六歌仙
- 2016/08/26
- 08:47
和歌で六歌仙というのが有りますな、大雑把に言うと「9世紀後半の特に優れた歌人」と言う様なニュアンスで、紀貫之が挙げた六人の歌詠みです。どういう根拠で挙げたかは、古今集の序を読めばオボロゲナガラ分かりますが、評価のモトになった根拠は不明です。
貫之の書いた古今集の仮名序は、一般にはあまり言われないけど、その実、内容そのものはかなり難が有ります。「事実では無い、この内容はどういう意味なんだろう」と昔から疑問視されていました。正岡子規が言う「貫之は歌のヘタな人」とは違って、客観的にそうだという話です。
その時代に話されていた事の大部分は、何にせよ後の時代には伝わりません。例えば六歌仙でも大伴黒主は「百人一首」に入っていませんし、喜撰法師ですと、「わが庵は・・・」は誰でも知っているものの、もう一つは誰も言えません。
もっと酷いのは、人麻呂、赤人と並んで「和歌の三聖」とも言われる袖通姫なんて実体そのものが有りませんぜ。
でも、こういうモノが無いと、当時のイメージに膨らみが無くなります。ですから、昔から絶える事無く、読まれたり研究されたりしたわけでしょう。
転じて、私の大学時代には、六歌仙ではないですが、すでに尺八も六人の人、つまり青木鈴慕、酒井竹保、宮田耕八朗、山口五郎、山本邦山、横山勝也が他から抜きんでた人達という評価が存在していました。
大学生の間での評価は、その人によって違いは有りましたが、ほぼこの6人の中に集中していました。この方達の時代が、その後も30年続くとは私には意外でしたが、尺八の様に基本的に保守性向の強い世界ですから、一度出来た評判はナカナカ入れ替わらないとも言えますが、それを言うなら、そういう世界に有って、前の時代の評価を一変させた事だって、考えてみたら途方も無い事ですぜ。
「そういう時代でも有った」。一言でかたずけられる事でも有りますが、新しい音楽を尺八でも志向したNHKと、それに応えられる技術を持った尺八家、それを支持した若い人達がいてこそ、そういう革命が起きたのです。ですから30年という時間は、革命政権が続いていたと考えると分かり易い。
今はまだ、この人達の弟子達や当時熱狂して今も尺八界にいるオジサン達がタクサン残っていますから、言わば「余香が残っている時代」です。
ですが、もう20年すると、おそらく時代の気分は分からなくなっていましょう。その時代に残っている音源だけで評価されると、もっと大きなモノを見落とすと思います。残念ながら「時代の気分」や、それが下支えしたカリスマ性は音源が伝えてくれません。
私は今になって、もう25年前に、酒井先生が亡くなった時点でインタビュー集の様な物を出しておけば良かったと思っています。邦楽雑誌に載っているインタビューは、それはそれでシッカリ聞いて答えていますが、光を別の面にも当てた、言わばメジャー業界なみなインタビュー記事ではありません。
何時でも聞けると思っていましたが、もう出来ません。当時は十分に採算も合いましたが、今では持ち出しでしょう。それでもやりたかった。
貫之の書いた古今集の仮名序は、一般にはあまり言われないけど、その実、内容そのものはかなり難が有ります。「事実では無い、この内容はどういう意味なんだろう」と昔から疑問視されていました。正岡子規が言う「貫之は歌のヘタな人」とは違って、客観的にそうだという話です。
その時代に話されていた事の大部分は、何にせよ後の時代には伝わりません。例えば六歌仙でも大伴黒主は「百人一首」に入っていませんし、喜撰法師ですと、「わが庵は・・・」は誰でも知っているものの、もう一つは誰も言えません。
もっと酷いのは、人麻呂、赤人と並んで「和歌の三聖」とも言われる袖通姫なんて実体そのものが有りませんぜ。
でも、こういうモノが無いと、当時のイメージに膨らみが無くなります。ですから、昔から絶える事無く、読まれたり研究されたりしたわけでしょう。
転じて、私の大学時代には、六歌仙ではないですが、すでに尺八も六人の人、つまり青木鈴慕、酒井竹保、宮田耕八朗、山口五郎、山本邦山、横山勝也が他から抜きんでた人達という評価が存在していました。
大学生の間での評価は、その人によって違いは有りましたが、ほぼこの6人の中に集中していました。この方達の時代が、その後も30年続くとは私には意外でしたが、尺八の様に基本的に保守性向の強い世界ですから、一度出来た評判はナカナカ入れ替わらないとも言えますが、それを言うなら、そういう世界に有って、前の時代の評価を一変させた事だって、考えてみたら途方も無い事ですぜ。
「そういう時代でも有った」。一言でかたずけられる事でも有りますが、新しい音楽を尺八でも志向したNHKと、それに応えられる技術を持った尺八家、それを支持した若い人達がいてこそ、そういう革命が起きたのです。ですから30年という時間は、革命政権が続いていたと考えると分かり易い。
今はまだ、この人達の弟子達や当時熱狂して今も尺八界にいるオジサン達がタクサン残っていますから、言わば「余香が残っている時代」です。
ですが、もう20年すると、おそらく時代の気分は分からなくなっていましょう。その時代に残っている音源だけで評価されると、もっと大きなモノを見落とすと思います。残念ながら「時代の気分」や、それが下支えしたカリスマ性は音源が伝えてくれません。
私は今になって、もう25年前に、酒井先生が亡くなった時点でインタビュー集の様な物を出しておけば良かったと思っています。邦楽雑誌に載っているインタビューは、それはそれでシッカリ聞いて答えていますが、光を別の面にも当てた、言わばメジャー業界なみなインタビュー記事ではありません。
何時でも聞けると思っていましたが、もう出来ません。当時は十分に採算も合いましたが、今では持ち出しでしょう。それでもやりたかった。
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