大垣
- 2016/06/29
- 20:28

展示会の帰りです。姫路からダイレクトに小田原までは帰れないので、途中の大垣で一泊しました。大垣と言って連想するのはどんな事ですか?
松尾芭蕉。『奥の細道』の記述は大垣で終わっていますね。
関ケ原での決戦の前、ここに西軍の主力が集結しました。石田三成の家老・島左近が名を高めた杭瀬川はこの地に有ります。
水と織物の街
戸田10万石の城下町
23時50分東京発の鈍行大垣行、学生時代にはお世話になりました。早朝、大垣で京都行きに乗り換えました。
私の大橋姓が多い。うちは新潟ですが何処かでつながっているのでしょうかしら?
こんな所でしょうか? 岐阜県は都山が多く、楽会と連盟の混在している所ですが、大垣は連盟が多い。

見ても分かる通り大垣城の今の規模は小さい。城の前の広場に立つ銅像は戸田氏鉄(とだ・うじかね)です。
この戸田氏というのは面白い経歴です。元は渥美半島の田原にいました。戸田康光は徳川家康の義理の祖父です。ところがですよ、子供の時に家康は、この義理のお爺さんに織田家に売り飛ばされてしまいます。この頃の徳川家(松平)は今川義元に属していました。それが何時の間にか戸田家は織田信秀に寝返っていたというわけです。戦国時代は油断もスキも有りませんですね。
その代価が千貫文だったと言いますから今の価格で幾らでしょう?
銭の基準は時代によっても場所によっても違いますが、大雑把なとこで16世紀半ばの三河だと米3千石位でしょう。今の基準で米10キロで幾ら? 米1石は150キロ。暇だったら計算してください。
でも戸田氏は再び徳川に属し江戸期を通して栄えます。大名家に限っても、この大垣はじめ宇都宮、松本、足利、高徳、畑村と多いです。徳川家康という人はフトコロが実に深いですな。
都山流が分裂した時に、どちらかに行き、そしてまた元に戻った人もいます。それぞれに事情が有るので他人がトヤカク言う事ではありません。
もう言いますが、都山流尺八楽会の新潟支部で連盟の会長の坂田誠山を招いて「竹取物語」をやります。支部長の明間原山の大英断です。この人は連盟に元はいたのです。師匠の飯吉正山との意見の違いで4,5人の同志達と楽会に移りました。
事の当否については人により感想は違いましょう。けど私はこういう姿勢に大賛成です。
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