シンセの脅威
- 2016/09/12
- 22:48
最近またテレビで歌番組が多くなってきましたな。昭和30年代後半から50年代いっぱいまでの25年くらい、テレビでは毎日、曜日によっては1日に複数の歌謡曲番組が有りました。
それが昭和60年代に入るとバタッと無くなりました。その兆候は50年代から有ったのです。歌謡曲番組といっても、顔がカワイイだけで、ほとんど歌唱訓練をしていない男の子、女の子を「歌手」としてデビューさせて、学芸会レベルの歌を披露して呆れられたんですよ。
もともとテレビの歌番組を、歌手は広告媒体と考えていて、考えられない安いギャラで出演協力していました。歌手とテレビ局との間で健全な「持ちつ持たれつ」の関係が成立していたうちは良いのですが、そのうちプロダクションは、10代の子を売り出すのに、手っ取り早い手段として歌番組を使い出しました。
テレビでいい加減な歌を歌わして取り敢えずデビューさせ、人気が出たらセールスをかける、ダメだったらヌードをやらせて、ともかくも投下資本を少しでも回収して、後は成り行きまかせ。ですから、私をはじめ周りの男は皆が「誰々の足を引っ張る会」を創って、ひいきの女の子を一日も早くオチブレさせようと努力したものです。応援したって何も良い事なんて無いですからね。没落すれば、ワ~ィ、ヌードだ~。
ヌードというセカンドチャンスが無い男の場合は、即お払い箱です。
そうなると諸事にわたって作り込みが無くなります。昭和50年代後半からは歌の伴奏をしているフルオーケストラが、実は演奏の格好だけで音を出していないという舐めた真似すらし始めました。
それだったらフルバンドなんか呼ばなきゃ良いじゃないか? でも、それだと「画」にならない。そのスペースを花で埋めたら、かえって高くつく。この事は当時、バンドマスターとして芸能生活が長いダン池田が証言して大きな驚きをよびました。ダン池田がその後テレビから干された事は当然として、私らも「ナメンジャネエ」という気持ちを持ちました。そう言えばウソになるでしょう。テレビの歌番組は可愛い女の子を鑑賞する為のもので、歌を聞くためのものではトックの昔に無くなっていましたから、実態がどうでも関係有りません。
尺八はテレビで歌番組が無くなって影響が有ったか?そう言われれば、大門胤山さんみたいにモロ有った人もいますが、それよりシンセサイザーの高度化で尺八が喰われた事の方が大きいでしょう。
昔のシンセサイザーと違って、今シンセで尺八の演奏を造るとマズ分かりません。凄く鋭い人達だと、まだ分かるそうです。しかし、ここも時間の問題でしょう。
尺八を吹くのは格好だけ。見た目を考えて人を立たせるが、「音は出さないでください」とか言われたらどうします。突っぱねる人も立派、コダワリなく吹く事も立派だと思います。演奏にプライドを持つか、それとも総合芸術と割り切るかです。
もっとも、どちらにしても実演能力を磨いていない尺八家が意志表示しても、何か滑稽ですね。
それが昭和60年代に入るとバタッと無くなりました。その兆候は50年代から有ったのです。歌謡曲番組といっても、顔がカワイイだけで、ほとんど歌唱訓練をしていない男の子、女の子を「歌手」としてデビューさせて、学芸会レベルの歌を披露して呆れられたんですよ。
もともとテレビの歌番組を、歌手は広告媒体と考えていて、考えられない安いギャラで出演協力していました。歌手とテレビ局との間で健全な「持ちつ持たれつ」の関係が成立していたうちは良いのですが、そのうちプロダクションは、10代の子を売り出すのに、手っ取り早い手段として歌番組を使い出しました。
テレビでいい加減な歌を歌わして取り敢えずデビューさせ、人気が出たらセールスをかける、ダメだったらヌードをやらせて、ともかくも投下資本を少しでも回収して、後は成り行きまかせ。ですから、私をはじめ周りの男は皆が「誰々の足を引っ張る会」を創って、ひいきの女の子を一日も早くオチブレさせようと努力したものです。応援したって何も良い事なんて無いですからね。没落すれば、ワ~ィ、ヌードだ~。
ヌードというセカンドチャンスが無い男の場合は、即お払い箱です。
そうなると諸事にわたって作り込みが無くなります。昭和50年代後半からは歌の伴奏をしているフルオーケストラが、実は演奏の格好だけで音を出していないという舐めた真似すらし始めました。
それだったらフルバンドなんか呼ばなきゃ良いじゃないか? でも、それだと「画」にならない。そのスペースを花で埋めたら、かえって高くつく。この事は当時、バンドマスターとして芸能生活が長いダン池田が証言して大きな驚きをよびました。ダン池田がその後テレビから干された事は当然として、私らも「ナメンジャネエ」という気持ちを持ちました。そう言えばウソになるでしょう。テレビの歌番組は可愛い女の子を鑑賞する為のもので、歌を聞くためのものではトックの昔に無くなっていましたから、実態がどうでも関係有りません。
尺八はテレビで歌番組が無くなって影響が有ったか?そう言われれば、大門胤山さんみたいにモロ有った人もいますが、それよりシンセサイザーの高度化で尺八が喰われた事の方が大きいでしょう。
昔のシンセサイザーと違って、今シンセで尺八の演奏を造るとマズ分かりません。凄く鋭い人達だと、まだ分かるそうです。しかし、ここも時間の問題でしょう。
尺八を吹くのは格好だけ。見た目を考えて人を立たせるが、「音は出さないでください」とか言われたらどうします。突っぱねる人も立派、コダワリなく吹く事も立派だと思います。演奏にプライドを持つか、それとも総合芸術と割り切るかです。
もっとも、どちらにしても実演能力を磨いていない尺八家が意志表示しても、何か滑稽ですね。
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