狭くなった世界
- 2016/08/01
- 22:41
今年から中国の武漢に有る音楽学校で尺八科が正式に発足したと聞きました。詳しい事はまだ不明です。これから情報を集めます。
尺八が正式科目というと私の世代はウエスリアン大学をすぐ思い浮かべます。
ウエスリアン大学はリベラル・アーツ・カレッジに分類される大学です。すなわち少人数、全寮制などの特徴を持っている大学の事ですが、ウエスリアンは学生数3千で全米の大学でもランクは最高レベルです。アメリカ東部のコネチカット州ミドルタウンに在ります。
ここで1970年代、80年代には尺八が教えられていました。
コネチカットと言えば憲法洲。ピストルのコルトでも西部劇ファンにはなじみが有るでしょう。
この州の出身者で私が面識が有るのは二人。一人はプロレスラーのフレッド・カーリー、そしてもう一人は女性尺八家のローリー・カザスさんです。もう25年くらい会っていませんが、綺麗で知的で私はとても好きでした。
コネチカットの女性では2番目に魅力的だと言って、一番は誰だと聞かれ、キャサリン・ヘップバーンだと答えて大笑いされました。
この人はウエスリアン大学で尺八講師だった佐野鈴霏さんに尺八を教わり、その後に来日し、鈴慕会に属しましたが、師範免状取得の段になり辞めてしまいました。当時35万円(プラス20%7万円の礼)がバカバカしいと感じたのでしょう。
「免状拒否」は今では普通の事ですが、30年前だとアメリカ人でなければ有り得ませんでしたね。カザスさんは優しくて清楚なたたずまいですが、アメリカ人ですから意思表示はハッキリとします。
その後2,3回は演奏会で御夫君の素川さんと一緒のところを会いましたが、いつしか縁遠くなってしまい残念です。
これは私の方にも原因が有りまして、尺八の仕事がメッチャ忙しくなり演奏会に行かなくなりました。
このウエスリアン大学は日本の一流尺八家に講師のオーダーを出しておりました。山口五郎先生が行ったのも意外でしたが、1976年からは1年間、横山勝也先生が行くはずでした。日本での地位を危うくしてまで、どうして行くのか聞きましたとも。
そしたら「横山勝也が一年日本を留守にして、それでどうなるかに興味は有りませんか?」と逆に聞かれました。
同様の事は二年行っていた佐野さんにも聞いた事が有ります。
冗談で無く、年単位で日本を留守にすると将来に渡って影響は大でした。帰ってきたら弟子も演奏会の椅子も無くなっている可能性が有りますし、元の状態にするのに何年もかかる事は避けられなかったでしょう。
その頃と比べると今は随分と事情が変わりました。航空券が異常に安くなったし、スカイプ講習で繋げますので、語学力さえ有れば、もう日本と外国をカケモチする事が可能になりました。
尺八家の私にしても今年は5,6,7月と三ヶ月連続で海外で金を稼ぎました。7月の南京は業務提携を結ぶ為に行ったのですが、持参した尺八を5本、40万円ほど買ってもらいましたので、まあ私と林嵐山の経費、人件費くらいにはなりましたわな。
もう10年したら何ら珍しくも無い事になるでしょう。伝統的な文化の中で箏、三味線、着物などは材料や製品が外国で市場は日本です。尺八は今のところ逆ですが、私は尺八業界も早くスケールアップして、そういう業界のようになって欲しいのです。
外国で生産された尺八が入って来て、日本の製管師と熾烈な勝負をする。考えてもワクワクします。
尺八が正式科目というと私の世代はウエスリアン大学をすぐ思い浮かべます。
ウエスリアン大学はリベラル・アーツ・カレッジに分類される大学です。すなわち少人数、全寮制などの特徴を持っている大学の事ですが、ウエスリアンは学生数3千で全米の大学でもランクは最高レベルです。アメリカ東部のコネチカット州ミドルタウンに在ります。
ここで1970年代、80年代には尺八が教えられていました。
コネチカットと言えば憲法洲。ピストルのコルトでも西部劇ファンにはなじみが有るでしょう。
この州の出身者で私が面識が有るのは二人。一人はプロレスラーのフレッド・カーリー、そしてもう一人は女性尺八家のローリー・カザスさんです。もう25年くらい会っていませんが、綺麗で知的で私はとても好きでした。
コネチカットの女性では2番目に魅力的だと言って、一番は誰だと聞かれ、キャサリン・ヘップバーンだと答えて大笑いされました。
この人はウエスリアン大学で尺八講師だった佐野鈴霏さんに尺八を教わり、その後に来日し、鈴慕会に属しましたが、師範免状取得の段になり辞めてしまいました。当時35万円(プラス20%7万円の礼)がバカバカしいと感じたのでしょう。
「免状拒否」は今では普通の事ですが、30年前だとアメリカ人でなければ有り得ませんでしたね。カザスさんは優しくて清楚なたたずまいですが、アメリカ人ですから意思表示はハッキリとします。
その後2,3回は演奏会で御夫君の素川さんと一緒のところを会いましたが、いつしか縁遠くなってしまい残念です。
これは私の方にも原因が有りまして、尺八の仕事がメッチャ忙しくなり演奏会に行かなくなりました。
このウエスリアン大学は日本の一流尺八家に講師のオーダーを出しておりました。山口五郎先生が行ったのも意外でしたが、1976年からは1年間、横山勝也先生が行くはずでした。日本での地位を危うくしてまで、どうして行くのか聞きましたとも。
そしたら「横山勝也が一年日本を留守にして、それでどうなるかに興味は有りませんか?」と逆に聞かれました。
同様の事は二年行っていた佐野さんにも聞いた事が有ります。
冗談で無く、年単位で日本を留守にすると将来に渡って影響は大でした。帰ってきたら弟子も演奏会の椅子も無くなっている可能性が有りますし、元の状態にするのに何年もかかる事は避けられなかったでしょう。
その頃と比べると今は随分と事情が変わりました。航空券が異常に安くなったし、スカイプ講習で繋げますので、語学力さえ有れば、もう日本と外国をカケモチする事が可能になりました。
尺八家の私にしても今年は5,6,7月と三ヶ月連続で海外で金を稼ぎました。7月の南京は業務提携を結ぶ為に行ったのですが、持参した尺八を5本、40万円ほど買ってもらいましたので、まあ私と林嵐山の経費、人件費くらいにはなりましたわな。
もう10年したら何ら珍しくも無い事になるでしょう。伝統的な文化の中で箏、三味線、着物などは材料や製品が外国で市場は日本です。尺八は今のところ逆ですが、私は尺八業界も早くスケールアップして、そういう業界のようになって欲しいのです。
外国で生産された尺八が入って来て、日本の製管師と熾烈な勝負をする。考えてもワクワクします。
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