結界
- 2016/08/13
- 23:06
もう今は無いかも知れませんが、その昔は山なんかには人の入ってはいけない場所が有って、その印にシメ縄なんかが張ってあったそうです。いわゆる結界ですな。
シメ縄を無視してくぐると、段々と景色が普通と違ってきて、そして石仏とか鳥居とか、「その先へ行ったら本当にヤバいぞ」と警告する印が有る。 ・・・との事です。
それでは、それも無視して先に進んだとします。別に何も恐ろしい事など起こらないと今では誰でも知っています。ですが敢えて結界(有ったとして)を無視してシメナワ縄の内側へ入る人もまた少数派でしょう。
何となく気味が悪いし、別にどうしても入らなければならない程の用が有るわけでも無い。少数派として、先人が結界を設けたものを無視する事もない。極々少数派ですが「祟りが有る」と本当に思っている人だっていますでしょう。
結界を張った理由は様々でしょうが、あえて無視する人が少数である以上、その効果は有るわけです。
この世の中には「触らむ神に祟り無し」が存在している事は誰でもオトナになれば分かります。本当に怖いのは暴力のプロであるヤクザでしょう。不自然死した人は実は数え切れないですが、それは余程の事。大金が絡めば別ですが、通常は相当ひどい「結界破り」でもしない限りは殺される所までは行きません。
ただヤクザ、それもチンピラには頭の弱い者が多くいて、簡単に指嗾されるし、ダイイチなんでカッツとなるか分かりませんから、まあ近付かないのが一番です。
それに較べると邦楽界、それも尺八はノドカなもんですなあ。結界はそれなりに有ります。もともとは一定の規制効果が有ったのでしょうが、もう誰も怖がっていません。
最初に出るシメ縄は「破門する」だったのです。教授産業としての尺八が崩れた今となっては無駄な一言ですが、これは先生の側の感情の問題で、腹のたつ弟子に稽古を拒否するのは良いではありませんか。
「破門されたってかまわないけど、そうすると演奏会に出られなくなるしなあ」と言う人はまだいます。民謡にしろ古典系にしろ、影響力の有る師匠の場合、そういう事は有るでしょうよ。でも余程に力の有る人でもないと、行く先々で見えない壁にぶつかるという事も無いから、これも今では怖くない。
結局それでも強いて結界を無視しようという人は少数ですよ。「無理も無い」というヨクヨクの理由でも無ければ、好んで「結界破り」をする人って、人間社会では好意的な目では見られないんです。まして尺八みたいな小さな場所では・・・。
でも叩かれるのを怖がって「出る釘」になれない人も今はダメではないですかね。こういう、前の時代が壊れて新しい仕組みが出来ている時代にはの話ですよ。
半分の人に反感を持たれても、4割くらいの人に「暗黙の賛意」を抱いて貰って、1割の人に「面白いヤッチャ。気に入った」と思われれば良いのですから。
私には尺八の団体でコワイ所は有りません。それでもスジの通らない事で本当の「結界破り」をすると、まだまだ都山流、それも楽会はコワイのです。社会人にとっての結界は裁判です。
ある程度大きな団体と裁判沙汰になっては、勝つにしろ負けるにしろ、結果いかんにかかわらず、長期戦に持ちこまれると零細企業では持ちこたえられません。いきおい、かなり譲歩しての「手打ち」となります。
ですが、尺八はオトナの集まりですし、私も間違っても裁判にならない範囲にと言動に注意しています。私も記事内容や行動について何年かに一度は「謝罪しないなら訴訟も有りうる」と言われました。でも対立が持続した事はありません。そもそも裁判に出来ない範囲でしか行動していませんし、尺八の人はオトナですから、一時は頭に血が上っても冷静になると横車は押しません。ですから、私だけでなく尺八団体相手にもかなり突っ込んだ事が言えているのです。
尺八が邦楽の中で、いち早く次の時代のステップに踏み込めたのは、言論に余裕の有るオトナの世界だったからです。
シメ縄を無視してくぐると、段々と景色が普通と違ってきて、そして石仏とか鳥居とか、「その先へ行ったら本当にヤバいぞ」と警告する印が有る。 ・・・との事です。
それでは、それも無視して先に進んだとします。別に何も恐ろしい事など起こらないと今では誰でも知っています。ですが敢えて結界(有ったとして)を無視してシメナワ縄の内側へ入る人もまた少数派でしょう。
何となく気味が悪いし、別にどうしても入らなければならない程の用が有るわけでも無い。少数派として、先人が結界を設けたものを無視する事もない。極々少数派ですが「祟りが有る」と本当に思っている人だっていますでしょう。
結界を張った理由は様々でしょうが、あえて無視する人が少数である以上、その効果は有るわけです。
この世の中には「触らむ神に祟り無し」が存在している事は誰でもオトナになれば分かります。本当に怖いのは暴力のプロであるヤクザでしょう。不自然死した人は実は数え切れないですが、それは余程の事。大金が絡めば別ですが、通常は相当ひどい「結界破り」でもしない限りは殺される所までは行きません。
ただヤクザ、それもチンピラには頭の弱い者が多くいて、簡単に指嗾されるし、ダイイチなんでカッツとなるか分かりませんから、まあ近付かないのが一番です。
それに較べると邦楽界、それも尺八はノドカなもんですなあ。結界はそれなりに有ります。もともとは一定の規制効果が有ったのでしょうが、もう誰も怖がっていません。
最初に出るシメ縄は「破門する」だったのです。教授産業としての尺八が崩れた今となっては無駄な一言ですが、これは先生の側の感情の問題で、腹のたつ弟子に稽古を拒否するのは良いではありませんか。
「破門されたってかまわないけど、そうすると演奏会に出られなくなるしなあ」と言う人はまだいます。民謡にしろ古典系にしろ、影響力の有る師匠の場合、そういう事は有るでしょうよ。でも余程に力の有る人でもないと、行く先々で見えない壁にぶつかるという事も無いから、これも今では怖くない。
結局それでも強いて結界を無視しようという人は少数ですよ。「無理も無い」というヨクヨクの理由でも無ければ、好んで「結界破り」をする人って、人間社会では好意的な目では見られないんです。まして尺八みたいな小さな場所では・・・。
でも叩かれるのを怖がって「出る釘」になれない人も今はダメではないですかね。こういう、前の時代が壊れて新しい仕組みが出来ている時代にはの話ですよ。
半分の人に反感を持たれても、4割くらいの人に「暗黙の賛意」を抱いて貰って、1割の人に「面白いヤッチャ。気に入った」と思われれば良いのですから。
私には尺八の団体でコワイ所は有りません。それでもスジの通らない事で本当の「結界破り」をすると、まだまだ都山流、それも楽会はコワイのです。社会人にとっての結界は裁判です。
ある程度大きな団体と裁判沙汰になっては、勝つにしろ負けるにしろ、結果いかんにかかわらず、長期戦に持ちこまれると零細企業では持ちこたえられません。いきおい、かなり譲歩しての「手打ち」となります。
ですが、尺八はオトナの集まりですし、私も間違っても裁判にならない範囲にと言動に注意しています。私も記事内容や行動について何年かに一度は「謝罪しないなら訴訟も有りうる」と言われました。でも対立が持続した事はありません。そもそも裁判に出来ない範囲でしか行動していませんし、尺八の人はオトナですから、一時は頭に血が上っても冷静になると横車は押しません。ですから、私だけでなく尺八団体相手にもかなり突っ込んだ事が言えているのです。
尺八が邦楽の中で、いち早く次の時代のステップに踏み込めたのは、言論に余裕の有るオトナの世界だったからです。
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