クーラー
- 2016/08/19
- 23:22
もうすぐ、もう少しで夏が終わる。大嫌いな夏が終わり冬に向かって段々気候が良くなっていきます。
考えてみれば不思議です。子供の頃は夏はイヤでなかった。それどころか1月半も学校が休みになり、勉強しなくて良い素晴らしい季節でした。いつから嫌いになったんですかね。
私の大学時代には、余程に夏がイヤなんでしょう、「日本がソ連の一部になれば良い」と真顔で言う学生や教授がいました。愚かな事を・・・。
ソ連や北朝鮮が寒い国だということは私も知っていましたが、そこと一緒になっても日本自体が寒くなるわけではない、その事はインテリの私は気がついていました。まあ、財布の中は間違いなく寒くなったでしょう。方法はともかく日本を涼しくしたいという意図には賛同します。
クーラーこそノーベル賞を幾つあげてもオカシクナイ偉大な発明です。この発明によって人類は、飢餓より疫病より寒さより怖ろしい夏の暑さを克服することができました。
クーラーが発明されたのは1930年だという事ですが、以来、人類の平均寿命や所得の伸びはクーラーの普及と軌を一にしています。クーラーが普及して以来、世界大戦も無くなりました。こう見てくるとクーラーの人類への貢献は計り知れません。
私の子供の頃は夏のデパートは地獄でした。天井で大きな扇風機がゆったり廻っているだけですから、熱い空気をかき回しているだけで全然涼しくないんです。
映画館はもっと酷かったはずですが、不思議とこっちは辛い記憶が有りません。映画を見るのに夢中だったからですかしら。
汽車は当時はトンネルに入ると窓を閉めていたことは65歳以上の人は記憶していましょう。夏に窓を閉めたら暑くてたまりませんが煤が入りますもんね。そういう時、「満鉄の特急あじあ号にはクーラーが有ったぞ」と言う満洲帰りのオジサンがいましたが、そうなんですか?
クーラーが家庭に入ってきたのは何時頃なんでしょうね。昭和30年代では私の周りでは見た事無いですね。昭和40年代の終わりには、もうかなり普及していました。
それでも製管師の中には、頑固に仕事場にはクーラーを持ちこまない人が今でもいます。「竹の為に悪い」という見解です。私には良く分かりません。
北海道育ちの三塚泉州さんは、若い金の無い時代でも部屋には優先的にクーラーは備わっていました。同じ北海道出身の三塚さん以上に貧しかった音楽仲間達が、クーラーの吹き出し口近くに陣取って、「北海道に帰りたいなあ」としょっちゅうボヤイテいたものです。
三塚さんに、竹がクーラーで割れるのか聞いた事が有ります。答えは「作っている時はともかく、今どき夏にエアコンの無い部屋で吹く人もいないでしょう」とうものでした。
竹には湿度の無さは大敵です。まして夏は漆箱の中でタップリ水気を吸い、そしてクーラーの効いた部屋では急激な除湿がおこる。こう考えると竹の為に良いわけがない。
でも夏の期間は毎年、割れ修理の依頼がグンと減る事も事実です。このことから判断するに、クーラーが竹の為に良くない事は事実としても、もっと悪い事で習慣的に見過ごされてきている事も有る。たとえば冬の暖房。戦前まで日本の家屋には暖房と言えるほどのモノは有りませんでした。火鉢、炬燵、囲炉裏、都会の豊かな家庭にかろうじてガスストーブが有ったくらいです。
今の部屋全体を温める暖房こそいけない。「バカ言うな。冬に暖房しないわけにはいかない」と言う人が多いでしょう。そうですよ。だから夏に冷房しないわけにもいかないんです。
尺八界で昔から言われていた事って、どうしてウソが多いんだろう。そう思ったのは30年前までですわ。作る尺八の数が少ないとサンプル総数が少ない。しかも情報交換も資料学習も実験もしない。30年前にはすでに、製管の世界はそういう所とアキラメテいました。
私は「疑う所から始める」のではありません。尺八の場合は、「先人の言うことは全て信用できない」から始まって、中に「これは本当らしい」と言う部分も見つかる。そういう事でやってきました。
言っときますが、これは製作理論についての事で、製作法の事を言っているんではないですよ。尺八製作の工程を創り上げたのは、まぎれもなく製管の先輩達です。
クーラーも同じ? イイエ、嘘でもホントでも関係有りません。日本の様な夏の気候の悪い所では、クーラー無しには勤労意欲が無くなる、だから使っているのです。
