袖すりあうも 其五(海童道さん)
- 2014/11/27
- 14:22
伝説の尺八家、本曲のカリスマ海童道。会った人、話したことのある人は多くないと思います。昭和52年の夏の暑い盛り、横山勝也先生が海童道を招いて「聴法会」と称する集いをおこないました。
横山門下の方30人くらいの会で、2時間というもの全員正座で海童道の話を聞きました。若き日の香川一朝さん、古屋輝夫さん、菅原久仁義さん、中村明一さんもいました。横山門下以外の人間は私と笛の赤尾三千子さんだけだったと記憶しています。
話しの合間に海童道は「道具」と称する地無し長管も吹きましたが、ほんの少しだけで時間にして15秒くらいのものでしょう。
会の終了した後、横山先生に「大橋さん、ご紹介しますから」と言っていただき、1~2分ですが海童道さんと立ち話させていただきました。
背は160センチくらいです。小柄という印象をうけないのはガッシリした体格だからでしょう。短い時間でしたが終始ニコニコされていて、人の良いオジサンという感じで、それまで聞いていたイメージとかなり違いました。坊主頭で作務衣なのでどこぞの寺の住職という風貌の方です。
この人について、それまで良い話を聞いたことが有りません。
横山先生の話 お茶席でチンボを出して茶をかき回し隣の客に回した。 家で妻妾同居している。(この会にも妾の方の女性がいらしてました)
酒井竹保先生の話 お客にビールを勧め、客が飲んだら小便だった。
その2年前にケーナ奏者のウニャ・ラモスに演奏を依頼しましたが、その少し前に海童道と会ったらしく、「尺八を吹く人って皆あんなじゃないだろうね」とコボサレました。何でも彼の出る時間を完全に無視して吹き続けたのだそうです。
本人の話 アメリカから音楽関係の来客が有った。何を訊かれても無言、やおら大喝一声したらアメリカ人は腰を抜かした。「本当に腰を抜かしましたよ」と御本人は念を入れましたが、嘘だったほうが、まだしも名誉ですよ。その後、そのアメリカ人から「雷をどう思うか?」と聞かれ「あれは自然現象だ」と答えたと言いますから、聞く方も聞く方、答えた方も答えた方です。禅問答にもなっていませんね。
海童道さんの談話は、こういう自慢話とも武勇伝ともつかない話しの連続で、私は正直なところ何にも感心しませんでした。
私が今でも関心を持っていることは、どうやって生活費を稼いでいたのか?と言うことです。尺八の演奏や教授で暮らしがたっていたとは思えません。
昭和30年代に東京都知事をしていた東龍太郎の政治顧問をしていたとか、山口組三代目田岡一雄とも友人だとかで、ウラの世界の匂いがしますが、昭和の時代いっぱいは、まだ黒幕とかフィクサー業とかの跳梁する余地が充分に残っていた時代です。政治顧問というのは文字通リの意味と用心棒という意味とが有ります。誰だって、海童道が都知事のもとで政策立案をしていたとは思いませんわね。
私の尺八のお客様にも「黒幕商売」の方がいらっしゃり、昔の「まだ男が男として生きられた時代」の面白い話をたくさん聞いています。
それは、また別の機会にでも・・・
そうそう、「海童道の師匠って誰ですか?」とよく聞かれますので一応述べます。熊本の津野田露月です。津野田露月は明暗真法流の勝浦正山、明暗九州派の清水静山、明暗対山派の樋口対山に師事したと聞いています。また富森虚山は娘婿だと聞いたことが有ります。
海童道の本名は田中賢道です。
横山門下の方30人くらいの会で、2時間というもの全員正座で海童道の話を聞きました。若き日の香川一朝さん、古屋輝夫さん、菅原久仁義さん、中村明一さんもいました。横山門下以外の人間は私と笛の赤尾三千子さんだけだったと記憶しています。
話しの合間に海童道は「道具」と称する地無し長管も吹きましたが、ほんの少しだけで時間にして15秒くらいのものでしょう。
会の終了した後、横山先生に「大橋さん、ご紹介しますから」と言っていただき、1~2分ですが海童道さんと立ち話させていただきました。
背は160センチくらいです。小柄という印象をうけないのはガッシリした体格だからでしょう。短い時間でしたが終始ニコニコされていて、人の良いオジサンという感じで、それまで聞いていたイメージとかなり違いました。坊主頭で作務衣なのでどこぞの寺の住職という風貌の方です。
この人について、それまで良い話を聞いたことが有りません。
横山先生の話 お茶席でチンボを出して茶をかき回し隣の客に回した。 家で妻妾同居している。(この会にも妾の方の女性がいらしてました)
酒井竹保先生の話 お客にビールを勧め、客が飲んだら小便だった。
その2年前にケーナ奏者のウニャ・ラモスに演奏を依頼しましたが、その少し前に海童道と会ったらしく、「尺八を吹く人って皆あんなじゃないだろうね」とコボサレました。何でも彼の出る時間を完全に無視して吹き続けたのだそうです。
本人の話 アメリカから音楽関係の来客が有った。何を訊かれても無言、やおら大喝一声したらアメリカ人は腰を抜かした。「本当に腰を抜かしましたよ」と御本人は念を入れましたが、嘘だったほうが、まだしも名誉ですよ。その後、そのアメリカ人から「雷をどう思うか?」と聞かれ「あれは自然現象だ」と答えたと言いますから、聞く方も聞く方、答えた方も答えた方です。禅問答にもなっていませんね。
海童道さんの談話は、こういう自慢話とも武勇伝ともつかない話しの連続で、私は正直なところ何にも感心しませんでした。
私が今でも関心を持っていることは、どうやって生活費を稼いでいたのか?と言うことです。尺八の演奏や教授で暮らしがたっていたとは思えません。
昭和30年代に東京都知事をしていた東龍太郎の政治顧問をしていたとか、山口組三代目田岡一雄とも友人だとかで、ウラの世界の匂いがしますが、昭和の時代いっぱいは、まだ黒幕とかフィクサー業とかの跳梁する余地が充分に残っていた時代です。政治顧問というのは文字通リの意味と用心棒という意味とが有ります。誰だって、海童道が都知事のもとで政策立案をしていたとは思いませんわね。
私の尺八のお客様にも「黒幕商売」の方がいらっしゃり、昔の「まだ男が男として生きられた時代」の面白い話をたくさん聞いています。
それは、また別の機会にでも・・・
そうそう、「海童道の師匠って誰ですか?」とよく聞かれますので一応述べます。熊本の津野田露月です。津野田露月は明暗真法流の勝浦正山、明暗九州派の清水静山、明暗対山派の樋口対山に師事したと聞いています。また富森虚山は娘婿だと聞いたことが有ります。
海童道の本名は田中賢道です。
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