詩吟
- 2014/11/28
- 22:48
中国文学を表して、漢文、唐詩、宋詞、元曲と言います。漢の賦文、唐では定型詩が流行、宋になると文学の主流は不定形詞になり元の時代は戯曲というものです。
中国文学で三国志演義、水滸伝、西遊記などの明代小説を別にすれば日本で最も人気が有るのは唐詩でしょう。絶句、律詩などで李白、杜甫は特に人口に膾炙しています。これを舞台芸能にしたのが吟詠ですな。
私のお客様は尺八で詩吟の伴奏をする人も多く、日本一といわれる河野正明さんはじめ磯牧山さん、亡くなった酒井政名さん、酒井門下の小林徳行さん、戸室流の会長だった戸室賢山さん、まだまだいらしゃいます。
私は、この様な詩吟の方にお会いする度に「詩吟のソフトとして幕末物はやめた方が良い」と言ってきました。
詩吟の吟題になっているのは、絶句、律詩、和歌などですが、このうち幕末に作られた和製の絶句、律詩には若い人や外国人、それも中国、韓国人に嫌悪感を持たせる類のものが多く、詩として評価出来るかどうかは置いといて、今の時代にそれをやる限り広く人の支持を得るどころか時代錯誤と嗤われると思うのです。「忠君愛国」とか「七生報国」もそれはそれで一つの考え方ですけど・・・。 ですが他に無いわけじゃないでしょう。
そんな事を言っているうちに、自作の漢詩を送ってきて添削を依頼してくる方が何人も出てきました。だって私は単に大学が文学部だというだけで、それも日本文学、おまけに四年間で百時限も講義に出席していませんぜ。それなのに何で?
中には何百人もお弟子さんのいる詩吟の先生までいて、いったい何を勘違いしたのか今でも不思議です。
漢詩には幾つかの約束事が有りますが、とりあえず日本人が作るものは脚韻さえ出来ていれば良いと思います。四声が分からない日本人に平仄を求めるのは無理ですし、ダイイチ唐の漢詩の名品と言われるものにも平仄の約束事をはずしている物もありまっせ。 七言律詩の最高傑作「黄鶴楼」とか三体詩のエース杜牧の「江南の春」とか・・・
.
大学生の時、どうして唐の時代に全盛を極めた絶句や律詩が次の宋代になると不定形詞に人気の中心が移ったのかを教授に聞きました。理由の一つは唐三百年で絶句、律詩のリズムがほぼ出尽くしたということが有るとのことでした。
清の初期に時の皇帝・康熙帝の御声ガかりで、唐代に作られた総ての詩を集めた「全唐詩」が編纂されました。約4万9千首です。ところが一世紀後に日本の市川寛斉が「全唐詩」に洩れている詩を集めて「全唐詩逸」を編み、中国人を仰天させました。「全唐詩逸」は中国(清)でも出版されましたが、聖祖という中国史上破格の廟号を贈られ、「大帝」と尊敬される康熙帝の事業に遺漏が有ったことを日本人に指摘されたのですから清の学者達の衝撃が大きかったのは当然です。
ともかく、唐代で全て絶句、律詩のリズムは出尽くして、新しく作っても新鮮な感動を与えられなくなったということでしょう。
昔あれほど人々に愛された演歌が今はさっぱり人気が無くなりましたが、そのはずです。みんな何時か聞いたメロデイなんですもん。
尺八で現代曲をやる意味はここに有ります。古典と現代曲、どちらが優れているとか、そういう事ではありません。
中国文学で三国志演義、水滸伝、西遊記などの明代小説を別にすれば日本で最も人気が有るのは唐詩でしょう。絶句、律詩などで李白、杜甫は特に人口に膾炙しています。これを舞台芸能にしたのが吟詠ですな。
私のお客様は尺八で詩吟の伴奏をする人も多く、日本一といわれる河野正明さんはじめ磯牧山さん、亡くなった酒井政名さん、酒井門下の小林徳行さん、戸室流の会長だった戸室賢山さん、まだまだいらしゃいます。
私は、この様な詩吟の方にお会いする度に「詩吟のソフトとして幕末物はやめた方が良い」と言ってきました。
詩吟の吟題になっているのは、絶句、律詩、和歌などですが、このうち幕末に作られた和製の絶句、律詩には若い人や外国人、それも中国、韓国人に嫌悪感を持たせる類のものが多く、詩として評価出来るかどうかは置いといて、今の時代にそれをやる限り広く人の支持を得るどころか時代錯誤と嗤われると思うのです。「忠君愛国」とか「七生報国」もそれはそれで一つの考え方ですけど・・・。 ですが他に無いわけじゃないでしょう。
そんな事を言っているうちに、自作の漢詩を送ってきて添削を依頼してくる方が何人も出てきました。だって私は単に大学が文学部だというだけで、それも日本文学、おまけに四年間で百時限も講義に出席していませんぜ。それなのに何で?
中には何百人もお弟子さんのいる詩吟の先生までいて、いったい何を勘違いしたのか今でも不思議です。
漢詩には幾つかの約束事が有りますが、とりあえず日本人が作るものは脚韻さえ出来ていれば良いと思います。四声が分からない日本人に平仄を求めるのは無理ですし、ダイイチ唐の漢詩の名品と言われるものにも平仄の約束事をはずしている物もありまっせ。 七言律詩の最高傑作「黄鶴楼」とか三体詩のエース杜牧の「江南の春」とか・・・
.
大学生の時、どうして唐の時代に全盛を極めた絶句や律詩が次の宋代になると不定形詞に人気の中心が移ったのかを教授に聞きました。理由の一つは唐三百年で絶句、律詩のリズムがほぼ出尽くしたということが有るとのことでした。
清の初期に時の皇帝・康熙帝の御声ガかりで、唐代に作られた総ての詩を集めた「全唐詩」が編纂されました。約4万9千首です。ところが一世紀後に日本の市川寛斉が「全唐詩」に洩れている詩を集めて「全唐詩逸」を編み、中国人を仰天させました。「全唐詩逸」は中国(清)でも出版されましたが、聖祖という中国史上破格の廟号を贈られ、「大帝」と尊敬される康熙帝の事業に遺漏が有ったことを日本人に指摘されたのですから清の学者達の衝撃が大きかったのは当然です。
ともかく、唐代で全て絶句、律詩のリズムは出尽くして、新しく作っても新鮮な感動を与えられなくなったということでしょう。
昔あれほど人々に愛された演歌が今はさっぱり人気が無くなりましたが、そのはずです。みんな何時か聞いたメロデイなんですもん。
尺八で現代曲をやる意味はここに有ります。古典と現代曲、どちらが優れているとか、そういう事ではありません。
スポンサーサイト