徴兵
- 2016/08/24
- 18:25
昔、韓国の大学生達と遊びまわっていた頃です。よく慨嘆されました。「良いナア、日本人は軍隊に行かなくても良いんだもの」。
そりゃ鬱とうしいですわな。韓国の男は20になると徴兵です。大学生は望めば卒業するまで猶予してもらえますが、それでも2年の兵役は逃れられません。
恋愛も就職も、この兵役がクリアされないと展望が開けません。韓国の青年にとって、兵役は常に頭を離れない前途を大きく塞さぐ壁です。
その時分、親しくしていた学生が卒業後兵役に行って、2年経って再会しました。退役直後なので気が抜けたような様子でした。
軍隊は厳しかったでしょう? 「耐えて耐えて、耐えるしかないですよ」。 食べ物は?吐き捨てるように英語で「べりーバッド」。
同情はしますがね、それでも現実の戦闘が無かっただけましですよ。
私の父なんて、そりゃ哀れなものです。18からの8年間、関特演の前から満洲にやられ、転戦した南方で捕虜になって日本に帰るまで、人生で一番良い時期を軍隊で過ごしたんですよ。それでも命が有って帰ってこれただけメッケモノでしたわ。
私の子供の頃には、赤紙1枚で徴兵されて、ともかく生きて帰ってきたオトナが周りに大勢いました。当時の私達子供は「戦争大好き」ですよ、漫画雑誌には戦争モノがワンサカ載っていましたし、ブリキのオモチャやプラモデルも人気は戦闘機、軍艦ですもの。
軍隊帰りのオトナ達は思い出すのも嫌なので、あまり戦争の事を語りたがらなかったのですが、それでも時には子供達に釘をさす意味で軍隊の事を話してくれました。私達、小さな「軍国主義者」が長じてホンモノの軍国主義者にならなかったのは、そのオカゲです。
皆が一様に言うのは、軍隊内における初年兵イジメ、理不尽な仕組み、待遇の劣悪、上官の卑劣さ、低い倫理観です。日本軍が整然たる秩序をもった軍隊だったなんてタワゴトは、当時は言ってたオトナは皆無です。「死んでいく時に、天皇陛下万歳なんて言ったヤツなんか一人もいないよ」。例外無く言ってた事です。
当時の映画で人気シリーズになった「二等兵物語」はじめテレビドラマでも文学でも日本軍の酷さを扱ったものが実に多かったのは、戦争を実体験として持つ人達に支持されたからこそです。
戦地での蛮行についても隠さず話してくれた人だっていました。いかに戦地では人間姓が荒むか、倫理観が破壊されるか、二度とああいう事をせざるを得ない状況を造ってはいけない、そういう気持ちで私達に話してくれたのですね。
私が大学の頃はサヨクブームでしたから、周りの学生達は旧日本軍の侵略主義と指導層の無能を口を極めて罵倒していましたが、彼等も一般から徴兵されてイヤイヤ戦争に行かざるを得なかった人達の事は、あまり非難してはいなかった様に思います。だって自分の父やオジですもの。
でも中国各地や東南アジアで行なった蛮行、虐殺、略奪については右翼だって認めていました。「捏造だ」なんて言ったら、当時は「そういう方面のヒト」だと思われて相手にされませんでした。そのはず、まわりには生き証人がいくらでもいましたもの。それに極く少数派ですが、酒が入ると当時の蛮行を手柄話として話す輩だっていました。
思えば私達は本当に良い時代に生まれ生きました。何かの強い意志で人生が決められる事も無いし、通称「全共闘世代」の私達には上の世代の人達も表立って掣肘を加えようとはしませんでした。若い頃は喧嘩も言い合いも金と女の次に好きだった世代ですからね。
まして私の様な上司のいない自営は、「どうせ誰でも他人の本当の事は分からない」でヒトに何を言われようと気にもしないで生きてきました。
尺八って何の強制も本当は無いんですよね。有ると錯覚させていたのは昭和50年代までですかね。もう都山流尺八楽会でも「除名する」とか言われても会員は怖がりませんわ。
それに、まず言わない。会の執行部も会員も社会経験の豊富なオトナです。言う事態も言われる事態も、まず起こしませんよ。批判に対して過剰な反応をする糸方の大社中みたいな事はありません。
日本に徴兵が無くなって70年以上が経ちました。自分の生きたいように生きられる、この素晴らしい時代に誰から強制されたわけでも無く尺八を仕事にして、勝手なゴタクを並べていられる。8月が来るたびに、その有難さを噛みしめています。
言う事なんか聞きませんが前の世代に対しては強い感謝の気持ちを抱いています。
