ヤボは言わないの
- 2016/08/12
- 12:57
昔、まだ回転寿司がしごく珍しかった時代の事ですよ。後輩の地方出の大学生を連れて行ったところ、トロをとって思わず「これがトロ、ひでえなあ」と口に出してしまいました。
「一皿50円だぞ、ヤボを言うんじゃねえ」。そう窘めましたよ。ついでに言うならオレのおごりだ。でも、そこまで言うと、もっとヤボですから、新潟県人の父を持つ生粋の江戸っ子の私の美学に反します。
一皿50円は今の150円くらいでしたかね。そりゃ不恰好でしたよ、でも味で言うと美味いというんじゃなく、まっとうな寿司屋でそこよりマズイ店はいくらでも有りましたぜ。
しかも当時の寿司屋は、ツケ台で食べると勘定するまで幾らか分からなかったのでっせ。その後、回転寿司に圧倒されたのは当たり前・・・。
当時は少なくとも私の周りでは不恰好な刺身は見ませんでしたね。だったらサクを採った残りは?、と言えばブツという角状にして安く売っていたんです。
今みたいに「切り落とし」あるいは、油を混ぜてネギトロにしたりはしていなかったですね。匙で掻いたりしてホンモノのネギトロを造った所も有りましたが、ダイタイ店の「まかない」に消えました。
格好ばかり重んじていて、客は安くて美味しいトコにあずかれなかったというわけです。
ある程度分かっている人の方がヤボを言いまんな。子供の頃、小汚い場末のラーメン屋で「不潔だ」と口走って、店主を理性を失うほどに怒らせた人を知っていますが、子供だから馴染みの店を貶されて、「そうか、これが普通じゃなかったんだ。不潔なんだ」と納得しました。
ようは場と状況だと思うんですよ。
松田の田舎芸者を宴会に呼んで、「オレが歌うから三味線を弾け」と言って小唄を唄うのは30年前まではアリ、でも今はヤボテン。
新宿のカウンターのカレー屋で、「ホントはカレーってこう喰うんだ」と独り言を言って、手で食べた人がいました。まだインド人が手で食べる事があまり知られていなかった時ですがね、怖ろしくヤボなことは変わりません。私は赤の他人だけど一緒にいたくなかったもの。
その同じ頃、「私はプロもグラマーも良く存じているが、どうして市の金を使ってプロのグラマーを要請する必要が有るんですか」と質問して、皆を呆れさせた市会議員がいましたが、言い訳したらヤボ、豪快に笑って質問を撤回すれば日本では逆に人気が出ます。ただし、プログラマーの意味が誰にも分かる今は本当の馬鹿だと思われます。
人が「美味い」と言って飲んでるワインを「このワインは安いから美味くない」と貶したって男は上がりませんぜ。だけど、そっとソムリエを呼んで劣化を指摘して代えさせる、ワ~、カッコイイ。ワインを飲み慣れていないオイラにゃ無理だけど・・・。だけど酒の味を等級や区分で判断してるオカタ。税金を美味いと評価するんですから、そのうち国税局から表彰の知らせが来ますぞ。
だけど今はいなくなりましたなあ。それだけ皆が本当に分かってきたんだと思います。だけど「文化が分かっていない」と前の世代の人をトヤカク言うつもりは有りません。それこそヤボだ。味わうべき人生の本当に良い時を戦争で潰されたんですもの。
私の所の尺八界に類の無い格安の尺八。前は外形についてイロイロ感想を述べる人がいました。仕上げの良くない所も言われました。内部の仕上げが綺麗でないと感想を述べられた事もあります。まさか分からないで売ってると思ってんじゃないでしょうね。
私のスタンスは、「それなら私の所の10万以上の尺八を買えば良い、仕上げも細工も他店の倍価格並みですよ」、そういうものです。
安い尺八に高い尺八と全く同じものを求める、アナタそれはヤボですよ。
鳴りはプロですから、客の感想に反論なんてしません。気に入らなければ返品すれば良いだけの事。「鳴らない」と客が言うなら「そうですか」と言うしか有りません。
注文の多寡こそ判断基準です。本当に鳴らなければ仕事も無くなります。
でも買っておいて、後で仕上げや細工等の見た目について追加作業を求められば拒否します。売り買いは、その商品で決まるものです。追加の作業が必要なら買う前に申し出る事です。それがもっともだと思わなくても、金が目の前にぶら下がった代金支払いの前ならやる事だって有りますよ。
