袖すりあうも 其十(小山清茂さん)
- 2016/09/07
- 23:07
私の学生時代と今。演奏される曲は、古曲は変わりませんが、現代曲ではかなり違ってきています。私の大学時代に最も演奏されていた曲は船川利夫と杵屋正邦の作品でした。「出雲路」、「飾画」、「風動」、「尺八四重奏曲」とか人気が有り、ショッチュウ聴いた記憶が有ります。
その他の人だって、今は邦楽界で演奏されませんが、当時は人気が有って、よく演奏されていたものです。
私は小山清茂の「和楽器の為の四重奏曲第一番」。好きでしたねえ・・・。
小山清茂さんは1971年に関東学生三曲連盟の招きで講演を行い、そのおりにお会いしました。私はもう酒井竹保に師事していましたので、どうしても話題は「和楽器の為の四重奏曲第一番」に集中します。
この曲は作曲されたのは1962年ですが、その講演の何年か前にレコード化されていて、尺八は酒井竹保先生が担当しています。
この時は糸方が決まらず、途方にくれたすえ、ダメ元で沢井忠夫に話をもっていったところ、沢井先生は「二つ返事」で承知してくださり、無事レコーディング出来ました。酒井先生は、いたく感謝して以後無類の「沢井忠夫びいき」になりました。
尺八・酒井竹保、1箏・沢井忠夫、2箏沢井一恵、十七弦・宮本幸子です。こういうの今の人ってピンとこないと思いますが、当時の邦楽界の人間関係から言って、不思議ととられる組み合わせなんですよ。
小山先生って、穏やかで優しい話方をする人で、その作られる曲と同様、穏やかな人柄でした。
あの曲の出だし、レーレレツレーレ、ピーピハは私は雪の降る情景に聞こえるんですが。アイヌ民謡みたいに感じる所はチョット聞いていてノリニクイ。
何を訊いても、穏やかに、ニコニコというより照れくさそうに笑うという感じで、丁寧に答えてくれます。
「あの曲の第二楽章で酒井さんが初めて長管(2尺3寸)を使いました。目から鱗で、自分の作った曲ですが、私はあらためて二章に惚れました。あの曲は第二楽章がカギだと以後は思っています」。
このアタリは尺八の面目躍如ですね。作曲者の意図に演奏者の個性が入りこむ。民族楽器が高度な構成の中で存在感を示す一場面です。
この曲、私が企画した1976年の演奏会でも出しました。尺八は勿論酒井先生ですが、糸方は「さわらび会」にお願いしたいと思い、藤田都志先生に話をしたところ、「面白い事を考えつくわね」と大笑いされました。事前に酒井先生にも話は通して有りましたが、その時も「面白い事を考えるね」と笑われました。
「酒井先生とは初めて合奏するけど、先方に異存が無ければ私達はオーケーですよ」。ここも分かりずらいでしょう?現代邦楽では斯界屈指の技能を持つ「さわらび会」って、小野衛率いる創明音楽会なんですよ。1970年頃までは良かったんですが、この頃には宮城会に気を使って、青木鈴慕、山本邦山といった人達とは相互に「気を使う関係」になっていました。
前年の演奏会では藤田、吉川の両師に山口五郎先生の尺八で「萩の露」を出しましたが、山口先生には「二つ返事」でご承諾をいただきました。
「私が十七弦を弾くと思うけど、レコードは誰だっけ? アッ、宮本(幸子)さん、そう。あの人と私達って仲が良いのよ。サッチャン、サッチャンていつも楽しくしているわよ。小山先生の曲も良いわね」。
3年前に「さわらび会」で「和楽器の為の五重奏曲」を委嘱していますものんね、
演奏会の中にこの種の「シカケ」を私は必ず入れました。もう今は「シカケ」を喜ぶ様な聴き手もいなくなってしまいましたし、その前に面倒な「シカケ」をしてまで演奏会をやろうという人がいません。
もう時代が移ってしまい、旧邦楽界は衰退の一途で、再び甦る事は無いでしょう。
「シカケ」、たとえば「100パーセント有り得ない」と思える事って有りますよね。四代中尾都山と坂田誠山による都山流本曲二部合奏。それが音楽として面白いか?、あるいは意味が有るの?、よりも大切な事って有ると思いますがね・・・。
