名人がいる(五) 縄巻修巳
- 2016/08/14
- 11:38
私の顧客は約4千名で、顧客名簿はアイウエオ順の一覧表になっています。それを見ると、これだけ人が移動している現在でも、姓には地域による偏りがマダマダ残っていることが分かります。もう何世代か経ないと無くならないと思います。
縄巻、この珍しい姓は静岡固有の姓だと思います。牧之原の近くに縄巻という地名が有りますから、きっとそこがルーツなのでしょう。
山下無風をして「尺八で歌謡曲を吹く為に生まれてきた男」と言わしめた縄巻修巳さんは、学生時代に広島大学の邦楽部で尺八を吹きました。私のたしか1年下なので1970年の入学でしょう。もっとも学生時代は広島と東京なので、互いに顔も知らない間柄でした。広大の同クラブには3年上だったですか山本観山さんがいました。
当時、中国地方は今と同じく国立五大学の邦楽部どうしで交流が有りました。山口大学には縄巻さんの3年下に林鈴麟さんがいました。
林さんは、自信満々で尺八を吹いていたところ、この縄巻さんの尺八を聴いて、「自分が必死でやっているレベルを楽々吹いている。学生でも、こんな凄い人がいるのか」とショックを受けたそうです。
この世代では尺八のプロを目指すのは地方では厳しい。林さんは上京し、山本観山さんは地元広島に残り、そして縄巻さんは故郷の静岡で専業尺八家として活躍しています。
静岡県は気候が良く人口も多いものの、尺八で生活を立てるには不向きな土地です。「駿河(石の流れる急流)」と言われた様に、山が海のキワまで迫っている為に街が東海道に沿って一直線にベルト状に並んでいます。放射状で無い為に非常に弟子を集めにくい。しかも、どこの都市にしても、尺八で生活を立てるにはキャパシティーが不足しています。
ですから、嘗てこの県で尺八家として生活していた横山蘭畝の様に、引っ越しを繰り返すのです。何処かに住んで、その街で弟子を集める、そして基盤が出来ると次の街に移って、そこへ汽車で通ってくる。その繰り返しです。
この方法で私の地元、小田原で30年前まで尺八で生活していた小原伶峰さんのケースも同様ですが、大都市が多い神奈川と静岡とでは条件が違います。しかも小田原からなら神奈川のダイタイの場所に一時間で行けます。蘭畝先生が引っ越しを繰り返さなければならなかった当時は、長い静岡を結ぶ新幹線もまだ有りませんでした。
もっとも縄巻さんの年収の大部分は実演収入であって、教授による月謝は収入の主たる部分ではありません。エレクトーン奏者の奥様、あとギターを加えたりして人を楽しませるコンサートを開いています。彼はまた横山勝也門下でも有りますので本曲も吹けます。でも彼の様に一般の人を相手にして尺八の実演で生活を可能にするには、古典主体では無理です。
一般の人にとって睡眠薬同然の古典に継続して金を払う人なんかいません。彼の様に古典をしっかり吹けて、なお古典を主体にしない知恵が必要です。
たとえば、「ユーチューブ・尺八歌謡曲」とかで検索してみてください。彼の演奏がワンサカ出てきます。
「歌う演奏」は彼の得意ですが、音の使い方がウマいですね。流れる様に尺八で歌ってるかと思えば、アレッと思う旋律処理をします。ですから聴いていて飽きないのでしょう。卓抜な才能です。
今度会ったら聞いてみたいと思っているのですが、「息継ぎの音」は意識して使っているのか?だって吹く曲によって息継ぎで発する音量が違いますよ。
三味線の「さわり」の様に日本音楽は雑音(ノイズ)を音楽に取り入れていますな。音楽用語で言う「噪音」です。
この使い方を私が初めて認識したのが、40年前に納富寿童の「残月」を聴いた時です。「息継ぎ」がすすり泣きなんですよね。縄巻さんの「酒は涙か溜息か」を聴いて、昔の寿童先生の演奏を思い出しました。
縄巻、この珍しい姓は静岡固有の姓だと思います。牧之原の近くに縄巻という地名が有りますから、きっとそこがルーツなのでしょう。
山下無風をして「尺八で歌謡曲を吹く為に生まれてきた男」と言わしめた縄巻修巳さんは、学生時代に広島大学の邦楽部で尺八を吹きました。私のたしか1年下なので1970年の入学でしょう。もっとも学生時代は広島と東京なので、互いに顔も知らない間柄でした。広大の同クラブには3年上だったですか山本観山さんがいました。
当時、中国地方は今と同じく国立五大学の邦楽部どうしで交流が有りました。山口大学には縄巻さんの3年下に林鈴麟さんがいました。
林さんは、自信満々で尺八を吹いていたところ、この縄巻さんの尺八を聴いて、「自分が必死でやっているレベルを楽々吹いている。学生でも、こんな凄い人がいるのか」とショックを受けたそうです。
この世代では尺八のプロを目指すのは地方では厳しい。林さんは上京し、山本観山さんは地元広島に残り、そして縄巻さんは故郷の静岡で専業尺八家として活躍しています。
静岡県は気候が良く人口も多いものの、尺八で生活を立てるには不向きな土地です。「駿河(石の流れる急流)」と言われた様に、山が海のキワまで迫っている為に街が東海道に沿って一直線にベルト状に並んでいます。放射状で無い為に非常に弟子を集めにくい。しかも、どこの都市にしても、尺八で生活を立てるにはキャパシティーが不足しています。
ですから、嘗てこの県で尺八家として生活していた横山蘭畝の様に、引っ越しを繰り返すのです。何処かに住んで、その街で弟子を集める、そして基盤が出来ると次の街に移って、そこへ汽車で通ってくる。その繰り返しです。
この方法で私の地元、小田原で30年前まで尺八で生活していた小原伶峰さんのケースも同様ですが、大都市が多い神奈川と静岡とでは条件が違います。しかも小田原からなら神奈川のダイタイの場所に一時間で行けます。蘭畝先生が引っ越しを繰り返さなければならなかった当時は、長い静岡を結ぶ新幹線もまだ有りませんでした。
もっとも縄巻さんの年収の大部分は実演収入であって、教授による月謝は収入の主たる部分ではありません。エレクトーン奏者の奥様、あとギターを加えたりして人を楽しませるコンサートを開いています。彼はまた横山勝也門下でも有りますので本曲も吹けます。でも彼の様に一般の人を相手にして尺八の実演で生活を可能にするには、古典主体では無理です。
一般の人にとって睡眠薬同然の古典に継続して金を払う人なんかいません。彼の様に古典をしっかり吹けて、なお古典を主体にしない知恵が必要です。
たとえば、「ユーチューブ・尺八歌謡曲」とかで検索してみてください。彼の演奏がワンサカ出てきます。
「歌う演奏」は彼の得意ですが、音の使い方がウマいですね。流れる様に尺八で歌ってるかと思えば、アレッと思う旋律処理をします。ですから聴いていて飽きないのでしょう。卓抜な才能です。
今度会ったら聞いてみたいと思っているのですが、「息継ぎの音」は意識して使っているのか?だって吹く曲によって息継ぎで発する音量が違いますよ。
三味線の「さわり」の様に日本音楽は雑音(ノイズ)を音楽に取り入れていますな。音楽用語で言う「噪音」です。
この使い方を私が初めて認識したのが、40年前に納富寿童の「残月」を聴いた時です。「息継ぎ」がすすり泣きなんですよね。縄巻さんの「酒は涙か溜息か」を聴いて、昔の寿童先生の演奏を思い出しました。
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