基礎技量
- 2016/08/28
- 17:39
私の高校の時、仲が良かった柔道部の主将だったⅯに、ある時ジャレテ言った事が有ります。
「もしオメエとケンカになったらよ、どうすんよ?」。Ⅿは例によって穏やかに笑うばかりです。私はいささかジレテ、「オメエ、オレに何分で勝てる?」。すると返事は「分なんてかからないよ」という頭にくるものでした。
Ⅿは続けて、「オマエのその強がりの根拠は何よ?」と言いましたから、私も負けずに言い返します。「オレの空手チョップはカワラを楽に割れる」。「そんなの当たらないよ。結局オマエで皆が怖がってるのは不意打ちと卑劣な急所打ち(金玉蹴り)だけじゃないか」。そう言って、憎たらしいほどの余裕で笑いました。
柔道の強豪とはもう一度イザコザに成りかけた事が有りました。昭和50年1月、アントン・ヘーシンクが聞いてきました。「今度の東京の切符売れてる?」。私は「あまり良くないです」。すると中途半端に日本語を知っているヘーシンクは、そこだけ日本語で「アブナイ、アブナイ」と聞こえよがしに言って離れて行きます。
あまりハラが立ったので、よっぽど「アンタがヘタクソな試合をするからだ」と言ってやろうと思いましたが、言えば喧嘩になるし、もし喧嘩になっても勝てる見込みがあまり無いと思うので我慢しました。
ヘーシンクは、1973年当時で1億円という破格の契約金の為にプロレスラーになっただけで、本当はプロレスが嫌いで内心バカにしていたような気がします。こういうシリアスな格闘技でトップに立った人で、プロレスで成功した人ってほとんどいないですね。ヘーシンクに続いたオランダのウイリアム・ルスカにしても、途方もなく強かったらしいですが、日本の坂口征二と同様、プロレスでは大根でしたもんね。
ルスカはミュンヘンオリンピックで相手を子供扱いして2階級で金メダルをとりましたが、寝たっきりになった奥さんの治療費を稼ぐためにプロレスに入りました。
シリアス格闘技からは、ホントウかウソか、多分に眉唾ではありますが、柔道の山下、相撲では高見山、千代の富士にもプロレス入りの可能性が有ったと言われています。でも、かりに実現したとして成功したとは思えません。芝居気の有る高見山だとあるいはイケたかも知れませんが、当時の日本人ですと外国人のヒーローではどうですかね・・・。
ヘーシンクが昭和36年に世界選手権パリ大会で日本の柔道家3人をなぎ倒して世界を仰天させても、まだ日本柔道は覚醒しませんでした。続く東京オリンピックで再度完敗、ミュンヘンでもルスカに一方的に負けて、ようやく「これではいけない」と思ったようです。
その後の日本柔道の躍進ぶりは素晴らしいですもんね。国際化した柔道環境で、怪力巨体の外国人の強豪ともガチで戦える様になりました。
尺八が本当は基礎技術ではジョン・ネプチューンに誰もかなわないと、35年前に分かっていました。でも、尺八音楽はそれだけではないですから、まだ日本のプロは、それをもって本格的な脅威とは感じていなかったと思います。
今の尺八界が音楽技量では昔とは比較にならないほど向上したのは、別に外国人に刺激されたからではありません。でも、他の音楽、楽器の影響ですから、間接的には外国人の刺激です。
音楽でも例えばクラシックの様なものは、譜面や指揮者の指示通りに演奏する事が大切で、その為に基礎技術の高低が絶対的な評価基準になります。でも同じ人がソロでやる場合には個性の発揮も大切です。
尺八は、それまで個性重視に大きく偏っていましたが、音楽である以上は、こういった基礎技術が不要なわけがないです。そういった点で今の尺八界は本当に良くなりました。たくさんの外国人がいる事でも分かりますが、もう外国人や他の楽器の人に嗤われる存在ではありません。本格的な国際化まであと一歩です。
シリアス格闘技は要するに試合になれば勝ち負けですからね、でもプロレスは見て面白いかどうかです。鍛え上げた肉体、磨いた技術、練りあげたキャラクターやアイデア、そういうあらゆるもので勝負しているんです。いくら格闘技の基礎技術が高くても、それで成功できないのはスペクテーター(鑑賞)スポーツだからです。
尺八をで言うと、吹く人達の基礎技術は今後ますます上がると思います。でも、場面が変ったら、際立つ個性も表現してほしいと思います。今は、若いプロはマダ聴いただけでは誰が吹いているか分かりませんよ。でも何ですな、基礎技量の有る人って自信からくる余裕が有りますな。