それがネエから、これほど落ちぶれたんだわな。
その他の人だって、今は邦楽界で演奏されませんが、当時は人気が有って、よく演奏されていたものです。
私は小山清茂の「和楽器の為の四重奏曲第一番」。好きでしたねえ・・・。
小山清茂さんは1971年に関東学生三曲連盟の招きで講演を行い、そのおりにお会いしました。私はもう酒井竹保に師事していましたので、どうしても話題は「和楽器の為の四重奏曲第一番」に集中します。
この曲は作曲されたのは1962年ですが、その講演の何年か前にレコード化されていて、尺八は酒井竹保先生が担当しています。
この時は糸方が決まらず、途方にくれたすえ、ダメ元で沢井忠夫に話をもっていったところ、沢井先生は「二つ返事」で承知してくださり、無事レコーディング出来ました。酒井先生は、いたく感謝して以後無類の「沢井忠夫びいき」になりました。
尺八・酒井竹保、1箏・沢井忠夫、2箏沢井一恵、十七弦・宮本幸子です。こういうの今の人ってピンとこないと思いますが、当時の邦楽界の人間関係から言って、不思議ととられる組み合わせなんですよ。
小山先生って、穏やかで優しい話方をする人で、その作られる曲と同様、穏やかな人柄でした。
あの曲の出だし、レーレレツレーレ、ピーピハは私は雪の降る情景に聞こえるんですが。アイヌ民謡みたいに感じる所はチョット聞いていてノリニクイ。
何を訊いても、穏やかに、ニコニコというより照れくさそうに笑うという感じで、丁寧に答えてくれます。
「あの曲の第二楽章で酒井さんが初めて長管(2尺3寸)を使いました。目から鱗で、自分の作った曲ですが、私はあらためて二章に惚れました。あの曲は第二楽章がカギだと以後は思っています」。
このアタリは尺八の面目躍如ですね。作曲者の意図に演奏者の個性が入りこむ。民族楽器が高度な構成の中で存在感を示す一場面です。
この曲、私が企画した1976年の演奏会でも出しました。尺八は勿論酒井先生ですが、糸方は「さわらび会」にお願いしたいと思い、藤田都志先生に話をしたところ、「面白い事を考えつくわね」と大笑いされました。事前に酒井先生にも話は通して有りましたが、その時も「面白い事を考えるね」と笑われました。
「酒井先生とは初めて合奏するけど、先方に異存が無ければ私達はオーケーですよ」。ここも分かりずらいでしょう?現代邦楽では斯界屈指の技能を持つ「さわらび会」って、小野衛率いる創明音楽会なんですよ。1970年頃までは良かったんですが、この頃には宮城会に気を使って、青木鈴慕、山本邦山といった人達とは相互に「気を使う関係」になっていました。
前年の演奏会では藤田、吉川の両師に山口五郎先生の尺八で「萩の露」を出しましたが、山口先生には「二つ返事」でご承諾をいただきました。
「私が十七弦を弾くと思うけど、レコードは誰だっけ? アッ、宮本(幸子)さん、そう。あの人と私達って仲が良いのよ。サッチャン、サッチャンていつも楽しくしているわよ。小山先生の曲も良いわね」。
3年前に「さわらび会」で「和楽器の為の五重奏曲」を委嘱していますものんね、
演奏会の中にこの種の「シカケ」を私は必ず入れました。もう今は「シカケ」を喜ぶ様な聴き手もいなくなってしまいましたし、その前に面倒な「シカケ」をしてまで演奏会をやろうという人がいません。
もう時代が移ってしまい、旧邦楽界は衰退の一途で、再び甦る事は無いでしょう。
「シカケ」、たとえば「100パーセント有り得ない」と思える事って有りますよね。四代中尾都山と坂田誠山による都山流本曲二部合奏。それが音楽として面白いか?、あるいは意味が有るの?、よりも大切な事って有ると思いますがね・・・。
それがネエから、これほど落ちぶれたんだわな。
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