そりゃ鬱とうしいですわな。韓国の男は20になると徴兵です。大学生は望めば卒業するまで猶予してもらえますが、それでも2年の兵役は逃れられません。
恋愛も就職も、この兵役がクリアされないと展望が開けません。韓国の青年にとって、兵役は常に頭を離れない前途を大きく塞さぐ壁です。
その時分、親しくしていた学生が卒業後兵役に行って、2年経って再会しました。退役直後なので気が抜けたような様子でした。
軍隊は厳しかったでしょう? 「耐えて耐えて、耐えるしかないですよ」。 食べ物は?吐き捨てるように英語で「べりーバッド」。
同情はしますがね、それでも現実の戦闘が無かっただけましですよ。
私の父なんて、そりゃ哀れなものです。18からの8年間、関特演の前から満洲にやられ、転戦した南方で捕虜になって日本に帰るまで、人生で一番良い時期を軍隊で過ごしたんですよ。それでも命が有って帰ってこれただけメッケモノでしたわ。
私の子供の頃には、赤紙1枚で徴兵されて、ともかく生きて帰ってきたオトナが周りに大勢いました。当時の私達子供は「戦争大好き」ですよ、漫画雑誌には戦争モノがワンサカ載っていましたし、ブリキのオモチャやプラモデルも人気は戦闘機、軍艦ですもの。
軍隊帰りのオトナ達は思い出すのも嫌なので、あまり戦争の事を語りたがらなかったのですが、それでも時には子供達に釘をさす意味で軍隊の事を話してくれました。私達、小さな「軍国主義者」が長じてホンモノの軍国主義者にならなかったのは、そのオカゲです。
皆が一様に言うのは、軍隊内における初年兵イジメ、理不尽な仕組み、待遇の劣悪、上官の卑劣さ、低い倫理観です。日本軍が整然たる秩序をもった軍隊だったなんてタワゴトは、当時は言ってたオトナは皆無です。「死んでいく時に、天皇陛下万歳なんて言ったヤツなんか一人もいないよ」。例外無く言ってた事です。
当時の映画で人気シリーズになった「二等兵物語」はじめテレビドラマでも文学でも日本軍の酷さを扱ったものが実に多かったのは、戦争を実体験として持つ人達に支持されたからこそです。
戦地での蛮行についても隠さず話してくれた人だっていました。いかに戦地では人間姓が荒むか、倫理観が破壊されるか、二度とああいう事をせざるを得ない状況を造ってはいけない、そういう気持ちで私達に話してくれたのですね。
私が大学の頃はサヨクブームでしたから、周りの学生達は旧日本軍の侵略主義と指導層の無能を口を極めて罵倒していましたが、彼等も一般から徴兵されてイヤイヤ戦争に行かざるを得なかった人達の事は、あまり非難してはいなかった様に思います。だって自分の父やオジですもの。
でも中国各地や東南アジアで行なった蛮行、虐殺、略奪については右翼だって認めていました。「捏造だ」なんて言ったら、当時は「そういう方面のヒト」だと思われて相手にされませんでした。そのはず、まわりには生き証人がいくらでもいましたもの。それに極く少数派ですが、酒が入ると当時の蛮行を手柄話として話す輩だっていました。
思えば私達は本当に良い時代に生まれ生きました。何かの強い意志で人生が決められる事も無いし、通称「全共闘世代」の私達には上の世代の人達も表立って掣肘を加えようとはしませんでした。若い頃は喧嘩も言い合いも金と女の次に好きだった世代ですからね。
まして私の様な上司のいない自営は、「どうせ誰でも他人の本当の事は分からない」でヒトに何を言われようと気にもしないで生きてきました。
尺八って何の強制も本当は無いんですよね。有ると錯覚させていたのは昭和50年代までですかね。もう都山流尺八楽会でも「除名する」とか言われても会員は怖がりませんわ。
それに、まず言わない。会の執行部も会員も社会経験の豊富なオトナです。言う事態も言われる事態も、まず起こしませんよ。批判に対して過剰な反応をする糸方の大社中みたいな事はありません。
日本に徴兵が無くなって70年以上が経ちました。自分の生きたいように生きられる、この素晴らしい時代に誰から強制されたわけでも無く尺八を仕事にして、勝手なゴタクを並べていられる。8月が来るたびに、その有難さを噛みしめています。
言う事なんか聞きませんが前の世代に対しては強い感謝の気持ちを抱いています。
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