世界に伝える
- 2016/07/16
- 21:58
「僕には尺八の古典本曲ってどれを聴いても皆同じに聞こえるんですけど」。昔、こう大学の尺八の後輩に言われました。
「そうだよ。オレもそうだ」。 「どうしてですかね?」。 「難しく考える事ではない。もともと同じものなんだから・・・」。
今、古典本曲は人によって見解は違いますが、だいたい200だと言われています。このうち35とも36とも数えられるのが琴古流古典本曲ですが、琴古の人で全部聞き分けられる人って絶対1パーセント以下ですよ。では琴古は現在4千人いないから40人以下。ウソ、絶対そんなにいない。
琴古流本曲で演奏会にかかるのは10数曲でしょうが、全部を聴いた事が有る人は? 私を含めて、これは多いですよ。昭和50年だったと思いますが、青木鈴慕先生が東芝レコードから全部を出しています。若かったけど金に不自由しなかったセレブなオイラは買いました。聴いてテープにとり、そしてレコードは法政大学三曲会に寄付しました。
ですから私は、ほんの短い時期ですが、全部聞き分けられました。もう今は曲名すら全部は出てきません。その後で山口五郎先生が、やはり全部を出していますが、こちらは全部は聴いていません。
「鹿の遠音」と「一二三鉢返し」は類型的です。後、幾つかのパターンに区分できる曲は有りますが、部分的に聴いたら何の曲か判断出来ないですよ。
だから良いんじゃないですか。違いを作るのは吹く人なんですよ。解釈して消化して違いを、その人なりに作るんです。譜面を吹くと単なる「音並べ」になります。
今、古典本曲、海童道曲を含めてですが、尺八のこの部分に真剣に取り組んでいる人達がいて、しかも言葉、実際の吹き分け、唱譜で歌い分ける等、様々な角度からの説明で外国人にすら伝えられるようになりました。20年前では考えられないですよ。
その為のテクニックとか説明経路を研鑽したからこそです。「良いものに説明はいらない」なんて嘘ですよ。その証拠に倍賞千恵子先生の歌は外国では知られていないぞ・・・。
それを、古典本曲なんて同胞にすら伝えにくいものを良くぞここまで。私は心から尊敬しています。
今回の台湾展示会は、「楽器を売るばかりでなく、尺八の音楽としての面も伝えたい」と考えて、まず古屋輝夫さんに講習を依頼しました。今後も利益を減らしてでも、やっていきたいと思います。
通訳に悩みましたが、「案ずるより何とやら」で、台北の日本人留学生も高雄の台湾人女子大生も実に良くやってくれました。
終了後に古屋さんが感心していました。難解な音楽概念も真剣に理解して伝えようと努力してくれた、そういう感想を持っていただけて私も嬉しいですが、その前提として古屋さんご自身が真摯に本曲の魅力を伝えようとなさったので、これまで尺八と無縁だった大学生達も感応したのだと思います。
古典本曲は真摯に取り組まないと全然面白くないですよ。その凄愴なまでの美は水墨画とか備前の茶碗みたいなもので、誰にも即受け入れられないかも知れませんが、少なくとも私は、ここが無かったら尺八を仕事にしていません。
「そうだよ。オレもそうだ」。 「どうしてですかね?」。 「難しく考える事ではない。もともと同じものなんだから・・・」。
今、古典本曲は人によって見解は違いますが、だいたい200だと言われています。このうち35とも36とも数えられるのが琴古流古典本曲ですが、琴古の人で全部聞き分けられる人って絶対1パーセント以下ですよ。では琴古は現在4千人いないから40人以下。ウソ、絶対そんなにいない。
琴古流本曲で演奏会にかかるのは10数曲でしょうが、全部を聴いた事が有る人は? 私を含めて、これは多いですよ。昭和50年だったと思いますが、青木鈴慕先生が東芝レコードから全部を出しています。若かったけど金に不自由しなかったセレブなオイラは買いました。聴いてテープにとり、そしてレコードは法政大学三曲会に寄付しました。
ですから私は、ほんの短い時期ですが、全部聞き分けられました。もう今は曲名すら全部は出てきません。その後で山口五郎先生が、やはり全部を出していますが、こちらは全部は聴いていません。
「鹿の遠音」と「一二三鉢返し」は類型的です。後、幾つかのパターンに区分できる曲は有りますが、部分的に聴いたら何の曲か判断出来ないですよ。
だから良いんじゃないですか。違いを作るのは吹く人なんですよ。解釈して消化して違いを、その人なりに作るんです。譜面を吹くと単なる「音並べ」になります。
今、古典本曲、海童道曲を含めてですが、尺八のこの部分に真剣に取り組んでいる人達がいて、しかも言葉、実際の吹き分け、唱譜で歌い分ける等、様々な角度からの説明で外国人にすら伝えられるようになりました。20年前では考えられないですよ。
その為のテクニックとか説明経路を研鑽したからこそです。「良いものに説明はいらない」なんて嘘ですよ。その証拠に倍賞千恵子先生の歌は外国では知られていないぞ・・・。
それを、古典本曲なんて同胞にすら伝えにくいものを良くぞここまで。私は心から尊敬しています。
今回の台湾展示会は、「楽器を売るばかりでなく、尺八の音楽としての面も伝えたい」と考えて、まず古屋輝夫さんに講習を依頼しました。今後も利益を減らしてでも、やっていきたいと思います。
通訳に悩みましたが、「案ずるより何とやら」で、台北の日本人留学生も高雄の台湾人女子大生も実に良くやってくれました。
終了後に古屋さんが感心していました。難解な音楽概念も真剣に理解して伝えようと努力してくれた、そういう感想を持っていただけて私も嬉しいですが、その前提として古屋さんご自身が真摯に本曲の魅力を伝えようとなさったので、これまで尺八と無縁だった大学生達も感応したのだと思います。
古典本曲は真摯に取り組まないと全然面白くないですよ。その凄愴なまでの美は水墨画とか備前の茶碗みたいなもので、誰にも即受け入れられないかも知れませんが、少なくとも私は、ここが無かったら尺八を仕事にしていません。
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