢さん(三曲会の事務長)から貰った春合宿の下見費用、使い込んだな。いいや、弁解は聞かねえ、それでオレの顔を見るなり旅行に誘ったんだ。渉外局長になっての初仕事が使い込みとは恐れ入った、めったに出来ない良い経験をさせてもらいました、お礼を言わせてもらいますわ、オオキニ、オオキニ。
話が着かなくともベツに私は慌てませんでした。何故なら腕時計を持っていたからです。当時は腕時計は高く、私のハメていたのは親戚が大学の入学祝に贈ってくれたもので、1万円以上していました。当時の大卒初任給は手取り3万です。これが質屋に持って行くと3千円は貸してくれる事は経験済みでした。当時千五百円程度だった民宿代ですから十分払えたのです。
質屋は人情が有りました。と言うより人の評判がハヤリスタリを決めるので、どこも冷たい態度をとらなかったです。
どんな物を質草に持って行っても学生証が有れば最低5千円貸してくれた神楽坂の質屋。木稲さんに、そのあたりの竹で作った手製の尺八を「先祖伝来の家宝」と言って持ちこまれ、嘘と知りつつ5千円を貸して、あげく流された都立家政の質屋。
仲間4人と下宿で話していて、どうしても寿司が喰いたくなりましたが金が無い。他に方法も無いので私の腕時計を曲げる事にしました。「3千円貸しましょう」、「三千円だと少し不安です」、「どうしたの?」、「仲間4人と寿司を食うんです」、「1人なら十分ですよ」、「ボクがおごるんです。ですから4千円なんとかお願いします」。
頷いて黙って5千円出してくれた新小岩の質屋。4人で豪華に腹いっぱい食ってビールを飲んで、それで3千円チョイ。
どの質屋も思い出すのは、ほのぼのとした懐かしい記憶ばかりです。私もこういう商売をしたいと思ってやってきました。
譲れない線の外側では出来る限り客の希望を入れています。
この気持ち、客に伝わっているんでしょうか?考えた事も有りません。注文の多寡、リピート率で分かります。
大学1年の冬、部室に顔を出すなり同期の粟田にいきなり「おい、旅行に行こう」と言われて、そのまま千葉の内房の何処かの漁師町に行き、民宿に泊まりました。
翌朝、「おい大橋、宿代立て替えておいてくれ」と言われてビックリしました。「オレ、持ってないぜ」。粟田のヤツ、「逃げよう」と口走ったんですぜ。
「バカ野郎、こんな1時間に1本しか電車の来ない所で逃げられるもんかよ。駅でふんずかまって何発かくらわされた上で警察につきだされるのがオチだ」。
それでどうなったか? 後で払う事で話が着いたのです。ただ、その民宿で三曲会の春合宿を行なうと言う交換条件を出しました。30人近い人数が1週間泊まるわけですから、民宿のオバちゃんも少々疑わしいとは思っても、結局納得したわけです。
これで総て分かりましたよ。粟田、さてはテメエ、梅沢さん(三曲会の事務長)から貰った春合宿の下見費用、使い込んだな。いいや、弁解は聞かねえ、それでオレの顔を見るなり旅行に誘ったんだ。渉外局長になっての初仕事が使い込みとは恐れ入った、めったに出来ない良い経験をさせてもらいました、お礼を言わせてもらいますわ、オオキニ、オオキニ。
話が着かなくともベツに私は慌てませんでした。何故なら腕時計を持っていたからです。当時は腕時計は高く、私のハメていたのは親戚が大学の入学祝に贈ってくれたもので、1万円以上していました。当時の大卒初任給は手取り3万です。これが質屋に持って行くと3千円は貸してくれる事は経験済みでした。当時千五百円程度だった民宿代ですから十分払えたのです。
質屋は人情が有りました。と言うより人の評判がハヤリスタリを決めるので、どこも冷たい態度をとらなかったです。
どんな物を質草に持って行っても学生証が有れば最低5千円貸してくれた神楽坂の質屋。木稲さんに、そのあたりの竹で作った手製の尺八を「先祖伝来の家宝」と言って持ちこまれ、嘘と知りつつ5千円を貸して、あげく流された都立家政の質屋。
仲間4人と下宿で話していて、どうしても寿司が喰いたくなりましたが金が無い。他に方法も無いので私の腕時計を曲げる事にしました。「3千円貸しましょう」、「三千円だと少し不安です」、「どうしたの?」、「仲間4人と寿司を食うんです」、「1人なら十分ですよ」、「ボクがおごるんです。ですから4千円なんとかお願いします」。
頷いて黙って5千円出してくれた新小岩の質屋。4人で豪華に腹いっぱい食ってビールを飲んで、それで3千円チョイ。
どの質屋も思い出すのは、ほのぼのとした懐かしい記憶ばかりです。私もこういう商売をしたいと思ってやってきました。
譲れない線の外側では出来る限り客の希望を入れています。
この気持ち、客に伝わっているんでしょうか?考えた事も有りません。注文の多寡、リピート率で分かります。
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