大和魂
- 2016/08/06
- 22:55
「大和魂」と言うと一般にマイナスイメージを持たれていたのは私の若い頃。今は「どうでも良いけど、言葉だけの事」と言うくらいの相場では無いですかね。
元々は何時頃から使われ始めたんですかね? 幕末の久留米の神官、真木和泉の有名な辞世の歌、「我が年月の・・・」というヤツくらいからが、私の記憶の範囲です。
徳川家康の頃までは「大和魂」だとか「日本精神」だとか言ってなかったと思うんですよね。でもお孫さんの水戸光圀は水戸学の御本尊で「尊王攘夷」の家元宗家ですぜ。このオカタから日本は、人の心に神の存在しない「神の国」になりました。
私は水戸光圀様の事は良く知っています。あの優しくて庶民を悪いヤツから守った黄門様に「外国人を皆殺しにしたい、べつに策が無いわけではない」と言う一面が有ったかと・・・。人間の多面体をつくずく感じますよ。
私は「大和魂」と言う言葉自体にはベツに悪いイメージは無いですが、戦前戦中に大いに流行った大和魂には、今となっては大した意味が有るとも思っていません。
当時、口で物不足を糊塗する目的で盛んに使われた事の反動で、私の少年時代は本気で使うと右翼ないし時代錯誤の精神論者と思われたものです。たしかに幕末から戦中までに使われていた「大和魂」はと言えば、狂信的な「天皇病患者」や頭の粗雑な国家主義者が好んで口にしていたので、良いイメージは持ちようが無いですわね。
今、尺八を「売り出す為」に外国人に精神面を説明しなければならない時が有ります。私はこの「大和魂」の本来の使われ方が有効だと思っています。
尺八の面白さ、あるいは興味をひく部分には精神面での「日本」の存在がまだ大きいのです。
尺八を手にとった外国人は等しく「綺麗だ」と言い、後は竹の自然を生かした繊細な細工に感心します。「いくら見ていても飽きない」と言われる事もシバシバです。
この尺八の物としての美を構成しているのが「大和魂」です。ゆかしい自己主張と言いますか。表に出さない十分な心配り、あるいは相手の価値観に思いっきり判断をゆだねる自信、暑苦しくならない自己流露。こういった様なことですかねえ・・・。
『源氏物語』くらいから出て来る「大和魂」。それは「大和心」と言いかえても良いでしょう。本居宣長の「朝日に匂う山桜」でも良いですが、夏の朝露を含んだ朝顔、ひっそり咲く桔梗。こういうところでどうでしょうか?
最近こういう点に価値を見出している外国人が増えたんですよね。もともと彼等の感覚の中にも有るモノですもん。
外国人が尺八という楽器をビジネスとして扱う場合。
「尺八という魅力的な楽器を広めたい、尺八の国籍はあまり重要ではない」そして「お金を得たい」です。これは私も全く同じ気持ちです。でも私は、もう一つ優先する気持ちが有るのですよ。
「日本の心を世界に伝えたい」
元々は何時頃から使われ始めたんですかね? 幕末の久留米の神官、真木和泉の有名な辞世の歌、「我が年月の・・・」というヤツくらいからが、私の記憶の範囲です。
徳川家康の頃までは「大和魂」だとか「日本精神」だとか言ってなかったと思うんですよね。でもお孫さんの水戸光圀は水戸学の御本尊で「尊王攘夷」の家元宗家ですぜ。このオカタから日本は、人の心に神の存在しない「神の国」になりました。
私は水戸光圀様の事は良く知っています。あの優しくて庶民を悪いヤツから守った黄門様に「外国人を皆殺しにしたい、べつに策が無いわけではない」と言う一面が有ったかと・・・。人間の多面体をつくずく感じますよ。
私は「大和魂」と言う言葉自体にはベツに悪いイメージは無いですが、戦前戦中に大いに流行った大和魂には、今となっては大した意味が有るとも思っていません。
当時、口で物不足を糊塗する目的で盛んに使われた事の反動で、私の少年時代は本気で使うと右翼ないし時代錯誤の精神論者と思われたものです。たしかに幕末から戦中までに使われていた「大和魂」はと言えば、狂信的な「天皇病患者」や頭の粗雑な国家主義者が好んで口にしていたので、良いイメージは持ちようが無いですわね。
今、尺八を「売り出す為」に外国人に精神面を説明しなければならない時が有ります。私はこの「大和魂」の本来の使われ方が有効だと思っています。
尺八の面白さ、あるいは興味をひく部分には精神面での「日本」の存在がまだ大きいのです。
尺八を手にとった外国人は等しく「綺麗だ」と言い、後は竹の自然を生かした繊細な細工に感心します。「いくら見ていても飽きない」と言われる事もシバシバです。
この尺八の物としての美を構成しているのが「大和魂」です。ゆかしい自己主張と言いますか。表に出さない十分な心配り、あるいは相手の価値観に思いっきり判断をゆだねる自信、暑苦しくならない自己流露。こういった様なことですかねえ・・・。
『源氏物語』くらいから出て来る「大和魂」。それは「大和心」と言いかえても良いでしょう。本居宣長の「朝日に匂う山桜」でも良いですが、夏の朝露を含んだ朝顔、ひっそり咲く桔梗。こういうところでどうでしょうか?
最近こういう点に価値を見出している外国人が増えたんですよね。もともと彼等の感覚の中にも有るモノですもん。
外国人が尺八という楽器をビジネスとして扱う場合。
「尺八という魅力的な楽器を広めたい、尺八の国籍はあまり重要ではない」そして「お金を得たい」です。これは私も全く同じ気持ちです。でも私は、もう一つ優先する気持ちが有るのですよ。
「日本の心を世界に伝えたい」
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