お家芸
- 2016/08/10
- 14:30
私の子供の頃は、オリンピックといえば体操がお家芸と言われていました。戦前は水泳と三段跳びですか。その後、レスリングが、その後は柔道です。
そうしたら、ここへ来て再び水泳や体操が復活してきましたな。
ここ十数年で言うと女子レスリングが強いですね。アテネの時は「4階級で金3つは硬い。ウマくすれば全階級金」と言われたほどに圧倒的な力の差が有りましたが、これもそろそろ外国が追い付いて来たようです。
柔道は今では日本より競技人口の多い国が複数有るように、日本発生のスポーツでこれより国際的に普及したものは無いです。人によっては「柔道がジュウドウになってしまった」と嘆くむきも有りますが、「雑巾ダンス」と嘲られていた、昔の不透明な部分を抱えた柔道の方が良かったと本気で思っているんですかね。
世界に広まるにつれ変わる部分は多いのは当然ですが、変わらない本質的な所で「日本人の格闘技の精神」が世界で肯定的に捉えられているからこそ、世界的に普及したと思えませんですか。
楽器では尺八はどうです。これほど世界普及の可能性が有る日本の伝統楽器って他に何か有りますかね?今は日本と外国との尺八人口の差はタブン10対1くらいです。ただ10年前は30対1、40対1でしたから急速に差が縮じまっています。
そこで将来的には、それも10年単位での将来ですが、逆転する事も大いに考えられます。そして逆転して起こる事態、つまり尺八が日本のお家芸であっても、今日の柔道みたいになる場合を想像すると、私には良い事ばかりに思えるんですよ。
他流の歌口を頑固に拒否。「美しい日本」というような抽象的幻想。「日本人だからこそ分かる」という根拠不明の価値観。「尺八には厳密な音程は不要」との音楽観。タワゴトの様な文化論。
こう言った尺八独特の一種異様な価値観は、私に限らず「バカバカしい弊風であり、脱皮しなければならない」と考える人間が今では大多数です。でも私は、脱皮しなければならないけど決して無くしてもいけないと思っています。
これらは裏返すと日本文化でも有るのです。すなわち「型を尊ぶ」、「非合理性の肯定」、「民俗文化を誇る」、「個性の容認」、「抽象や無機質の重視」。
ヘタで未熟な音楽観の人間の「駆け込み寺」になっている事は事実ですが、だからと言って、一纏めにして否定すると、日本文化の本質的な所が内包されている重大な一面を見落としてしまうのではないかと思います。
外国の尺八愛好家には特にこのアタリを重視する人が多いように感じます。尺八が「日本のお家芸」になる為には、捨て去ってもいけない所ではないかと思うんですよ。
これら全てが「そうである必要も無いが、そうであっても良い」というくらいに重視されれば良いというのが私の考えです。
そうしたら、ここへ来て再び水泳や体操が復活してきましたな。
ここ十数年で言うと女子レスリングが強いですね。アテネの時は「4階級で金3つは硬い。ウマくすれば全階級金」と言われたほどに圧倒的な力の差が有りましたが、これもそろそろ外国が追い付いて来たようです。
柔道は今では日本より競技人口の多い国が複数有るように、日本発生のスポーツでこれより国際的に普及したものは無いです。人によっては「柔道がジュウドウになってしまった」と嘆くむきも有りますが、「雑巾ダンス」と嘲られていた、昔の不透明な部分を抱えた柔道の方が良かったと本気で思っているんですかね。
世界に広まるにつれ変わる部分は多いのは当然ですが、変わらない本質的な所で「日本人の格闘技の精神」が世界で肯定的に捉えられているからこそ、世界的に普及したと思えませんですか。
楽器では尺八はどうです。これほど世界普及の可能性が有る日本の伝統楽器って他に何か有りますかね?今は日本と外国との尺八人口の差はタブン10対1くらいです。ただ10年前は30対1、40対1でしたから急速に差が縮じまっています。
そこで将来的には、それも10年単位での将来ですが、逆転する事も大いに考えられます。そして逆転して起こる事態、つまり尺八が日本のお家芸であっても、今日の柔道みたいになる場合を想像すると、私には良い事ばかりに思えるんですよ。
他流の歌口を頑固に拒否。「美しい日本」というような抽象的幻想。「日本人だからこそ分かる」という根拠不明の価値観。「尺八には厳密な音程は不要」との音楽観。タワゴトの様な文化論。
こう言った尺八独特の一種異様な価値観は、私に限らず「バカバカしい弊風であり、脱皮しなければならない」と考える人間が今では大多数です。でも私は、脱皮しなければならないけど決して無くしてもいけないと思っています。
これらは裏返すと日本文化でも有るのです。すなわち「型を尊ぶ」、「非合理性の肯定」、「民俗文化を誇る」、「個性の容認」、「抽象や無機質の重視」。
ヘタで未熟な音楽観の人間の「駆け込み寺」になっている事は事実ですが、だからと言って、一纏めにして否定すると、日本文化の本質的な所が内包されている重大な一面を見落としてしまうのではないかと思います。
外国の尺八愛好家には特にこのアタリを重視する人が多いように感じます。尺八が「日本のお家芸」になる為には、捨て去ってもいけない所ではないかと思うんですよ。
これら全てが「そうである必要も無いが、そうであっても良い」というくらいに重視されれば良いというのが私の考えです。
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