考えてみれば不思議です。子供の頃は夏はイヤでなかった。それどころか1月半も学校が休みになり、勉強しなくて良い素晴らしい季節でした。いつから嫌いになったんですかね。
私の大学時代には、余程に夏がイヤなんでしょう、「日本がソ連の一部になれば良い」と真顔で言う学生や教授がいました。愚かな事を・・・。
ソ連や北朝鮮が寒い国だということは私も知っていましたが、そこと一緒になっても日本自体が寒くなるわけではない、その事はインテリの私は気がついていました。まあ、財布の中は間違いなく寒くなったでしょう。方法はともかく日本を涼しくしたいという意図には賛同します。
クーラーこそノーベル賞を幾つあげてもオカシクナイ偉大な発明です。この発明によって人類は、飢餓より疫病より寒さより怖ろしい夏の暑さを克服することができました。
クーラーが発明されたのは1930年だという事ですが、以来、人類の平均寿命や所得の伸びはクーラーの普及と軌を一にしています。クーラーが普及して以来、世界大戦も無くなりました。こう見てくるとクーラーの人類への貢献は計り知れません。
私の子供の頃は夏のデパートは地獄でした。天井で大きな扇風機がゆったり廻っているだけですから、熱い空気をかき回しているだけで全然涼しくないんです。
映画館はもっと酷かったはずですが、不思議とこっちは辛い記憶が有りません。映画を見るのに夢中だったからですかしら。
汽車は当時はトンネルに入ると窓を閉めていたことは65歳以上の人は記憶していましょう。夏に窓を閉めたら暑くてたまりませんが煤が入りますもんね。そういう時、「満鉄の特急あじあ号にはクーラーが有ったぞ」と言う満洲帰りのオジサンがいましたが、そうなんですか?
クーラーが家庭に入ってきたのは何時頃なんでしょうね。昭和30年代では私の周りでは見た事無いですね。昭和40年代の終わりには、もうかなり普及していました。
それでも製管師の中には、頑固に仕事場にはクーラーを持ちこまない人が今でもいます。「竹の為に悪い」という見解です。私には良く分かりません。
北海道育ちの三塚泉州さんは、若い金の無い時代でも部屋には優先的にクーラーは備わっていました。同じ北海道出身の三塚さん以上に貧しかった音楽仲間達が、クーラーの吹き出し口近くに陣取って、「北海道に帰りたいなあ」としょっちゅうボヤイテいたものです。
三塚さんに、竹がクーラーで割れるのか聞いた事が有ります。答えは「作っている時はともかく、今どき夏にエアコンの無い部屋で吹く人もいないでしょう」とうものでした。
竹には湿度の無さは大敵です。まして夏は漆箱の中でタップリ水気を吸い、そしてクーラーの効いた部屋では急激な除湿がおこる。こう考えると竹の為に良いわけがない。
でも夏の期間は毎年、割れ修理の依頼がグンと減る事も事実です。このことから判断するに、クーラーが竹の為に良くない事は事実としても、もっと悪い事で習慣的に見過ごされてきている事も有る。たとえば冬の暖房。戦前まで日本の家屋には暖房と言えるほどのモノは有りませんでした。火鉢、炬燵、囲炉裏、都会の豊かな家庭にかろうじてガスストーブが有ったくらいです。
今の部屋全体を温める暖房こそいけない。「バカ言うな。冬に暖房しないわけにはいかない」と言う人が多いでしょう。そうですよ。だから夏に冷房しないわけにもいかないんです。
尺八界で昔から言われていた事って、どうしてウソが多いんだろう。そう思ったのは30年前までですわ。作る尺八の数が少ないとサンプル総数が少ない。しかも情報交換も資料学習も実験もしない。30年前にはすでに、製管の世界はそういう所とアキラメテいました。
私は「疑う所から始める」のではありません。尺八の場合は、「先人の言うことは全て信用できない」から始まって、中に「これは本当らしい」と言う部分も見つかる。そういう事でやってきました。
言っときますが、これは製作理論についての事で、製作法の事を言っているんではないですよ。尺八製作の工程を創り上げたのは、まぎれもなく製管の先輩達です。
クーラーも同じ? イイエ、嘘でもホントでも関係有りません。日本の様な夏の気候の悪い所では、クーラー無しには勤労意欲が無くなる、だから使っているのです。
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