ブラジルの夢
- 2016/08/22
- 18:07
オリンピックも終わりましたな。このオリンピック期間中は尺八の注文がグンと減るのは毎度の事です。私は縁起担ぎやジンクスといった類の事は気にも留めないのですが、このオリンピックと尺八の注文減との間には何らかの心理的な因果関係が有るのでしょう。オリンピックが終わると注文がドンと来るのも何時もの事です。
ブラジルは本当なら、もっとズット前にオリンピックを開催していてもおかしくなかった。1970年代には世界第八番目の経済大国であり、オーストラリア、カナダと共に「21世紀のABⅭ」と言われて最も将来性の有る国だと思われていました。1973年のオイルショックからは長く厳しい時代が続きました。インフレたるや破滅的でしたもんね。
21世紀に入ってからは回復し、現在では世界7番目の経済大国ですが、一次産品の価格下落、立ち遅れた産業構造、貧富の激しい格差、治安の悪化、汚職の横行など克服しなければならない課題も多いですね。
ブラジルは戦前から日本からの移民を受け入れていました。私の若い頃は人気作家だった石川達三に『蒼茫』(ボウがホントは草冠に左亡、右民なの。検索しても出てこない字です)という作品が有りまして芥川賞の第1号受賞作品です。これを読むと戦前のブラジル移民の様子が分かります。
昭和になっても、まだ多くの日本人はソーセージすら気味悪くて食べられなかったのですね。ですから豆とクズ野菜、内臓しか食べられない移民の生活は堪ったものじゃないでしょう。
戦後だって移民した人達の話を聞くと、大変に過酷なものだったことが分かります。ヒドイ農場主に当たると契約期間はさながら奴隷労働でした。
日本人同士の妬みによる足の引っ張り合い、イジメ、中傷など、当時の矮小な日本精神が過酷な生活環境の中で時にモロに出ていたようです。
そんな中で苦労して生活を立ててきた移民一世は、祖国日本を懐かしみ、生活にイチオウの安定をみせると、日本での生活文化をブラジルでも再現しようとしました。
尺八もその一つで、一時は盛んに吹かれていました。都山流のブラジル支部にはサンパウロを中心に最盛期百人単位の人がいたと言います。昭和40年代までは民謡でも歌謡曲でも日本から行って結構良い金になったそうです。
奥地に入ると昭和30年代になっても「第二次大戦で日本は勝ったのか負けたのか、どっちなんです?」と聞かれたと言いますから、まだ頑固に日本の敗戦を受け入れない人達がいたわけです。
昭和55年頃、会社で同僚と太平洋戦争の話をしていた友人が、新入の女子社員に「それでどっちが勝ったんですか?」と聞かれて、まだ本人も30なのに早くも日本の将来を絶望していましたが無理も無い。ブラジルはともかく、こっちは何たってマジですもんね。
4年前、京都の次の開催地として、三橋貴風さんがブラジル開催で名乗りを挙げるのではないかという噂が有りました。本当にそのような案が有ったのかは分かりませんが、もし実行したとして採算が到底合わないでしょう。
尺八フェスティバルの採算が黒になるかどうかはヒトエに日本人の参加数にかかっている事からもブラジルでは無理でしょう。
ブラジルからは毎年尺八の注文が有ります。でも聞く限りでは、互いにグループの存在を確認出来ないほどに減っています。私の客に関して言うと、大半の人が誰もが仲間のいない状態で尺八を吹いています。
一番最近、今年6月に尺八を買ってくれたレオナルドさんは、宮本武蔵に憧れて日本の伝統文化に興味を持ったそうですが、ブラジルで尺八を広めたいと言っていましたので期待しましょう。
三橋さんは嫌がらずに何度か行ってますが、仮に希望者が出てもナカナカ行って教える人は見つからないと思いますよ。日系一世社会が健在で、大量の寄付集まった時代ならともかく、公共機関からの派遣でもなければ、全てに渡って条件が過酷すぎますもの。長い行程、季節が逆、高い旅費、慣れない食べ物、さらに不衛生、治安など問題が多すぎます。
今の切り札的存在になっているスカイプ講習でやろうにもポルトガル語がネックになっています。
