好きこそ・・・。
- 2016/09/08
- 21:25
子供の頃の遊びの定番、ビー玉、ベー独楽、メンコのうち、私はビー玉の遊び方は思い出せません。勿論、玉を相手の玉に当てて、当たれば相手の玉を取る、この一番簡単な遊び方はいくらなんでも憶えています。
それ以外にも複数の遊び方が有って、さんざん遊んだはずですが見事に忘れています。これは分かる。私はビー玉遊びがあまり好きではありませんでした。
ベー独楽をヤスリガケしたり、メンコの表面に蠟を垂らしたり、当時の子供は足らない頭で、いろいろと工夫したものですよ。ホンのささやかだった小使いで買った物が、負ければ情け容赦なく取られてしまうのですからね。
それがガラス玉では何も工夫の余地が無い。私がビー玉を好まなかった理由の最たるものです。
そうかと言って、昭和30年代の偏差値の低い少年達ですから、ヘッセの『ガラス玉演戯』なんか読んでいようはずが有りません。ですから当然にガラス玉に意味不明の哲学的な意味付けをするはずもないです。
おそらくヘッセは、当時同盟国だった日本の子供達が、夢中でビー玉で遊ぶのを観察し、軌道を読む為の思考を「こんな物で深く思考するというのはキット深淵な哲理が内在しているに違いない」と勘違いしたに相違有りません。
それがひいてはヘルマン・ヘッセの作品中で一番出来の悪い小説を書かせて、ついでに予定通りノーベル賞をとらせたのです。
私は子供達に「出来れば学校の勉強はしないほうが良い」と言ってきましたが、当然の事ながら全部を否定しているわけではありません。
「読み、書き、ソロバン」と俗に言いますが、それは社会人として必要な事であり、また学校にいる間も社会に出てからも反復使用しますので、身に着けば忘れる事がありません。それ以外の事は、必要であれば学ぶし、必要や興味の無い事はどうせ社会人になって5年もすると忘れています。
「勉強はそれだけでは無いだろう」ですって。フ~ム、アナタは相当に文部官僚に洗脳されていますな・・・。言っときますけど、学校そのものは社会性を養う意味で大切だと思っていますよ。
「青春は一度きり、学校勉強なんかに使ったら勿体ないだろう」というのが私の教育方針でした。まあ、世の中というものは良くしたもので、多数の異なる意見が有ればこそ、健全に動いているわけですから、ここに我が家にも家内という「学校勉強ある程度容認派」が存在したので、その間で息子達もバランスがとれたようです。
尺八を吹く多くの人が上達しないままです。これは、けっして尺八が難しいからでもなければ、まして「奥が深い」からでもありません。ツマラナイからです。
尺八という物は好き。尺八の音も好き。だけど尺八演奏は難しいオベンキョウ。これが大半の尺八吹きの、そう言って不遜なら、私が語り合った人達の本音です。学校の勉強ならば進学や就職の為ということも有って自主的にもやりますよ、でも尺八の曲を楽しくも無いのに「勉強、修行」で吹いてたら、それは上達はしませんわ。
本来なら「北国の春」ていどは3ヶ月で吹けるはずです。ウソだと思ったら外国の尺八界を見てごらんなさい。外国人は「尺八そのもの、尺八の音、尺八音楽」、この好きの順番が日本人と逆です。
「好きこそモノの上手なれ」って本当ですよ。工夫しますもの・・・。
それ以外にも複数の遊び方が有って、さんざん遊んだはずですが見事に忘れています。これは分かる。私はビー玉遊びがあまり好きではありませんでした。
ベー独楽をヤスリガケしたり、メンコの表面に蠟を垂らしたり、当時の子供は足らない頭で、いろいろと工夫したものですよ。ホンのささやかだった小使いで買った物が、負ければ情け容赦なく取られてしまうのですからね。
それがガラス玉では何も工夫の余地が無い。私がビー玉を好まなかった理由の最たるものです。
そうかと言って、昭和30年代の偏差値の低い少年達ですから、ヘッセの『ガラス玉演戯』なんか読んでいようはずが有りません。ですから当然にガラス玉に意味不明の哲学的な意味付けをするはずもないです。
おそらくヘッセは、当時同盟国だった日本の子供達が、夢中でビー玉で遊ぶのを観察し、軌道を読む為の思考を「こんな物で深く思考するというのはキット深淵な哲理が内在しているに違いない」と勘違いしたに相違有りません。
それがひいてはヘルマン・ヘッセの作品中で一番出来の悪い小説を書かせて、ついでに予定通りノーベル賞をとらせたのです。
私は子供達に「出来れば学校の勉強はしないほうが良い」と言ってきましたが、当然の事ながら全部を否定しているわけではありません。
「読み、書き、ソロバン」と俗に言いますが、それは社会人として必要な事であり、また学校にいる間も社会に出てからも反復使用しますので、身に着けば忘れる事がありません。それ以外の事は、必要であれば学ぶし、必要や興味の無い事はどうせ社会人になって5年もすると忘れています。
「勉強はそれだけでは無いだろう」ですって。フ~ム、アナタは相当に文部官僚に洗脳されていますな・・・。言っときますけど、学校そのものは社会性を養う意味で大切だと思っていますよ。
「青春は一度きり、学校勉強なんかに使ったら勿体ないだろう」というのが私の教育方針でした。まあ、世の中というものは良くしたもので、多数の異なる意見が有ればこそ、健全に動いているわけですから、ここに我が家にも家内という「学校勉強ある程度容認派」が存在したので、その間で息子達もバランスがとれたようです。
尺八を吹く多くの人が上達しないままです。これは、けっして尺八が難しいからでもなければ、まして「奥が深い」からでもありません。ツマラナイからです。
尺八という物は好き。尺八の音も好き。だけど尺八演奏は難しいオベンキョウ。これが大半の尺八吹きの、そう言って不遜なら、私が語り合った人達の本音です。学校の勉強ならば進学や就職の為ということも有って自主的にもやりますよ、でも尺八の曲を楽しくも無いのに「勉強、修行」で吹いてたら、それは上達はしませんわ。
本来なら「北国の春」ていどは3ヶ月で吹けるはずです。ウソだと思ったら外国の尺八界を見てごらんなさい。外国人は「尺八そのもの、尺八の音、尺八音楽」、この好きの順番が日本人と逆です。
「好きこそモノの上手なれ」って本当ですよ。工夫しますもの・・・。
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