「一皿50円だぞ、ヤボを言うんじゃねえ」。そう窘めましたよ。ついでに言うならオレのおごりだ。でも、そこまで言うと、もっとヤボですから、新潟県人の父を持つ生粋の江戸っ子の私の美学に反します。
一皿50円は今の150円くらいでしたかね。そりゃ不恰好でしたよ、でも味で言うと美味いというんじゃなく、まっとうな寿司屋でそこよりマズイ店はいくらでも有りましたぜ。
しかも当時の寿司屋は、ツケ台で食べると勘定するまで幾らか分からなかったのでっせ。その後、回転寿司に圧倒されたのは当たり前・・・。
当時は少なくとも私の周りでは不恰好な刺身は見ませんでしたね。だったらサクを採った残りは?、と言えばブツという角状にして安く売っていたんです。
今みたいに「切り落とし」あるいは、油を混ぜてネギトロにしたりはしていなかったですね。匙で掻いたりしてホンモノのネギトロを造った所も有りましたが、ダイタイ店の「まかない」に消えました。
格好ばかり重んじていて、客は安くて美味しいトコにあずかれなかったというわけです。
ある程度分かっている人の方がヤボを言いまんな。子供の頃、小汚い場末のラーメン屋で「不潔だ」と口走って、店主を理性を失うほどに怒らせた人を知っていますが、子供だから馴染みの店を貶されて、「そうか、これが普通じゃなかったんだ。不潔なんだ」と納得しました。
ようは場と状況だと思うんですよ。
松田の田舎芸者を宴会に呼んで、「オレが歌うから三味線を弾け」と言って小唄を唄うのは30年前まではアリ、でも今はヤボテン。
新宿のカウンターのカレー屋で、「ホントはカレーってこう喰うんだ」と独り言を言って、手で食べた人がいました。まだインド人が手で食べる事があまり知られていなかった時ですがね、怖ろしくヤボなことは変わりません。私は赤の他人だけど一緒にいたくなかったもの。
その同じ頃、「私はプロもグラマーも良く存じているが、どうして市の金を使ってプロのグラマーを要請する必要が有るんですか」と質問して、皆を呆れさせた市会議員がいましたが、言い訳したらヤボ、豪快に笑って質問を撤回すれば日本では逆に人気が出ます。ただし、プログラマーの意味が誰にも分かる今は本当の馬鹿だと思われます。
人が「美味い」と言って飲んでるワインを「このワインは安いから美味くない」と貶したって男は上がりませんぜ。だけど、そっとソムリエを呼んで劣化を指摘して代えさせる、ワ~、カッコイイ。ワインを飲み慣れていないオイラにゃ無理だけど・・・。だけど酒の味を等級や区分で判断してるオカタ。税金を美味いと評価するんですから、そのうち国税局から表彰の知らせが来ますぞ。
だけど今はいなくなりましたなあ。それだけ皆が本当に分かってきたんだと思います。だけど「文化が分かっていない」と前の世代の人をトヤカク言うつもりは有りません。それこそヤボだ。味わうべき人生の本当に良い時を戦争で潰されたんですもの。
私の所の尺八界に類の無い格安の尺八。前は外形についてイロイロ感想を述べる人がいました。仕上げの良くない所も言われました。内部の仕上げが綺麗でないと感想を述べられた事もあります。まさか分からないで売ってると思ってんじゃないでしょうね。
私のスタンスは、「それなら私の所の10万以上の尺八を買えば良い、仕上げも細工も他店の倍価格並みですよ」、そういうものです。
安い尺八に高い尺八と全く同じものを求める、アナタそれはヤボですよ。
鳴りはプロですから、客の感想に反論なんてしません。気に入らなければ返品すれば良いだけの事。「鳴らない」と客が言うなら「そうですか」と言うしか有りません。
注文の多寡こそ判断基準です。本当に鳴らなければ仕事も無くなります。
でも買っておいて、後で仕上げや細工等の見た目について追加作業を求められば拒否します。売り買いは、その商品で決まるものです。追加の作業が必要なら買う前に申し出る事です。それがもっともだと思わなくても、金が目の前にぶら下がった代金支払いの前ならやる事だって有りますよ。
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