「もしオメエとケンカになったらよ、どうすんよ?」。Ⅿは例によって穏やかに笑うばかりです。私はいささかジレテ、「オメエ、オレに何分で勝てる?」。すると返事は「分なんてかからないよ」という頭にくるものでした。
Ⅿは続けて、「オマエのその強がりの根拠は何よ?」と言いましたから、私も負けずに言い返します。「オレの空手チョップはカワラを楽に割れる」。「そんなの当たらないよ。結局オマエで皆が怖がってるのは不意打ちと卑劣な急所打ち(金玉蹴り)だけじゃないか」。そう言って、憎たらしいほどの余裕で笑いました。
柔道の強豪とはもう一度イザコザに成りかけた事が有りました。昭和50年1月、アントン・ヘーシンクが聞いてきました。「今度の東京の切符売れてる?」。私は「あまり良くないです」。すると中途半端に日本語を知っているヘーシンクは、そこだけ日本語で「アブナイ、アブナイ」と聞こえよがしに言って離れて行きます。
あまりハラが立ったので、よっぽど「アンタがヘタクソな試合をするからだ」と言ってやろうと思いましたが、言えば喧嘩になるし、もし喧嘩になっても勝てる見込みがあまり無いと思うので我慢しました。
ヘーシンクは、1973年当時で1億円という破格の契約金の為にプロレスラーになっただけで、本当はプロレスが嫌いで内心バカにしていたような気がします。こういうシリアスな格闘技でトップに立った人で、プロレスで成功した人ってほとんどいないですね。ヘーシンクに続いたオランダのウイリアム・ルスカにしても、途方もなく強かったらしいですが、日本の坂口征二と同様、プロレスでは大根でしたもんね。
ルスカはミュンヘンオリンピックで相手を子供扱いして2階級で金メダルをとりましたが、寝たっきりになった奥さんの治療費を稼ぐためにプロレスに入りました。
シリアス格闘技からは、ホントウかウソか、多分に眉唾ではありますが、柔道の山下、相撲では高見山、千代の富士にもプロレス入りの可能性が有ったと言われています。でも、かりに実現したとして成功したとは思えません。芝居気の有る高見山だとあるいはイケたかも知れませんが、当時の日本人ですと外国人のヒーローではどうですかね・・・。
ヘーシンクが昭和36年に世界選手権パリ大会で日本の柔道家3人をなぎ倒して世界を仰天させても、まだ日本柔道は覚醒しませんでした。続く東京オリンピックで再度完敗、ミュンヘンでもルスカに一方的に負けて、ようやく「これではいけない」と思ったようです。
その後の日本柔道の躍進ぶりは素晴らしいですもんね。国際化した柔道環境で、怪力巨体の外国人の強豪ともガチで戦える様になりました。
尺八が本当は基礎技術ではジョン・ネプチューンに誰もかなわないと、35年前に分かっていました。でも、尺八音楽はそれだけではないですから、まだ日本のプロは、それをもって本格的な脅威とは感じていなかったと思います。
今の尺八界が音楽技量では昔とは比較にならないほど向上したのは、別に外国人に刺激されたからではありません。でも、他の音楽、楽器の影響ですから、間接的には外国人の刺激です。
音楽でも例えばクラシックの様なものは、譜面や指揮者の指示通りに演奏する事が大切で、その為に基礎技術の高低が絶対的な評価基準になります。でも同じ人がソロでやる場合には個性の発揮も大切です。
尺八は、それまで個性重視に大きく偏っていましたが、音楽である以上は、こういった基礎技術が不要なわけがないです。そういった点で今の尺八界は本当に良くなりました。たくさんの外国人がいる事でも分かりますが、もう外国人や他の楽器の人に嗤われる存在ではありません。本格的な国際化まであと一歩です。
シリアス格闘技は要するに試合になれば勝ち負けですからね、でもプロレスは見て面白いかどうかです。鍛え上げた肉体、磨いた技術、練りあげたキャラクターやアイデア、そういうあらゆるもので勝負しているんです。いくら格闘技の基礎技術が高くても、それで成功できないのはスペクテーター(鑑賞)スポーツだからです。
尺八をで言うと、吹く人達の基礎技術は今後ますます上がると思います。でも、場面が変ったら、際立つ個性も表現してほしいと思います。今は、若いプロはマダ聴いただけでは誰が吹いているか分かりませんよ。でも何ですな、基礎技量の有る人って自信からくる余裕が有りますな。
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