オバタリアン
- 2016/06/28
- 10:06
何ですか、気がついたらオバタリアンと言われた人種が日本から姿を消したように思います。このところ見ません。全員が中国に引っ越したんでも無いようですが・・・。
中国では今もオバタリアンが大量に棲息していて、凄まじいエネルギーを周囲にまき散らしていますが、日本では1985年プラスマイナス5年くらいがピークで、何かその、国家の興隆エネルギーのピークと重なるような気がします。
ソンケイしまっせ。電車の中で大声で話す、空いてる席に先を争って座り、隣の3,4席も手で制しながら御仲間を大声で呼ぶ、どんな些細な事でも気に喰わなければクレームをシツコク言い張る。見かねて男気の有るジイサンや怖いもの知らずのドカタが注意しようものなら、寄ってたかって終生癒えないほどの心の傷を負わせられる。
中国の話しとチャいますがな、嘗ての日本のオバタリアンの事を話しているんです。
思うにこの世代は、まだ「婦徳」ということが真面目に語られていた昭和20年30年代に少女時代を過ごして、親やマワリから「もっとオシトヤカニしなさい」とか「そんな事はオンナの子がしてはいけません」とか言われて育った人達です。
それが結婚して子供を持った。旦那には相手にされない、子供達は言う事を聞かないばかりか、その信じていた人生観までバカにされる。
子供の時に「オシトヤカニしなさい」というオトナの言うことを聞いていて「何の良い事も無かった」。この人生の悟がオバタリアンを大量発生させた根本原因です。居直りさえすれば女性という「社会的弱者」こそ強者でもあります。間違っても男は後難を恐れて強く注意したりはしません。
オバタリアンに逆らう様ですが、その時にオトナの言っていた事が間違いだとは誰も思っていませんが、時代、価値観が違ってしまったんですから仕方が無い。
拡大解釈はイヤですよ。この頃は「軍国主義はその時代には間違っていなかった」とかマジで言うオカタが少し増えました。
尺八は私達とその下10年くらいが「尺八界の新人類」と言われた世代です。「流は重んじない、家元の言う事も無視する、周囲に自分を合わせない、音楽とも思えない曲を好む」とか、さんざん陰口をたたかれました。ほとんどの者が、そう言われることをむしろ名誉だと思っていましたが、名誉では無いまでも、ナルホドいっさい気にはなりませんでしたね。
でも、私は良く分からなのですが、私達の前の世代にしろ、流や家元を本気で「貴い」と思っていたわけではないでしょう?。
それは「忠君愛国」が、良い悪いは別にして皆に「間違いない人間としての道」と受け入れられていた戦前の事は知りませんよ。
でもまあ戦後とは言え、その頃の尺八界は戦前世代が多かったですね。
でも、時代は戦後でしたしね。軍人や指導者への怒りは、戦中の実体験が有るだけに今よりズット強かったわけですがね。どうしてオジタリアン化しなかったのですかね?
今はもう、そういう点ではしかるべき所に軟着陸しましたね。私達ほど周囲との摩擦も無いし、今どき他人の音楽嗜好をトヤカク言ったらバカだと思われます。だけど、それでいて、そのさらに前の時代の価値観に戻ったわけでも無い。そう弁証法で言うところの「螺旋上昇」です。
中国では今もオバタリアンが大量に棲息していて、凄まじいエネルギーを周囲にまき散らしていますが、日本では1985年プラスマイナス5年くらいがピークで、何かその、国家の興隆エネルギーのピークと重なるような気がします。
ソンケイしまっせ。電車の中で大声で話す、空いてる席に先を争って座り、隣の3,4席も手で制しながら御仲間を大声で呼ぶ、どんな些細な事でも気に喰わなければクレームをシツコク言い張る。見かねて男気の有るジイサンや怖いもの知らずのドカタが注意しようものなら、寄ってたかって終生癒えないほどの心の傷を負わせられる。
中国の話しとチャいますがな、嘗ての日本のオバタリアンの事を話しているんです。
思うにこの世代は、まだ「婦徳」ということが真面目に語られていた昭和20年30年代に少女時代を過ごして、親やマワリから「もっとオシトヤカニしなさい」とか「そんな事はオンナの子がしてはいけません」とか言われて育った人達です。
それが結婚して子供を持った。旦那には相手にされない、子供達は言う事を聞かないばかりか、その信じていた人生観までバカにされる。
子供の時に「オシトヤカニしなさい」というオトナの言うことを聞いていて「何の良い事も無かった」。この人生の悟がオバタリアンを大量発生させた根本原因です。居直りさえすれば女性という「社会的弱者」こそ強者でもあります。間違っても男は後難を恐れて強く注意したりはしません。
オバタリアンに逆らう様ですが、その時にオトナの言っていた事が間違いだとは誰も思っていませんが、時代、価値観が違ってしまったんですから仕方が無い。
拡大解釈はイヤですよ。この頃は「軍国主義はその時代には間違っていなかった」とかマジで言うオカタが少し増えました。
尺八は私達とその下10年くらいが「尺八界の新人類」と言われた世代です。「流は重んじない、家元の言う事も無視する、周囲に自分を合わせない、音楽とも思えない曲を好む」とか、さんざん陰口をたたかれました。ほとんどの者が、そう言われることをむしろ名誉だと思っていましたが、名誉では無いまでも、ナルホドいっさい気にはなりませんでしたね。
でも、私は良く分からなのですが、私達の前の世代にしろ、流や家元を本気で「貴い」と思っていたわけではないでしょう?。
それは「忠君愛国」が、良い悪いは別にして皆に「間違いない人間としての道」と受け入れられていた戦前の事は知りませんよ。
でもまあ戦後とは言え、その頃の尺八界は戦前世代が多かったですね。
でも、時代は戦後でしたしね。軍人や指導者への怒りは、戦中の実体験が有るだけに今よりズット強かったわけですがね。どうしてオジタリアン化しなかったのですかね?
今はもう、そういう点ではしかるべき所に軟着陸しましたね。私達ほど周囲との摩擦も無いし、今どき他人の音楽嗜好をトヤカク言ったらバカだと思われます。だけど、それでいて、そのさらに前の時代の価値観に戻ったわけでも無い。そう弁証法で言うところの「螺旋上昇」です。
スポンサーサイト