芸者遊び
- 2016/09/09
- 22:36
芸者遊びって若い頃に何度かやったけど、あれって面白いのでしょうか?もっと遊びのキャリアを積んで通になったら面白くなるんでしょうかね。
芸者が三味線を弾いても、私ときたら小唄は歌えないし、踊りも出来ません。都々逸なら子供の時に祖父が唄っていましたから、節回しくらいなら「聞き様聞き真似」で何とかなるけどね、客である本人が面白くも無いのに、芸者の仕事に付き合う謂れは有りませんぜ。
話に聞く昔の「バカ殿遊び」は余程の金を使わなければ料亭も芸者も承知しませんでしょう。ダイイチ金を積んでも今の御時世で、下品でヤボな数々の豪遊をやらせるものでしょうか?人権とか場合によっては売防法にひっかかりますし、その前に、評判になれば看板にドロがつきます。
① 座敷一面に豆腐を敷き詰める「田植え」。 畳替えと翌日からの休業手当はモチロン客の払い。実費のわけがネエでしょう。
② ビール瓶を並べて口の所に札をさす「土筆摘み」。 どうやって摘むかは、「田植え」と同じく御想像の通り。
③ 「野球拳」。大学のコンパでもやった所はあるそうです。ただし脱ぐのは下着が限界。法政大学三曲会では私の知る限り有りません。「下着が限界って日本語として変じゃないか?下着は脱がないが正しい」。こういう疑問をお持ちなら、悪い事は言わない、人生をやり直した方が良い。もっと広く深く世間を知りましょう。
④ 座敷にいる全員にモリソバを一枚ずつ振る舞う「紀伊国屋」。 それ以上は何処を探しったって有りません。見渡す限り蕎麦屋は臨時休業ですもの。「オレはたとえ幾ら積まれたって休むもんか」とか言う意固地な蕎麦屋がいなかったのは、シャレが通じた時代だったからでしょうな。
⑤ 単純明快に金撒き。 これぞ「究極のヤボ」。 であっても人が一番喜びます。
芸者遊びで実際にやってみたいのは、そういうのです。ただし費用の自己負担はイヤですよ・・・。
ソモソモですよ、ヤボとか粋とか誰が決めるんでしょうか?長く、民謡尺八は「ヤボ」と言うことで古典系尺八からバカにされていました。40年前でも、民謡の頬紅、描き眉、尻パショリで「アラ、エッサッサ」は当時の若い者を竦ませました。「恥ずかしい音楽」という言葉すらマスコミレベルで使われました。
結局、成金とかド百姓の嗜好とか行動がヤボで、社会の上流の趣味が粋という事でっしゃろな。「異議有り」とか言うんではないですよ、所詮は概念規定.。言葉にすぎませんから、それで良いです。私も同意します。
だけど個人がどちらを趣味として好むか、あるいは両方好むかは、文字通り趣味の問題ですな。戦前の日本のエスタブリシュのハメが外れた時の「ヤボ」ぶりは、話に聞いても感動するスケールです。「究極のエリートは究極のヤボも大好き」。
何と言っても自分一代で成り上がった人達ですもの。人間の巾が広いですな。
私なんか、「生まれ」とかの個人のリキと関係無いものになんか価値を置いていませんもの。成金は運と実力ですから、単純に尊敬します。
民謡尺八を「ヤボ」だと言うアナタさん、20年前までの話としますが、民謡尺八は相対的にではありますが、音程は古典系より良かったですよ。そりゃそうだ、みんな民謡を楽しんでいましたもの。それに民謡は簡単ですから良く理解していましたよ。
当時の古典系尺八だって捨てたもんじゃなかったですぜ、良く理解できないものを分かったフリをする。ただフリをするだけじゃダメですぜ。もっともらしい体面を作らなくては。
これが粋というものです。皮肉と採られたらカナイマセンナア・・・。ホントにそう思っているのですから。
芸者が三味線を弾いても、私ときたら小唄は歌えないし、踊りも出来ません。都々逸なら子供の時に祖父が唄っていましたから、節回しくらいなら「聞き様聞き真似」で何とかなるけどね、客である本人が面白くも無いのに、芸者の仕事に付き合う謂れは有りませんぜ。
話に聞く昔の「バカ殿遊び」は余程の金を使わなければ料亭も芸者も承知しませんでしょう。ダイイチ金を積んでも今の御時世で、下品でヤボな数々の豪遊をやらせるものでしょうか?人権とか場合によっては売防法にひっかかりますし、その前に、評判になれば看板にドロがつきます。
① 座敷一面に豆腐を敷き詰める「田植え」。 畳替えと翌日からの休業手当はモチロン客の払い。実費のわけがネエでしょう。
② ビール瓶を並べて口の所に札をさす「土筆摘み」。 どうやって摘むかは、「田植え」と同じく御想像の通り。
③ 「野球拳」。大学のコンパでもやった所はあるそうです。ただし脱ぐのは下着が限界。法政大学三曲会では私の知る限り有りません。「下着が限界って日本語として変じゃないか?下着は脱がないが正しい」。こういう疑問をお持ちなら、悪い事は言わない、人生をやり直した方が良い。もっと広く深く世間を知りましょう。
④ 座敷にいる全員にモリソバを一枚ずつ振る舞う「紀伊国屋」。 それ以上は何処を探しったって有りません。見渡す限り蕎麦屋は臨時休業ですもの。「オレはたとえ幾ら積まれたって休むもんか」とか言う意固地な蕎麦屋がいなかったのは、シャレが通じた時代だったからでしょうな。
⑤ 単純明快に金撒き。 これぞ「究極のヤボ」。 であっても人が一番喜びます。
芸者遊びで実際にやってみたいのは、そういうのです。ただし費用の自己負担はイヤですよ・・・。
ソモソモですよ、ヤボとか粋とか誰が決めるんでしょうか?長く、民謡尺八は「ヤボ」と言うことで古典系尺八からバカにされていました。40年前でも、民謡の頬紅、描き眉、尻パショリで「アラ、エッサッサ」は当時の若い者を竦ませました。「恥ずかしい音楽」という言葉すらマスコミレベルで使われました。
結局、成金とかド百姓の嗜好とか行動がヤボで、社会の上流の趣味が粋という事でっしゃろな。「異議有り」とか言うんではないですよ、所詮は概念規定.。言葉にすぎませんから、それで良いです。私も同意します。
だけど個人がどちらを趣味として好むか、あるいは両方好むかは、文字通り趣味の問題ですな。戦前の日本のエスタブリシュのハメが外れた時の「ヤボ」ぶりは、話に聞いても感動するスケールです。「究極のエリートは究極のヤボも大好き」。
何と言っても自分一代で成り上がった人達ですもの。人間の巾が広いですな。
私なんか、「生まれ」とかの個人のリキと関係無いものになんか価値を置いていませんもの。成金は運と実力ですから、単純に尊敬します。
民謡尺八を「ヤボ」だと言うアナタさん、20年前までの話としますが、民謡尺八は相対的にではありますが、音程は古典系より良かったですよ。そりゃそうだ、みんな民謡を楽しんでいましたもの。それに民謡は簡単ですから良く理解していましたよ。
当時の古典系尺八だって捨てたもんじゃなかったですぜ、良く理解できないものを分かったフリをする。ただフリをするだけじゃダメですぜ。もっともらしい体面を作らなくては。
これが粋というものです。皮肉と採られたらカナイマセンナア・・・。ホントにそう思っているのですから。
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