言葉
- 2016/08/31
- 08:17
何によらず今は国境というものが無くなってきましたな。国境というものの原型らしきものが出来たのは、人類の歴史から言っても、そう昔では有りません。
3千年か4千年前に、それらしきものが出来ても、まず最初に国境を「それが何だ」という感じで受け止めたのは商業でしょう。
でも当時の商業といえども言葉の壁は有ったはずです。
言葉が分かれたのが「バベルの塔」以来だと本気で思っている人も極く少数ながらいらっしゃる様ですが、それは置いといて、どうして言葉って別れたんでしょうか。
人間の共通の先祖が20万年前にアフリカにいたとして、何時言葉が分散していったのですかね。単語の変化のずっと以前に、統語法が違っていますから、他との連絡が無い集団単位でまず成り立ったのでしょうね。
私達の学生時代には「日本語はウラル・アルタイ語」と教わりました。今はウラル語とアルタイ語は別の言語と認定されており、こういう言い方はしません。本当は私の中学時代だって、もう別だと分かっていたらしいですが、教育の現場だって知識が共通項になるまでにはタイムラグが有りますからね。
日本語はアルタイ系の言語であることは確からしいですが、最も似ている朝鮮語の間にすら基本単語に共通が無いと言われます。
名詞に著しい一致が見られるのは、弥生時代以降で、縄文時代の言語は不明であるものの、どこにもルーツが見いだせない名詞とかで判断しているのだと思います。
韓国語をある程度分かる人は、その日本語との近さに驚いた経験が1度や2度は有るはずです。近代の名詞や概念用語は日本語を漢字だけ朝鮮語で読んでいるだけですから、これには当たりません。ナベ、カマ、トックリ、チョコ等が同じなのも朝鮮経由ですから、これも当てはまりません。
私の経験ですと、「かかる」でした。そこまで10分かかる、これは良いですわな、でも風邪も「かかる」ですし、鍵も「かかる」です。この「かかる」にあたる朝鮮語「コルタ」も全く同じ用法なのです。
これは驚いた経験を話しているだけで、言語学の専門的な話をしているわけではないですから誤解無きように・・・。
ともかく人類が生存する上で農業と並んで大事な商業でも、これまで言語の壁は国境より大きな壁でした。芸術やスポーツでさえ「国境は無い」と言われるのに、それよりもはるかに長い歴史と空間的広がりを持った商業主義に言葉の壁が立ちはだかるとは、本末転倒も甚だしいではないですか。
尺八はこれまで日本に来た外国人が習うと言うのが一般的なケースでした。ですからダイタイの人が日本語が分かりましたし、アメリカやオーストラリアで尺八を始めた人達も教える人が英語も日本語も自在に操れたので、これも支障は有りませんでした。
今はスカイプなどで日本にいて外国人相手に講習しています。しかし、それでも教える側の会話能力が十分でないと長くは続きません。
言葉の壁は後5年経たないでクリアされるのでしょう。もうすでに文章に関してなら、ほとんど自動翻訳で支障は有りません。スマホを使った音声自動翻訳も時間差無く通訳出来る段階に来ました。東京オリンピックの時点では、スマホ大の自動翻訳器でプロの通訳並みの同時通訳が出来ると予測されています。
そう、もう時間の問題で長い間に渡って人類の夢だった、どこの国の人とも言葉が交わせる時代がすぐそこまで来ています。
だから尺八も今より広まるに違い有りません。
でもね、まだ尺八教授法が残っているのですよ。言葉の壁が無くとも教授法のノウハウが無ければ外国人には通用しません。
また、日本のソフトで国際性をかろうじて持っているものと言ったら古典本曲でしょう。だけど、それだってコマシではあっても、強力なソフトではないですよ。
言葉の次は教授法とソフトの壁。尺八の世界に通用する強力なソフトは、日本人が発明する可能性は私は低いと思っています。どうしてか?尺八にまだ楽器として以外の思い入れが強いからです。
五孔尺八は、それ自体は個性有る素晴らしい楽器ですが、七孔に楽器として及ばない局面も有る事は七孔の使用者は誰でも知っています。でも七孔が五孔より優れているわけでも有りません。