私には無理。せいぜいブラジルのお客の便宜を図る程度です。尺八にも大きな可能性をもった、この親日大国を、これからの若い人に夢として託しましょう。
ブラジルは本当なら、もっとズット前にオリンピックを開催していてもおかしくなかった。1970年代には世界第八番目の経済大国であり、オーストラリア、カナダと共に「21世紀のABⅭ」と言われて最も将来性の有る国だと思われていました。1973年のオイルショックからは長く厳しい時代が続きました。インフレたるや破滅的でしたもんね。
21世紀に入ってからは回復し、現在では世界7番目の経済大国ですが、一次産品の価格下落、立ち遅れた産業構造、貧富の激しい格差、治安の悪化、汚職の横行など克服しなければならない課題も多いですね。
ブラジルは戦前から日本からの移民を受け入れていました。私の若い頃は人気作家だった石川達三に『蒼茫』(ボウがホントは草冠に左亡、右民なの。検索しても出てこない字です)という作品が有りまして芥川賞の第1号受賞作品です。これを読むと戦前のブラジル移民の様子が分かります。
昭和になっても、まだ多くの日本人はソーセージすら気味悪くて食べられなかったのですね。ですから豆とクズ野菜、内臓しか食べられない移民の生活は堪ったものじゃないでしょう。
戦後だって移民した人達の話を聞くと、大変に過酷なものだったことが分かります。ヒドイ農場主に当たると契約期間はさながら奴隷労働でした。
日本人同士の妬みによる足の引っ張り合い、イジメ、中傷など、当時の矮小な日本精神が過酷な生活環境の中で時にモロに出ていたようです。
そんな中で苦労して生活を立ててきた移民一世は、祖国日本を懐かしみ、生活にイチオウの安定をみせると、日本での生活文化をブラジルでも再現しようとしました。
尺八もその一つで、一時は盛んに吹かれていました。都山流のブラジル支部にはサンパウロを中心に最盛期百人単位の人がいたと言います。昭和40年代までは民謡でも歌謡曲でも日本から行って結構良い金になったそうです。
奥地に入ると昭和30年代になっても「第二次大戦で日本は勝ったのか負けたのか、どっちなんです?」と聞かれたと言いますから、まだ頑固に日本の敗戦を受け入れない人達がいたわけです。
昭和55年頃、会社で同僚と太平洋戦争の話をしていた友人が、新入の女子社員に「それでどっちが勝ったんですか?」と聞かれて、まだ本人も30なのに早くも日本の将来を絶望していましたが無理も無い。ブラジルはともかく、こっちは何たってマジですもんね。
4年前、京都の次の開催地として、三橋貴風さんがブラジル開催で名乗りを挙げるのではないかという噂が有りました。本当にそのような案が有ったのかは分かりませんが、もし実行したとして採算が到底合わないでしょう。
尺八フェスティバルの採算が黒になるかどうかはヒトエに日本人の参加数にかかっている事からもブラジルでは無理でしょう。
ブラジルからは毎年尺八の注文が有ります。でも聞く限りでは、互いにグループの存在を確認出来ないほどに減っています。私の客に関して言うと、大半の人が誰もが仲間のいない状態で尺八を吹いています。
一番最近、今年6月に尺八を買ってくれたレオナルドさんは、宮本武蔵に憧れて日本の伝統文化に興味を持ったそうですが、ブラジルで尺八を広めたいと言っていましたので期待しましょう。
三橋さんは嫌がらずに何度か行ってますが、仮に希望者が出てもナカナカ行って教える人は見つからないと思いますよ。日系一世社会が健在で、大量の寄付集まった時代ならともかく、公共機関からの派遣でもなければ、全てに渡って条件が過酷すぎますもの。長い行程、季節が逆、高い旅費、慣れない食べ物、さらに不衛生、治安など問題が多すぎます。
今の切り札的存在になっているスカイプ講習でやろうにもポルトガル語がネックになっています。
私には無理。せいぜいブラジルのお客の便宜を図る程度です。尺八にも大きな可能性をもった、この親日大国を、これからの若い人に夢として託しましょう。
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