優劣論では無く、好みや用途で自由自在に移っていける心理状態が一般化しないとね・・・。
3千年か4千年前に、それらしきものが出来ても、まず最初に国境を「それが何だ」という感じで受け止めたのは商業でしょう。
でも当時の商業といえども言葉の壁は有ったはずです。
言葉が分かれたのが「バベルの塔」以来だと本気で思っている人も極く少数ながらいらっしゃる様ですが、それは置いといて、どうして言葉って別れたんでしょうか。
人間の共通の先祖が20万年前にアフリカにいたとして、何時言葉が分散していったのですかね。単語の変化のずっと以前に、統語法が違っていますから、他との連絡が無い集団単位でまず成り立ったのでしょうね。
私達の学生時代には「日本語はウラル・アルタイ語」と教わりました。今はウラル語とアルタイ語は別の言語と認定されており、こういう言い方はしません。本当は私の中学時代だって、もう別だと分かっていたらしいですが、教育の現場だって知識が共通項になるまでにはタイムラグが有りますからね。
日本語はアルタイ系の言語であることは確からしいですが、最も似ている朝鮮語の間にすら基本単語に共通が無いと言われます。
名詞に著しい一致が見られるのは、弥生時代以降で、縄文時代の言語は不明であるものの、どこにもルーツが見いだせない名詞とかで判断しているのだと思います。
韓国語をある程度分かる人は、その日本語との近さに驚いた経験が1度や2度は有るはずです。近代の名詞や概念用語は日本語を漢字だけ朝鮮語で読んでいるだけですから、これには当たりません。ナベ、カマ、トックリ、チョコ等が同じなのも朝鮮経由ですから、これも当てはまりません。
私の経験ですと、「かかる」でした。そこまで10分かかる、これは良いですわな、でも風邪も「かかる」ですし、鍵も「かかる」です。この「かかる」にあたる朝鮮語「コルタ」も全く同じ用法なのです。
これは驚いた経験を話しているだけで、言語学の専門的な話をしているわけではないですから誤解無きように・・・。
ともかく人類が生存する上で農業と並んで大事な商業でも、これまで言語の壁は国境より大きな壁でした。芸術やスポーツでさえ「国境は無い」と言われるのに、それよりもはるかに長い歴史と空間的広がりを持った商業主義に言葉の壁が立ちはだかるとは、本末転倒も甚だしいではないですか。
尺八はこれまで日本に来た外国人が習うと言うのが一般的なケースでした。ですからダイタイの人が日本語が分かりましたし、アメリカやオーストラリアで尺八を始めた人達も教える人が英語も日本語も自在に操れたので、これも支障は有りませんでした。
今はスカイプなどで日本にいて外国人相手に講習しています。しかし、それでも教える側の会話能力が十分でないと長くは続きません。
言葉の壁は後5年経たないでクリアされるのでしょう。もうすでに文章に関してなら、ほとんど自動翻訳で支障は有りません。スマホを使った音声自動翻訳も時間差無く通訳出来る段階に来ました。東京オリンピックの時点では、スマホ大の自動翻訳器でプロの通訳並みの同時通訳が出来ると予測されています。
そう、もう時間の問題で長い間に渡って人類の夢だった、どこの国の人とも言葉が交わせる時代がすぐそこまで来ています。
だから尺八も今より広まるに違い有りません。
でもね、まだ尺八教授法が残っているのですよ。言葉の壁が無くとも教授法のノウハウが無ければ外国人には通用しません。
また、日本のソフトで国際性をかろうじて持っているものと言ったら古典本曲でしょう。だけど、それだってコマシではあっても、強力なソフトではないですよ。
言葉の次は教授法とソフトの壁。尺八の世界に通用する強力なソフトは、日本人が発明する可能性は私は低いと思っています。どうしてか?尺八にまだ楽器として以外の思い入れが強いからです。
五孔尺八は、それ自体は個性有る素晴らしい楽器ですが、七孔に楽器として及ばない局面も有る事は七孔の使用者は誰でも知っています。でも七孔が五孔より優れているわけでも有りません。
優劣論では無く、好みや用途で自由自在に移っていける心理状態が一般化しないとね・・・。
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